
オスロ:核兵器がかつてないほど強力になっている今、若者たちが核兵器のない世界を目指して闘いに立ち上がるべきであると、今年のノーベル平和賞受賞者である被爆者団体「日本被団協」の代表が火曜日に述べた。
日本被団協は、1945年に広島と長崎に投下された核爆弾の被爆者による草の根運動であり、証言活動を通じて核兵器のない世界を目指している。
オスロ市庁舎で行われた授賞式にはノルウェー国王ハーラル5世やソニヤ王妃らも出席し、同団体の共同代表を務める田中煕巳氏は「被爆者の平均年齢は現在85歳です」と述べた。
「皆さんもいつ、被害者にも加害者にもなる可能性があるのです」と田中氏(92歳)は聴衆に語りかけた。
「10年後には、生存者として証言できる人はほんの一握りしか残っていないかもしれない。これからは、次の世代が私たちの努力を土台として、この運動をさらに発展させてくれることを願っている」と田中氏は語った。同氏のグループは、原子兵器の使用は容認できないという世界的な基準、すなわち「核のタブー」の確立に「間違いなく」大きな役割を果たしたと氏は述べた。しかし、その基準は弱まりつつあると氏は付け加えた。
「民間人の犠牲に加えて、私は『核のタブー』が破られる危険性があることに、限りない悲しみと怒りを感じている」と彼は述べた。
ウクライナとガザ地区で現在も続いている戦争において、核兵器使用の威嚇が行われていると田中氏は述べ、世界中で4000発もの核弾頭が即座に発射可能な状態にあると警告した。
日本被団協は、共同代表の田中熙巳(しげみつ)さん(84)と三牧(みまき)敏之さん(82)も式典に出席した。
1945年8月6日と9日に広島と長崎に投下された原爆により、即死または後に死亡した被爆者は推定21万人に上る。 現在の核兵器は、当時使用されたものよりもはるかに強力である。
田中さんは長崎への原爆投下当時13歳で、爆心地から約3キロメートルの自宅で被爆したが、ほぼ無傷で生き延びた。しかし、家族5人を失い、恐ろしい体験を思い出した。
「あの時目にした死は、とても人の死とは言えないものでした。何百人もの人々が苦しみ、医療の手も届かず、苦しんでいました」と田中さんは聴衆に語った。
「私は、戦争であっても、このような殺傷行為は決して許されるべきではないと強く感じた」と田中さんは語った。
ロイター