
ジーナ・ザビボ
ドバイ:レバノンの現代の歴史、政治的混乱、終わりの見えない経済危機が、パラリンピック大会への参加に絶えず影を投げかけていた。
レバノンは、2000年のシドニー大会に初めて代表団を送り込んだが、その後、2004年のアテネ大会と2016年のリオ大会を逃し、今回、アルズ・ザフルッディーン選手の東京2020パラリンピック大会への参加により復帰を果たした。
22歳の彼は、今大会における唯一のレバノン代表選手であり、4日に、陸上男子200メートルT64(運動機能・義足)に出場する。
ザフルッディーン選手は、3歳の時に自動車事故で片脚を失い、幼少期から10代にかけてはいじめや事故の影響を受けてきた。
しかし彼は言う。「脚を失うことが障害なのではなく、ソファに座っていることが障害なのです」
7歳でスポーツに取り組み、フェンシングを始めた。「自分に対してもっと挑戦し、もっとやりたいと感じたのです」と彼は付け加えた。
2012年から2017年の間に同競技で銀メダルと金メダルを獲得した後、米国のジャリド・ウォレス選手(パラリンピックT64)に憧れ、陸上短距離へと転向した。
ザフルッディーン選手はパラリンピックのキャリアを2年間に始めたばかりだ。イタリアで開催されたグロッセート2019グランプリでは、200メートルT64で1位、そして100メートルT64で2位となり、東京2020パラリンピック競技大会の参加資格を獲得した。同年、ドバイで開催された世界パラ陸上競技選手権大会の100メートルT64では、8位に入賞した。
彼が故国で日々直面する問題は、事故に関連したものだけでなく、国が、決意を定めた人々に焦点を向けた素晴らしいスポーツインフラを提供できないのはもちろんのこと、水、電気、医療や教育へのアクセスといった基本的ニーズさえも提供できないという困難がある。
政府の支援がないなかで、ザフルッディーン選手は、家族や民間非営利団体「ベイルート・パワー・ハブ」の支援を受け、東京大会に向けて実力をつけるべくトレーニングができるようなエコシステムを構築した。
「アルズが持っているのは障害ではなく、才能です」と同非営利団体の創設者であるジャン・クロード・ベジジャニ氏は述べた。
「唯一の障害は人の心の中にある」を信条として、ザフルッディーン選手は、今では自身の障害を希望のメッセージへと変えている。いじめ防止の提唱者である彼は、ユニセフやベイルート・アメリカン大学のフォーカス・ファンドなどが主催する意識向上キャンペーンにも参加してきた。
東京大会への道のりには多くの困難があり、特に、新型コロナウイルスによってトレーニングが制限されたのは大きかった。
ザフルッディーン選手は、スポーツ心理学者の力を借りることも含め、ポジティブ思考を維持し、あらゆる面で適切なサポートを見つけることが重要だと指摘する。
昨年の壊滅的なベイルート港爆発事故の余波のなかで、彼は今でもメンタルヘルスの維持や向上に取り組んでいる。この衝撃的な事故の後、彼にとって一連の経済的困難が続き、それに加え、爆発事故の結果ジムに通えなくなり、どこでどのようにトレーニングをしたらよいか先が見えなかった。
レバノンの社会経済的状況はそれ以降悪化するばかりで、このところのレバノン通貨の暴落や燃料不足から、機能不全国家だと言われるようになっている。
自分にはレバノン代表としての責任があるとザフルッディーン選手は言う。「国の若者や意欲に燃えるアスリートたちに希望を与えなければなりません。こうしたすべての障害はあっても、私たちにはまだ多くの達成すべきことがあります」
東京大会で彼は、自身のパフォーマンスをベイルート爆発事故の犠牲者に捧げるつもりだ。
パラリンピックまでのこうした多くの危険を孕んだ道を経て、彼はついに、4日に訪れる使命、そしてレバノンやアラブ世界に栄光と大きな喜びをもたらす機会に焦点を合わせることができる。