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イスラエルがガザに対して担う「全面的な安全保障の責任」とはどのようなものになるのか?

2023年11月8日水曜日、ガザ地区で地上作戦を行うイスラエル軍兵士。(AP)
2023年11月8日水曜日、ガザ地区で地上作戦を行うイスラエル軍兵士。(AP)
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09 Nov 2023 06:11:32 GMT9
09 Nov 2023 06:11:32 GMT9
  • イスラエルがハマスの16年にわたるガザ支配を終わらせ、その過激派が抱えるインフラの多くを解体することに成功したとしても、同地区におけるイスラエル軍の存在は、1967年から2005年までと同様に反乱を誘発する可能性が高い。

エルサレム:イスラム過激派組織による10月7日の国境を越えた襲撃事件を受けて、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は今週、ハマス政権を壊滅させた後は、同国がガザにおける無期限の「全面的な安全保障の責任」を担うと述べたものの、その詳細は語らなかった。

これまでの歴史を踏まえると、イスラエルが治安維持の役割を担えば、それがどのようなものであれ、パレスチナ人や国際社会の多くは軍事占領とみなすだろう。このことは、パレスチナ自治政府や友好的なアラブ諸国に同地区の統治責任を委ねる計画を複雑化し、イスラエルを消耗戦に陥らせる危険性をはらんでいる。

イスラエルがハマスの16年にわたるガザ支配を終わらせ、その過激派が抱えるインフラの多くを解体することに成功したとしても、同地区におけるイスラエル軍の存在は、1967年から2005年までと同様に反乱を誘発する可能性が高い。これは、パレスチナ人が2度蜂起し、ハマスが台頭した時期である。

3人で構成されるイスラエル戦時内閣の1人、ベニー・ガンツ氏は8日、ガザに対する長期的な計画がまだないことを認めた。彼は、どのような計画であれ、イスラエルの安全保障上の必要性に対処しなければならないと述べた。

「我々は適切と思われるあらゆる体制を考案することができる。しかし、ハマスがそれに加わることはないだろう」と彼は記者団に語った。「ハマス政権を交代させて、我々の安全保障上の優位性を確保する必要がある」。

イスラエルの安全保障上の役割が長引くとどのようなものになるか、そしてそれが必然的に生み出すであろう反発について見てみよう。

明白な占領

1967年の第三次中東戦争で、イスラエルはガザ、ヨルダン川西岸地区、東エルサレムを占領した。イスラエルは、旧市街および複雑な歴史を抱える宗教的遺跡のある東エルサレムを併合(この動きは国際社会には認められていない)し、エルサレム全体を首都とみなしている。

イスラエル軍は何十年もの間、ヨルダン川西岸地区とガザ地区を直接統治し、何百万人ものパレスチナ人の基本的権利を否定してきた。検問所には兵士たちが配置され、過激派や、イスラエルの支配に反対するパレスチナ人を標的に定期的な逮捕作戦を行った。

イスラエルはまた、これら3つの地域すべてにユダヤ人入植地を建設した。パレスチナ人と国際社会の大半は、これらの入植地を違法とみなしている。

20年間にわたる完全な軍事支配の後、パレスチナ人は1980年代後半に第1次インティファーダ(蜂起)を起こした。

ハマスが武装組織を抱える政治運動として登場し、民族闘争の主導権を持つ世俗主義のパレスチナ解放機構(PLO)に挑戦したのもこの時期だった。

ヨルダン川西岸地区モデル

オスロ合意として知られる1990年代半ばの暫定和平協定は、パレスチナ自治政府をヨルダン川西岸地区とガザ地区の自治政府として設立し、イスラエルと並び立つパレスチナ独立国家への道を導くことを意図していた。

米国の歴代大統領によるいくつかの和平イニシアティブは失敗に終わった。パレスチナ自治政府は2007年にガザの支配権をハマスに奪われた。

そのため、パレスチナ自治政府は現在、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区の約40%のみを支配している。その権限は、警察部隊を維持しているものの、大部分は行政的なものである。イスラエルは全体的な治安管理を行っている。

パレスチナのマフムード・アッバース大統領は不人気だが、その理由の大部分は、パレスチナの国家樹立への希望が消え去ったにもかかわらず、彼の勢力がイスラエルに治安面で協力していることにある。多くのパレスチナ人は、パレスチナ自治政府を終わりのない占領の下請け組織とみなしている。

