アラブニュース・ジャパン
2月6日の地震が示すように、災害では集合記憶とアイデンティティが行き渡る。災害によって構造的なインフラの脆弱性だけでなく、災害に伴う人間の複雑さも明らかになった。
トルコとシリアを襲った大地震から約11日後、両国の死者数は41,000人以上に達したと当局が発表した。
この地震は、世界でも有数の地震活動地帯で発生し、多くの人がこのような強力な地盤振動に耐えられるような構造でない家屋で眠っていた中で、人口密集地帯を直撃した。政府関係者や医療関係者によると、地震によってトルコで38,044人、シリアで3,688人が死亡したという。
日本政府は、トルコ政府からの人道支援要請を受け、日本災害救援隊/レスキュー隊を派遣し、行方不明者の捜索・救助活動を実施した。トルコ・シリアの地震と2011年の日本の北部を襲った3つの災害との関連は、何度も強調されてきた。災害を経験した人々が直面した集合的トラウマ、人命の損失、物質的破壊との関連は、災害がいかに物理的かつ社会的な事象であるかを示している。
このような災害に直面した場合、最終目標は効果的な対応と、次いで被害の軽減に尽きる。しかし、対応に必要なのは兵站能力だけではない。手続きや政策、ルールは、困っている人たちを傷つけたり、救ったりするものではなく、他者を助けようとする意欲を持った人間が行うものである。在トルコ日本大使館が発表した、日本から派遣された緊急救助隊の一員である高橋洋介中佐のメッセージは、そのような痛切な実感をもたらすものであった。
Yarbay TAKAHASHI Yosuke'nin mesajı:
— Japonya Büyükelçiliği ‖ 在トルコ日本国大使館 (@JaponyaBE) February 16, 2023
"Japonya'dan buraya Türk halkına destek olmaya geldim, ama aksine sizlerden güç aldım. Bu zor zamanlarda, geleceğe dönük sergilediğiniz güç, nezaket ve umut beni cesaretlendirdi. Türkiye'yi zaten severdim, giderek daha çok seviyorum. "
「私は日本からトルコの人々を応援するために来ましたが、逆にあなた方から力をもらいました。このような困難な時期に、皆さんが見せてくれた強さ、優しさ、そして未来への希望が私を勇気づけてくれました。私はもともとトルコが大好きでしたが、ますます好きになりました」と高橋氏は語った。
トルコの『サバ』紙によると、高橋氏はトルコの地に、近代トルコ共和国を建国した人物、ムスタファ・ケマル・アタチュルク氏の顔の記章をつけた青い制服を着て現れた。記章にはアタチュルク氏の射るような鋭く青い目に因んで「我々の青への愛は、テッサロニキ出身の一対の青い目から始まった」と書かれていた。
高橋氏の写真は、崩壊した建物の下から引きずり出される生存者たちの姿とは無縁で、トルコにとって記憶に残る最も悲惨な時期において、災害時の団結の大切さを示す貴重な明るい材料となっている。
高橋氏の写真は、主にトルコの人々によってネット上で拡散され、記章についての心のこもったコメントが残されている。この画像に対するネット上の反応は、日本人がアタチュルク氏の記章をつけることがなぜそんなに重要なのだろうか?という疑問を投げかけている。トルコを訪れたことのある人なら、どの店にも、どの通りにも、どの広場にも、アタチュルク氏の写真が飾られていることをご存じだろう。その答えは、国家指導者のイメージがトルコ国民にとって意味するものに根ざしている。オスマン帝国の廃墟から世俗主義的な共和国として近代トルコを築いた元軍人ムスタファ・ケマル・アタチュルク氏の謎めいた力は、トルコの社会生活に広く影響を与えており、多くのトルコ人、特に幼い頃から同氏の功績を教えられてきた人たちにとって、愛国心と安心感を抱かせる存在である。
アタチュルクの記章をつけることで、高橋氏はトルコ国民に安らぎと自尊心を与え、あたかも、他の歴史的災害を乗り越えたように地震を乗り越えられるであろうことを象徴的に思い出させると同時に、災害時に発生する国境を越えた厄災を通して、人間の人間性を最優先し利他主義と共感に根ざした小さな行動が、いかに被災地を支えることにつながるかということを示しているのである。
災害と無縁の土地で育った高橋氏は、被災地での人命救助という重責を負い、命の危険にさらされながらも、被災地の人々に愛国心と共感を呼び起こし、思いやりをもって、小さな行動から「逆境に負けない」という前向きな気持ちを起こさせるのである。