ポートスーダン、スーダン:マルワ・オマールさんは、夜明け頃のポートスーダンでパスポートを得るために並んでいた数百人の中にいた。その15時間後、彼女はまだ何も手にしていなかった。
国連によると、4月以降、スーダン国軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間の壊滅的な戦争から逃れるために約100万人がスーダンの国境を越えた。
多くの人がオマールさんのようにパスポートの更新や発行を必要としたが、パスポート事務所は4月15日の最初の銃声の知らせとともにシャッターを閉めていた。この事実がもしなかったら、国外避難民の数はおそらくもっと多かっただろう。
当局が8月下旬に東部の都市ポートスーダンに新たなパスポート事務所を開設して以来、毎日数百人が一日中列を作っている。
彼らは、スーダンの破壊的な戦争から逃れるのに必要なパスポートを得ようと必死なのだ。
どこに行くつもりなのかを尋ねたところ、オマールさんはこう答えた。「ここ以外ならどこでもいいです。ここはもはや国ではありません」
5ヶ月続いている戦争により7500人が死亡、500万人以上が避難民となるとともに、既に脆弱になっていたスーダンのインフラが損なわれ、数百万人が悲惨な状況に陥っている。
4児の母であるオマールさんは語る。「何も残されていません。生活することも、食卓に食事を並べることも、子供を教育することもできません」
多くの人がオマールさんのようにポートスーダンに集まっている。これまでのところ戦闘を免れているこの沿岸都市には現在、政府機関、国連事務所、国内で唯一機能している空港がある。
サルワ・オマールさんは、「私はアトバラに2ヶ月いましたが、パスポート発行が再開されたと聞いてポートスーダンに来ました」と話す。
しかし何日経っても、事務所の中に入って申請書類を提出できるのは一握りの幸運な人だけだ。彼女を含むその他の人々は外で順番を待っている。
待ち時間の長さと段取りのお粗末さに苛立つマルワ・オマールさんは、「すぐに手続きしてくれる知り合いが事務所の中にいる人は来たらいいと思います。それ以外の人は来るだけ無駄です」と言う。
同じくパスポート申請者のシェハブ・モハメドさんはAFPに対し、幸運にも事務所の中に入れた人は「酷く暑くて椅子もない狭苦しい部屋」に入らなければならないと話す。
「お年寄りが杖に寄りかかったり床に座ったりして何時間も待っているのです。全てが間違っています」
書類を押し通そうとする数十人の人々が作り出す喧騒の中、子供のパスポートを得るために来たファレス・モハメドさんは、「このペースだと、私たちは何ヶ月もここにいることになります」と話す。
「混み合っていて息がしづらいです。子供たちやお年寄りがどんな思いをしているか想像してほしいです」
それでもなお、彼らは毎日ここに現れる。何があってもスーダンから出ると決意しているのだ。
戦争開始前の人口が約500万人だった首都ハルツームからは280万人以上が避難した。
直ちに安全な場所に向けて避難した人々もいたが、自宅に数ヶ月籠もって、ロケット弾の音を聞いては遠くに落ちることを祈りながら配給の水と電気で生き延びた人々もいた。
スーダンは戦争勃発前から既に世界最貧国の一つだったが、今や恐ろしい人道危機に陥っている。
国連によると、国民の半数以上が人道援助を緊急に必要としており、600万人が飢餓寸前の状態にある。
ポートスーダンに行けるだけの資金をかき集めることができた人々も、宿泊費や食費の高騰に直面している。
そして今度は、パスポート発行費用の12万スーダンポンド(200ドル)を渋々払わなければならない。これは戦争開始前の平均月給とほぼ同じ金額だ。
2児の母であるヌール・ハッサンさんは、子供たちのパスポートを得るためならどんな犠牲でも払うつもりだ。
彼女は毎日午前5時から午後9時半まで、家族の申請書類のファイルを握りしめて待っている。
彼女はAFPに対し、目標は家族が住むエジプトの首都カイロに行くことだと話す。
「この国を離れるのは辛い選択ですが、ここに住むことは不可能になってしまいました」
ハッサンさんは、既にスーダンの北部国境を越えてエジプトに入国した31万人以上の人々の多くと同じく、これは「一時的な解決策」に過ぎないと断言する。
安全に帰国できるようになるまでの間だけ滞在するつもりなのだ。
AFP