
ファイサル・J・アッバス編集長
エレバン:アルメン・サルキシャン氏がアルメニアのビジョンを語るときに好んで口にする言葉が「小さな国、偉大な国家」だ。アルメニア共和国の大統領である彼は、自国の強み、弱み、機会、脅威について、言葉を濁すことはない。
アルメニアの面積は29,743平方キロメートルで、ベルギーやアメリカのメリーランド州と同じような大きさだ。しかし、アルメニア国内の人口が300万人に満たないのに対し、世界中のアルメニア・ディアスポラ(移民・植民)の数は500万人から700万人と推定されており、米国だけでも150万人に上る。
アルメニア人は、科学、政治、スポーツ、文化、エンターテインメントなどの分野で、アラブ諸国をはじめとする世界各地で活躍している。だからこそ、サルキシャン氏は自国のディアスポラを強みとしているだけでなく、「アルメニア人は湾岸諸国にとっての石油のように、重要な国家資源である」とまで言っている。そのため、憲法を改正して、海外在住のアルメニア人が政府に参加できるようにしたいと考えている。
「我々の憲法では、国外から来たアルメニア人が大臣になるには、直近の4年間をアルメニアで過ごし、アルメニアのパスポートのみを保持していることが必要です。このことは、この新しい世界では全くナンセンスだと思っています」と、サウジアラビアのメディアとの初のインタビューでアラブニュースに語っている。
「逆なのです。世界的に成功している人たちを連れてくるのです。経験豊富な人が何十万人もいるのに、我々は彼らを活用していない。たとえば、石油を使わないと決めた湾岸諸国を想像してみてください」
また、彼は自国の人的資本に重点的に投資することも重要だと考えており、テクノロジーや科学の分野でアルメニアが成し遂げてきたことを誇りに思っている。サウジアラビア、カタール、UAEなどの先進的な国はすでにやっていることだと彼は語った。
しかし、このような有望なビジョンにもかかわらず、エレバンの雰囲気は決して明るいものではない。人々は自国の弱点と直面する脅威を痛感している。1915年から1916年にかけてオスマン帝国に殺された150万人のアルメニア人の魂を悼む虐殺記念館「ツィツェルナカベルト」の中心にある永遠の炎のように、過去の地政学的な影が今もつきまとい続けているようだ。
現代のトルコは、イラン、グルジア、アゼルバイジャンとともにアルメニアが国境を接する4カ国の1つであるが、いまだに虐殺を認めておらず、エレバンとは対立している。昨年、アルメニアとアゼルバイジャンの間で2度目の戦争が勃発した。国際的にはアゼルバイジャン領であるナゴルノ・カラバフをめぐる紛争である。トルコは公然とアゼルバイジャンを支持し、イランは影でアルメニアを支持したと言われているが、エレバンの学者やアナリストの中にはこれに異論を唱える人もいる。
戦争はアゼルバイジャン人の勝利とロシアの停戦勧告によって終結したが、アルメニアは、現在の厳しい地政学的現実が野心的な未来のビジョンを妨げるのを防ぐために奮闘している。
これは、サルキシャン大統領の挑戦であると同時に、アルメニアに必要な新しい地平線と機会の発見でもあった。昨年来、アルメニアとアゼルバイジャンの平和的解決を提唱しているサウジアラビアは、明らかにその「機会」のひとつとなるだろう。
歴史的な訪問
今年10月、サルキシャン氏は1991年の独立以来、アルメニアの大統領として初めてサウジアラビアを訪問した。これは、歴史的な出来事であった。両国は互いに敵対したことはないが、1988年から1994年にかけての第一次ナゴルノ・カラバフ戦争でリヤドがアゼルバイジャンの立場を支持して以来、外交関係を結んでいない。
サルキシャン氏はそのことを「残念なこと」とし、2018年に大統領に就任した際の「最初の目標」のひとつとして、「非常に重要で、非常に影響力があり、非常に著名な国家であり、イスラムの信仰の守護者である」と表現する王国との外交関係を構築することを挙げた。
今回の訪問でサルキシャン氏は、砂漠のダボス会議とも呼ばれる国際会議、未来投資イニシアチブ(FII)で、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の隣に座った。皇太子との話し合いの内容は、長くはなかったが「非常に具体的」だったと、彼はアラブニュースに語っている。
「第一に、お互いが国、国家、個人として尊敬し合っていることを話しました。第二に、私たちの外交関係について話し合いました。現実に私たちの外交関係はあの訪問から始めることで合意し、サウジアラビアの国務大臣や外務大臣、そしてもちろん皇太子殿下にもアルメニアへの招待状をお渡ししました」
「殿下が自国の将来、地域の将来、湾岸諸国の将来、そして世界の将来を非常に重視されていることが話し合いの中でわかり、非常にうれしく思いました」