イスラエルはヨルダン川西岸地区全域に数万人の兵士を配備している。彼らは50万人以上のユダヤ人入植者の安全を確保し、毎晩のようにパレスチナ人の逮捕に乗り出し、しばしば過激派との銃撃戦を引き起こしている。

アントニー・ブリンケン米国務長官は、パレスチナ自治政府がこの戦争後にガザに戻る可能性を示唆している。それは、パレスチナの国家化に向けた具体的なステップと結びつかない限り、パレスチナ人の間におけるアッバース氏の正当性をさらに崩すことになりかねない。

アラブの指導者たち、イスラエルと密接な関係にある指導者たちでさえも、イスラエルがガザを支配するのを助けるために介入すれば、同様の反発に直面するだろう。

ガザ・モデル

穏健なパレスチナ人がガザ内部の治安を維持する中で、イスラエルが絶対に必要だと判断した場合にのみ介入する、「オーバー・ザ・ホライズン」の体制というのはどうだろう?

それも試みられたことがある。

2005年、より激しい暴力を伴う第2次インティファーダが勃発し、イスラエルは兵士と8000人以上の入植者をガザから撤退させた。パレスチナ自治政府はガザを管理したが、イスラエルは引き続きガザの領空と海岸線、そして1カ所を除くすべての検問所を支配した。

翌年のパレスチナ選挙ではハマスが勝利し、これは国際的なボイコットと深刻な財政危機を招いた。

数カ月にわたる不穏な動きは2007年6月に頂点に達し、ハマスがアッバース氏に忠誠を誓う勢力を1週間の街頭戦で追い払った。

イスラエルとエジプトはガザを封鎖し、貿易と移動を厳しく制限した。これはハマスを封じ込めるための取り組みだとイスラエルは主張しているが、パレスチナ人と人権団体は、これを集団懲罰の一形態とみなした。封鎖はガザの230万人の住民に広範な苦難を引き起こした。

イスラエルはほとんどの西側諸国と同様、ハマスをテロ組織とみなしている。ハマスはイスラエルの存在を認めたことがなく、武装闘争を通したその破壊を目的としている。

しかし、4度の戦争を経験した16年間、両者はさまざまな非公式の停戦を結び、イスラエルはハマスがロケット攻撃を停止し、より過激な武装集団を抑制する見返りに封鎖を緩和した。

イスラエルにとって、この取り引きは理想的なものには程遠かったが、他の選択肢よりは好ましく、数年にわたる比較的穏やかな期間をもたらした。

レバノン・モデル

1978年と1982年に、イスラエルはパレスチナ武装勢力との戦いでレバノン南部に侵攻した。

これは、現地の同盟組織である南レバノン軍を通じての18年間の占領につながった。同軍はイスラエルから武器と訓練を受けていた。

1982年、レバノンの過激派組織ヒズボラがイランの支援を受けて設立され、イスラエル軍をレバノンから追い出すことを目的として活動を開始した。ヒズボラは南レバノン軍とイスラエル軍の両方を攻撃し、最終的に2000年のイスラエル撤退につながった。

南レバノン軍はすぐに崩壊し、ヒズボラがその空白地域を支配した。2006年、ヒズボラはイスラエルと1カ月に及ぶ戦闘を行い、膠着状態に陥った。

現在、ヒズボラはレバノンで最も強力な武力勢力である。彼らは推定15万発のロケット弾とミサイルを保有し、イスラエルからは大きな脅威とみなされている。

別の方法は?

イスラエルはガザに関する計画の進化について混合したメッセージを送っている。

指導者たちは、ガザの再占領は望んでいないと言う。同時に、この激しい戦闘が収まった後も、イスラエル軍の部隊には、ガザ内で活動する自由が必要だとも述べている。

「作戦期間の質問について応えるなら、期間の制限はない」とガンツ氏は8日に述べた。

それは、ガザ地区内または境界沿いに部隊を駐留させることを意味する。

一部の政府関係者は、パレスチナ人を境界から遠ざけるための緩衝地帯について議論している。米国を含む他の国々は、パレスチナ自治政府のガザへの復帰を求めている。

ガザに関する将来の取り決めには、ヒズボラやヨルダン川西岸地区など、パレスチナ武装勢力と定期的に戦っているイスラエル北部の戦線を落ち着かせることが条件となることをガンツ氏は示唆した。

「ガザ地区が安全になり、北部地区が安全になり、ユダ・サマリア地区が落ち着けば、我々は落ち着いて、ガザの新しい体制を検討する」と、ヨルダン川西岸地区を意味する聖書の言葉を用いてガンツ氏は語った。「それがどうなるかは、わからない」

AP

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