


ヴィリニュス(リトアニア)
第二次世界大戦の初期に何千人というユダヤ人のヨーロッパからの逃亡を助けた日本人外交官に捧げられたリトアニアの記念館が、日本国民の資金協力によって命綱を伸ばせることになった。金曜日に当局が公表した。
リトアニアのかつての首都カウナスにある記念館は、1939年から1940年にかけて同地の日本領事館で副領事を務めていた杉原千畝のストーリーを語り継ぐ記念館である。その小規模のコレクションは、かつて領事館として使われていた邸宅に収蔵されている。
新型コロナウイルスのパンデミックにより海外旅行に急ブレーキがかかったことから、この小さな美術館も、世界中の他の文化機関や観光地と同じ様に、強い経済的圧力にさらされることになった。
「当館の主な収入源は入場料収入です。入館者の85%を日本人が占めています。現在、日本からの訪問者がいなくなり、当館の収入源もなくなってしまいました」と記念館のラムーナス・ジャヌライティス館長は語った。
だが、杉原の生誕地である岐阜県の人々が、記念館がパンデミックを切り抜けるのを支援しようと、約3万ユーロ(約35,600ドル)を集めた。
「秋にはさらに4万(ユーロ)調達できると見込んでいます」と在リトアニア日本国大使館の山崎史郎大使は語った。
戦争中、リトアニアはソ連とドイツの両方から占領された。その後このバルト海の国はソ連から併合されたが、1990年に独立を果たした。
杉原はカウナスの領事館に赴任中、主に隣国ポーランドから逃れてきた6,000人近くのユダヤ人難民に日本への通過ビザを発行した。日本の外務省の承認なしに杉浦が与えた10日間のビザによって、難民はホロコースト行きを免れ、生き残ることができた。
杉原はヨーロッパの別の地に転勤を命じられ、1947年に日本に帰国した時点で外務省を解雇された。杉原は1986年に亡くなった。
杉原の勇気ある行動を称える主旨で1999年に創立されたこの記念館には、杉原の生涯や仕事にまつわる展示物が展示されている。邸宅は改装され、杉原が赴任していた時代の様子が再現されている。杉原がビザを付与したことが分かっているユダヤ人の名前も展示されている。
バルト海最南端の国であるリトアニアは、かつては大きなユダヤ人コミュニティを擁していた。リトアニア政府は、2020年を「杉原千畝記念の年」と宣言していた。
AP