サルキシャン氏は、大使交換や大使館開設の時期については、政府の関連部署とサウジアラビア外務省の問題であるとしている。「正直なところ、私にとってはこの問題は二の次で、私たちが合意したのは、両国関係の新たな1ページが開かれたと、お互いが認識することなのです」
サルキシャン氏は、今回の訪問が1日に限られていたことは残念に思っているが、多くの人と出会い、皇太子との会話が大きな影響を与えたという。「皇太子の指導者としての誠実さと、彼が国を導く場所、そして、それが正しい方向であると信じています」
しかし、アルメニアはイランと友好的な関係を築いている。イランは、近隣諸国の問題に干渉し、自国の利益のために決定を左右することで悪名高い政権である。これでは、サウジアラビアをはじめとする穏健派アラブ諸国との関係正常化は望めないのではという疑問が生じる。「いえ、そんなことはありません」とサルキシャン氏は語る。アルメニアは宗教国家ではなく、アラブ諸国やイランとはすでに「良好な関係」を築いている。イランは「アルメニアの遺産や教会を破壊するようなことはせず、実際、政府はイランのアルメニア教会の修復に資金を提供しました」という。
また、テヘランとの良好な関係を維持することが自国の利益になると説明した。「内陸国のアルメニアは、すでにトルコとアゼルバイジャンという2つの隣国との関係が悪化しており、エレバン(アルメニアの首都)は残りの2つの隣国、イランとグルジアとの関係を崩すわけにはいかないのです」
とはいえ、サルキシャン氏は、サウジアラビアの「懸念」を理解している。「イランと湾岸地域、イランとレバノン、そしてサウジアラビアについて、地域と湾岸地域で起こっている事、そしてその緊張状態は理解しています」
しかし、アルメニアとイランの関係の深さはいったいどのようなものなのだろうか。アルメニアとイランの関係は、具体的にどのようなものなのだろうか。テヘランは、多くの近隣諸国同様、軍事的な役割を果たしたり、安全保障や政策に干渉したりしているのだろうか。
「彼らは軍事や安全保障には干渉していません」とサルキシャン氏は主張する。「彼らはアルメニアの南部で今起きていることに関心があり、それはもちろんイランにも関係しています」。エレバンとテヘランは、歴史的・文化的な関係にあり、エネルギーや貿易などの相互利益を有していると彼は言う。
しかし、先のナゴルノ・カラバフ戦争でテヘランがアルメニアを密かに支援していたという認識はどうだろうか。また、アゼルバイジャンとの国境付近で行われているイランの軍事訓練について、サルキシャン大統領はどのように解釈しているのだろうか。
「それは彼ら自身のポリシーであり、アルメニアには干渉しません」と彼は答えている。「私は……彼らが国境で危険を感じているのであれば、それは彼らの国内問題だと考えています」
また、ナゴルノ・カラバフ戦争は単なる土地問題ではなく、キリスト教を主とするアルメニアとイスラム教を主とするアゼルバイジャンの宗教戦争であったという指摘をサルキシャン氏は強く否定する。「宗教戦争ではありません。アルメニアは、イスラム教が主要な宗教である国、イスラム教が唯一の宗教である国、イスラム教を国教としている国など、多くの国と素晴らしい関係を築いています」
「向こう側(アゼルバイジャンとトルコ)は、イスラム世界からの支持を得るために、『宗教戦争』のような表現を使いたがることがありますが、アルメニアはキリスト教国からの支持を得ようとしたことはありません」
一方、複数のアルメニア人アナリストは、パキスタンがアゼルバイジャン・トルコ枢軸を公然とイデオロギー的に支持していると批判しており、アゼルバイジャン側との合同軍事訓練が状況をさらに複雑にしていると述べている。サルキシャン氏は、エレバンはパキスタンと外交関係を結んでいないと言うが「私は外交関係を築こうと思います。なぜならば、私の競争相手や敵を支持している人がいれば、その人と話すべきではない、という考え方を私は持っていないからです」
「パキスタンは無視できる国ではありません。私たちはパキスタンと戦争をする立場にはありません。パキスタンとの対話と、インドとの深く良好な関係との間には、何の矛盾もありません」
南コーカサスの平和について
トルコのフアット・オクタイ副大統領は先週、アゼルバイジャンと連携しながらアルメニアとの対話を進めるためにアンカラが努力していると述べた。「トルコはアルメニアとの関係正常化のためだけでなく、コーカサス全体の平和と安定のためにも立ち上がっているのです」。トルコは近年、様々な地域紛争に巻き込まれており、現在、経済はかつてないほど悪化している。両国間の溝を埋めるための試みは初めてではないが、アンカラの、政治的・経済的に困難な今の状況は、アルメニアにとって真の機会であるとの見方が多い。
では、エレバンはこうした動きを歓迎しているのだろうか。大統領が表明したこのアルメニアの好意は、宿敵トルコにも及ぶのだろうか?
