
バカ・アル・ガービア、イスラエル:ハイファから車で一時間のバカ・アル・ガービアでは、ガザ戦争でひどくなった労働力不足に直面するイスラエルの農家を助けるため、都会人が一時的にペンをすて、長靴に履き替えている。
教師であろうが弁護士であろうが、アラブ人であろうがユダヤ人であろうが、彼らは、余暇に、Mマルワン・アブ・ヤシンさんのようなアラブ系イスラエル人農家に収穫の手伝いをしに集まってきた。
イスラエルの市民権のあるアラブ人は、イスラエルの全人口の約20パーセントを占める。1048年のイスラエル建国時の大量追放後も残ったパレスチナ人の子孫らだ。
「私のところには、16人のタイ人労働者がいましたが、戦争が理由で9人がこの国を去りました。ヨルダン川西岸地区からの労働者が15人いましたが、道路封鎖で、もうイスラエルには来ません」とアブ・ヤシンさん(55歳)は話した。
ガザ地区での戦争は、10月7日にハマスが軍事境界線を越えてイスラエルに突入して始まった。
戦争が始まって以来、イスラエルは、ヨルダン川西岸地区からの約13万人の日雇い労働者への労働許可を一時停止している。
イスラエルの戦時内閣は、パレスチナ人労働者が戻ってくるのを許可するかどうかで割れており、インドのようなところから労働者を連れてくるという提案も出されている。
農業セクターは、他の主要な労働力源も失っている。タイ人だ。戦争前は3万人ほどに達していた。
タイ当局によると、イスラエルにいたタイ人の多くは、10月7日の攻撃後、イスラエルを去った。農家は、ボランティアの募集を始めたと、農家の取り組みの調整を手伝うアブラヒムさん(65歳)は話した。
「戦争から一週間後、私たちは、集まって、農業を救いたい人たち全員を動員すると決めました」と彼は話した。
「ボランティアは手伝ってくれましたが、経験を積んだ農業従事者が必要です」とイブラヒムさんは言う。
アル・ヤシンさんの農場では、通常、150ドゥナム(約15ヘクタール)の土地を耕作するが、今シーズンわずか7人の従業員だけで作業できるのは約50ドゥナムだけだ。それでも、彼には残りの土地を維持する費用がかかる。
ボランティアは、雨で中断するまで、彼の畑できゅうりを収穫し、苗をくいに固定し、いちごの収穫の準備をしていた。
引退した物理教員のユーセフ・サデルさんは、この作業で疲れ果てるのはわかっているが、「農家の人たちを少しでも応援できて」満足だと言った。
ユダヤ系イスラエル人ソーシャルワーカーのガイさん(56歳。姓は名乗らなかった)にとって、収穫のボランティアは「ユダヤ人とアラブ人の良好な関係のために非常に重要だ」という。
AFP