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パレスチナのスカーフ「ケフィエ」—物議を醸す団結の象徴

パレスチナのケフィエで使われる白と黒の市松模様のタトゥーが入った自分の前腕を見つめる、パレスチナ系シリア人の詩人ラミー・アル・アシェクさん(34)(ロイター)
パレスチナのケフィエで使われる白と黒の市松模様のタトゥーが入った自分の前腕を見つめる、パレスチナ系シリア人の詩人ラミー・アル・アシェクさん(34)(ロイター)
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16 Dec 2023 12:12:13 GMT9
16 Dec 2023 12:12:13 GMT9
  • パレスチナ人を支援する世界中の大規模な抗議デモで、何千人もの参加者が「ケフィエ」を身につけている
  • 黒と白の市松模様は、1950年代に英国のジョン・グラブ総司令官がパレスチナ兵士に割り当てたのがきっかけとなり広まった

ベルリン/パリ:ガザ地区でイスラエルとハマス戦闘員との間で紛争が激化する中、世界中で黒と白の市松模様の「ケフィエ」というヘッドスカーフが、パレスチナの大義に連帯を示す象徴となっている。同時に、着用している人にとっては問題にもなっている。

イスラエル支持者は、この市松模様のスカーフを挑発の象徴、彼らがテロとみなしているものへの支持の象徴とみなしている。英国をはじめ至るところで行われている、パレスチナ人を支持して停戦を求める大規模な抗議デモでは、何千人もの参加者がケフィエを着用している。

しかしデモ参加者の話によると、親パレスチナの抗議デモを取り締まっているフランスやドイツの警察が、ケフィエを着用しているデモ参加者に警告、罰金、拘留を科しているという。

ベルリン在住のパレスチナ系シリア人の詩人ラミー・アル・アシェク氏は、この問題を回避する方法を見つけたと信じている。前腕全体にケフィエの模様のタトゥーを入れたのだ。

「ケフィエは取り締まりの対象となっていて、デモ参加者は外すように言われたんだ」と語った。「だから、こう言ったんだ。『いいよ。外してもいいけど、そのためには私の腕を切らないといけないね』って」

「私の怒りと取り締まりの対象となってしまった私の文化を称えて、刻みつけているところだ」。彫師がタトゥーの最後の仕上げを行っている間、アシェク氏はロイターにこう語った。「この美しいタトゥーは、あまりにも多くの人が殺されたということを決して忘れないためでもあるんだ」

しかし、ドイツの新聞「南ドイツ新聞」は、ケフィエを「問題の布」と呼び、ドイツの親パレスチナの抗議デモ参加者が、ナチスの制服代わりに着用していると示唆した。

イスラエル支持者の主張によると、ケフィエを着用することは、イスラエルによるガザへの攻撃の引き金となった、10月7日の過激派組織ハマスによる越境攻撃で殺害された1200人のイスラエル人の死を無視することになる。

パレスチナ支持者は、イスラエルの攻撃で1万8000人以上が死亡し、イスラエルがパレスチナ領土を占領し続けていると指摘している。

過熱した雰囲気の中で、ケフィエは暴力の引き金にもなっている。米国のバーモント州では先月、パレスチナ系の大学生3人(2人がケフィエを着用)が銃撃されて、1人が麻痺状態になった。

抵抗の象徴

ケフィエは長い間パレスチナ民族主義の象徴であり、その代表がPLOの指導者故ヤセル・アラファト氏だ。彼はケフィエを着用せずに写真に収まることはほとんどなかった。同氏は、歴史上存在したパレスチナの国の形になるようにケフィエを折っていた。

デザイン史家のアヌ・リンガラ氏がロイターに対し語ったところによると、この布が最初に政治的な意味を持つようになったのは、1936年から1939年の英国統治に対する抵抗で、地方のゲリラがこの布で顔を覆ったときだ。同氏によると、「結束した抵抗運動」を示していたという。

米国の歴史家、テッド・スウェデンバーグ氏の著書『Memories of Revolt(抵抗の記憶)』によると、1950年代に英国のジョン・グラブ総司令官が、赤と白の市松模様のヨルダン兵士と区別するために、この黒と白の市松模様をアラブ軍団のパレスチナ兵士に割り当てたのがきっかけでこれが広まったという。

その後、1969年にアメリカTWA旅客機をハイジャックしたライラー・ハーリドのようなパレスチナ過激派組織がケフィエを着用していた。また、南アフリカの反アパルトヘイトの指導者ネルソン・マンデラは、彼が率いるアフリカ民族会議とPLOが近い関係だったこともあり、時々ケフィエを身につけた。

1967年から1993年にかけて、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区ではパレスチナ国旗が禁止されたため、ケフィエはパレスチナ国家を目指した闘争の象徴として存在感が大きくなった。

「かつては英国の植民地主義に抵抗する反体制派のアイデンティティを隠すために使われていたが、今はアイデンティティを表すシンボルとなっている」と、詩人のアシェク氏は語った。

人気急上昇のケフィエ

イスラエルによるガザへの侵攻が始まって以来、パレスチナ自治区最後のケフィエ製作工場、ヒルバウィ(Hirbawi)のウェブサイトでは、ケフィエのオンライン注文が急増している。

同工場の欧州のパートナー、ナエル・アルカシス氏はロイターに対し、ケフィエの製作能力が月産5000枚の同工場が、関心を示してくれた15万人の注文分を納入するには何年もかかるだろうと語った。

ベルリンにある中東系土産物店の店員、ロアイ・ハヤトレさんは、ガザでの紛争により需要が200%増加したと語った。

「シリアからの航空便を2回受け取る必要がありました」。ハヤトレさんの店は、彼が店のウインドウにパレスチナ国旗を掲げているせいで警察から監視されていた。

ベルリンとパリの警察は、顔を覆ってしまわない限り、ケフィエの着用は違法ではないと発表した。しかしベルリン警察によると、市民の安全が差し迫った危険にさらされていると判断された場合、屋外での集会が制限または禁止されることがあり、この際にケフィエの着用禁止も含まれる可能性がある。

パリ警察は具体的なケースについてのコメントを差し控えた。

ガッセン・ムゾーギさんは11月、パリでのデモ行進から離れようとした時に警察に呼び止められ、肩を覆っていた赤のケフィエを外すように言われた。

「警察官は冷静でしたが、メッセージは明確でした。ケフィエを外さなければ、帰ることはできないということです」39歳のコンピュータープログラマーであるムゾーギさんはこう語った。

科学者のヨスラ・メッサイさん(44)は、パリの地下鉄に乗っている時に警察官からケフィエを外すよう言われた。メッサイさんは拒否したが、無許可の抗議行動を開始したとして30ユーロの罰金を科せられた。

「ショックで涙が出ました。ケフィエは象徴であり、私たちにできる最低限のことなのです」

ロイター

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