
戦禍に見舞われたスーダンの田舎道を通り過ぎる車の音に、村人たちは恐怖の色を隠せない。彼らは、国軍との戦争の中、南下して略奪を続ける準軍事組織の到来を恐れている。
「彼らは、完全なパニック状態を生み出している」と、ジャジーラ州の州都であり、軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」との間で激しい戦闘が繰り広げられているワド・マダニの北にある村に住むラバブさんは述べた。
AFPが取材した他の人々と同様、彼女は、8カ月以上にわたる戦争の間、一貫して民間人を標的にしてきた戦闘員たちからの報復を恐れ、名字のみを名乗ることを希望した。
23日には、ジャジーラ州の村で少なくとも8人がRSFの戦闘員によって殺害された。目撃者はAFPに対し、人々は略奪を阻止しようとして撃たれたと述べている。
スーダンの首都ハルツームが戦闘で制圧された後、50万人以上の人々が南で接するジャジーラ州に避難先を求めていた。
しかし今月、RSFがジャジーラ州の奥深くまで侵入し、スーダンに残された数少ない安全地帯を破壊、国連によれば30万人以上が再び避難を余儀なくされた。
逃げることができない、または逃げる意志がない人々は、赤十字が「もうひとつの死の罠」と呼ぶ状況に置かれている。
4月15日以来、スーダンはアブドゥルファッターフ・ブルハン将軍と、その元副官であるRSFのモハメド・ハムダン・ダガロ司令官との抗争に巻き込まれている。
米NGO「武力紛争発生地・事件データプロジェクト(ACLED)」の控えめな推計によると、11月末までに少なくとも1万2190人が戦闘で死亡した。
国連によると、この戦争によって700万人以上が避難を余儀なくされているという。少なくとも8万5000人がワド・マダニに避難した。
ワド・マダニの北30キロにあるアイクラ村では、ある住民がAFPの電話取材に対し、「RSFが車、トラック、トラクターなど、すべてを奪っていった」と語った。
彼もまた、RSFの暴力から身を守るため、匿名を強く希望した。
戦争前、ジャジーラは農業の中心地だった。
しかし、RSFがハルツームから南下するにつれ、同組織は広大な農地を占拠し、耕作する農民を恐怖に陥れている。
23日までに、ワド・マダニの南約140キロメートルにあるセンナールの北でRSFの戦闘員が目撃されているという。
RSFは財産の略奪において悪名高い。戦闘員が盗んだ車で遊んだり、家を破壊したりする様子を自らソーシャルメディアに投稿した動画を、避難した民間人たちは恐怖の目で見ている。
ワド・マダニの北50キロメートルにあるハサヘイサの市場では、AFPの特派員が、略奪者たちが欲しがらなかった商品が散乱する、ドアが開け放たれたままの商店を目撃した。
42歳のオマール・フセインさんは、家族で経営していた店舗の残骸の中に立ち尽くしていた。
彼らが所有するすべての店舗と車両が破壊されていた。「RSFは軍と戦争しているのか、それとも私たちと戦争しているのか」と彼は言った。
23日、同じくハサヘイサに住むアブディンさんは、「RSFの制服を着た、機関銃を持った7人の男たち」が自宅のドアを開けているのを見つけたという。
彼らは彼の私道の車について質問し、「銃を突きつけて車を奪った」。
ラバブ氏が強盗に襲われたとき、彼女はノックの礼儀を受けなかった。
「彼らは家の前で銃を発砲し、家の中に押し入り、すべての部屋を荒らし回った」と彼女は言った。
家宅侵入は、性的暴行と同様、RSFによる占拠行為の特徴である。
「スーダン女性暴力対策ユニット」よると、性的暴力のほとんどは「武装した男たち――被害者は、男たちはRSFの制服を着ていたと証言している――たちが家屋に押し入り、女性や少女を襲う」ことで起きているという。
RSFと国軍は、住宅街への無差別砲撃、民間人の恣意的拘束、拷問など、さまざまな組織的違反行為で告発されている。
ハルツームとワド・マダニの中間に位置するタンブルでは、RSFのメンバーが州の主要な市場のひとつを襲撃し、無差別に銃を乱射したと目撃者が語っている。
そして、多くの人がこの襲撃から逃げのびることができなかった。
命がけでこれらの惨状を記録している活動家たちによると、RSFは州内に検問所を設置し、逃げようとする市民を止め、引き返すよう命じているという。
RSFがワド・マダニを襲撃してから3日後、国軍は同市における「自軍の撤退」についての調査を開始したと発表した。
スーダン国軍のブルハン将軍は、ダルフール戦争で軍の代表として戦い、残虐行為で告発されたRSFが自由に行動できるようになった今、すべての「怠慢で無関心な人々」が責任を問われることになると警告した。
AFP