「アルメニアは政治的に分断されています。特に戦争後は、ご想像のとおりです」とサルキシャン氏は言う。
「どこの国でも、戦争をして、戦争に負け、長い緊張状態が続くと、その動静は安定的ではなくなります。私は、アルメニア人全体を代表して発言しているとは決して言いません」
「私は議会制共和国の大統領であり、国家元首ではありますが、政府の時事問題を取り仕切る幹部ではありません。トルコ側に答え、申し出を行うのはあくまで政府です」。現段階でコメントや判断をするのは間違っていると同氏はいう。
「どのような合意であっても……議会に提出される正式なプロセスを経るべきです」と彼は説明する。「私のテーブルに届いた時点で、私は意見を表明し、共和国の大統領として、合意されたものには何でも署名することができます。もちろん、それが国家とアルメニア国民の国益に調和していると判断した場合には、です。署名せずに、例えば憲法裁判所に送り、一流の弁護士がその問題について議論し、私に助言を与えることもできます」
アゼルバイジャンについては、国際社会がナゴルノ・カラバフをアゼルバイジャン領と認め、問題解決の試みが続けられているが、サルキシャン氏は、湾岸協力会議(GCC)やイスラム協力機構(OIC)のような影響力のある地域的・宗教的組織が、コーカサスの平和活動を支援する役割を果たすと考えているのだろうか。
「私ができるアドバイスは、双方が納得できる論理的な解決策を見つけようということです。強引な解決策は長続きしません」
サルキシャン氏は、永続的な平和を確保するためには、アゼルバイジャン側が妥協するべきだと主張する。「現時点において、アルメニア側が妥協できる点はあまりありません」と彼は言う。「我々が勝利した1994年の時点では、妥協することができたはずです……あの時は妥協の時であり、戦争による解決ではなく、外交による解決を図るべきでした……それは大きな後悔となっています」
とはいえ、アルメニアにとって戦争は完全な損失ではなかった。サルキシャン氏は、トルコとの興味深いアナロジーを示しながら、自国にはまだ多くの機会がある理由を説明している。
「私達は、戦争では負けていました。しかし、その間もアルメニアの通貨・ドラムは安定していたのです。若干下落はしましたが、戦争の後には以前よりも強くなりました。一方トルコリラは、米ドルに対して劇的に値下がりをしたのにです。」
両国の大きな違いは、アルメニアは中央銀行の独立性を守ってきたが、トルコはそうではなかったという点だと、サルキシャン大統領は言う。「1990年代に銀行部門を再構築した時、私たちはひとつ正しいことをしました。アルメニアには当時150以上の銀行があり、ソ連がそうであったように、そのほとんどがねずみ講のようなものだったのですが、私たちは努力して海外の銀行を誘致することに成功したのです」
「最初にやってきたのはHSBCで、自慢ではありませんが私が招致をいたしました。HSBCは、銀行セクターの法整備を支援してくれました。そうした経緯があって、アルメニアには政府から独立した中央銀行があるのです。」
サルキシャン大統領が誇りを持っているセクターは、銀行だけではない。アルメニアのテクノロジーや農業セクターから天然の水に至るまで、大統領はそのクオリティの高さを訴えている。同国産のボトル入り天然水を味わいながら、サルキシャン大統領はアルメニアの水資源の豊かさについて語り、自らも「ワイン通のように水の味の違いを感じ取ることができる」と誇らしげに話した。
アルメニアは2015年にユーラシア経済連合に加盟したが、EUとの経済関係も強い。サルキシャン大統領は、その結果行われた税金と関税の調整が、湾岸諸国の企業などにとってはビジネスの展開に適した環境となり、アルメニアへの進出を後押しする効果を生んでいると指摘する。「シンガポールを含む一部の国は、ユーラシア経済連合とより深い関係を持ちたいと考えており、アルメニアはその玄関口になることができるのです」と大統領は語っている。
アラブ世界へのメッセージ
サルキシャン大統領はまた、1915年から1916年の大量虐殺を逃れたアルメニア人たちが避難所の提供を受けた際に、湾岸諸国やアラブ世界が果たした重要な役割に言及した。
「彼ら(虐殺から逃れたアルメニア人たち)は、シリア、レバノン、エジプト、サウジアラビアを含む湾岸諸国に落ち着ける場所を見つけることができました。この場を借りて、私たちアルメニア人を兄弟のような暖かさで迎えてくれたを中東諸国、特にアラブ諸国の指導者の皆様に深い感謝の意を表させていただきます」
「これらの国々は、故郷を追われた、キリスト教徒であるアルメニア人たちを、兄弟姉妹として受け入れてくれました。ですからこの機会に、各国に感謝の気持ちをお伝えしたいのです。」
虐殺から100年以上が経った現在は、移住の方向が逆転し、シリアやレバノンといった国々のアルメニア人たちが、絶望的な窮状から逃れて出国しようとする動きが目立つようになっている。サルキシャン大統領は、レバノンの場合には特に、アルメニア人たちが現在の居住国に留まることを支援するのが望ましいと考えている。
「5年前、10年前は、レバノンは調和のとれた国だったのです」と大統領は語る。「もちろん、国による干渉はありました。しかし、最も重大な過ちとなったのは、憲法の構造や政策の実行方法に起因する、財政面での失敗でした」
「それでも私は、アルメニア人のコミュニティを支援して、彼らがレバノンに留まるようにしていきたいと思っています。なぜなら、他の多くの国々のアルメニア人コミュニティと同じように、そこにはこれまで積み上げてきた文化があり、プレゼンスがあり、アルメニア人の存在は重要なものになっているからです。」