
カイロ:テレビ局アル・ジャジーラによると、15日、イスラエルによるガザ南部の学校への空爆を取材していた同局のパレスチナ人カメラマンが死亡し、ガザ主任特派員が負傷した。
カメラマンのSamer Abu Daqqa氏とWael Dahdouh特派員は、南部の都市ハーン・ユニスにある学校に向かった。その日、学校が攻撃を受けた後のことだった。同局によると、彼らが学校にいる間に、イスラエルの無人機が2度目の空爆を行ったという。
Dahdouh特派員は腕と肩に重傷を負い、Abu Daqqa氏は血を流して倒れた。Dahdouh特派員は病院のベッドから、アル・ジャジーラに対し、学校から血を流しながら逃げることができ、数人の救急隊員を見つけたと語った。同特派員は救急隊員らにAbu Daqqa氏を探すよう頼んだが、彼らは危険すぎると言い、別の救急車が迎えに来ると約束したという。
「彼は叫びながら助けを求めていました。」とDahdouh氏は語った。その右腕には大きな包帯が巻かれていた。
その日の夜、アル・ジャジーラは、Abu Daqqa氏を救出するために学校に到着しようとしたが、道路が破壊された家屋の瓦礫で塞がれていたため引き返したと報じた。
同局の声明によると、Abu Daqqa氏はさらに数時間出血が続き、その後市民防衛隊員が同氏の死亡を確認したという。
パレスチナのリヤド・マンスール国連大使は、この戦争についての国連総会で、イスラエルは「(彼らの)犯罪を記録し、世界に知らせることができる人々、すなわちジャーナリストを標的にしている」と述べた。
「そのジャーナリストの一人であるSamer Abu Daqqa氏に追悼の意を表する。彼はイスラエルの無人機による空爆で負傷し、救急車が到着できない6時間もの間、出血を放置されて死亡した。」とマンスール国連大使は述べた。
ジャーナリスト保護委員会によれば、Abu Daqqa氏は、ハマスとイスラエルの間の戦争の勃発以降に殺害された64人目のジャーナリストである:内訳はパレスチナ人57人、イスラエル人4人、レバノン人ジャーナリスト3人である。
ハーン・ユーニス出身の45歳のAbu Daqqa氏は、2004年6月にアルジャジーラに入社し、カメラマンと編集者の両方を務めた。彼は3人の息子と1人の娘を残している。
AP通信はイスラエル軍にAbu Daqqa氏の死についてコメントを求めたが、同軍はすぐには回答しなかった。
カタールが所有するアルジャジーラは声明で、イスラエルに「アルジャジーラのジャーナリストとその家族を組織的に標的にし殺害した責任を問う」と述べた。
10月下旬、Dahdouh特派員の妻、息子、娘、孫が、避難していたガザ中心部の家への空爆により死亡した。当時同局は、イスラエルが意図的に彼の家族を標的にしたと非難した。
今月初めには、アルジャジーラのMomen Al Sharafi特派員の父、母、その他20人の家族が空爆で死亡した。
Dahdouh特派員は、多くの戦争におけるパレスチナ人を代表する人物としてよく知られている。彼は苦しみと苦難の物語を外の世界に伝えることにより、故郷のガザで尊敬されている。
ガザの保健省によれば、過去10週間にわたるイスラエルの空爆と地上攻撃によって、18,700人以上のパレスチナ人が死亡したという。戦争は、ハマスが10月7日にイスラエル南部を攻撃し、武装勢力が民間人を中心に約1,200人を殺害し、約240人を人質に取ったことをきっかけに勃発した。
AP