ニリン:ヨルダン川西岸地区の村、ニリンにあるモハメド・ムーサ氏の土地に点在する、節くれだったオリーブの木の年輪を数えてみれば分かるだろう。このパレスチナ人一家の生計がイスラエル占領の気まぐれに左右されるようになるはるか以前から、オリーブの木はここにあった。
イスラエルが10年前にムーサ一家の土地の近くに検問所を設置したとき、彼らは先祖代々の農場をイスラエルに入るパレスチナ人労働者のための駐車場に変えた。
しかし、10月7日にハマスの戦闘員がガザ地区からイスラエルを攻撃して以来、駐車場はほぼ空っぽだ。イスラエルは、さらなる攻撃を恐れ、ヨルダン川西岸地区からのパレスチナ人労働者のイスラエル入国を禁止したのだ。
戦争が始まって5カ月目、一家は貯金を使い果たした。スーパーへの支払いは滞っており、家財を売ってなんとか飢えをしのいでいる。
「母の金、自分の携帯電話と自転車も売った」とムーサ氏は語る。「もう売るものは何もない」
イスラエルによるガザ侵攻作戦は、2万8000人以上のパレスチナ人を殺害し、想像を絶する人道的危機を引き起こし、そしてガザの経済を壊滅させた。しかし、イスラエルがヨルダン川西岸地区との経済関係をほぼ完全に断ち切ったことも、そこに住むパレスチナ人に深刻な影響を及ぼしている。
経済学者やパレスチナ当局者によれば、ヨルダン川西岸地区は深刻な経済危機に直面しており、同自治区を管理するパレスチナ自治政府も弱体化しているという。一世代前の「パレスチナ暫定自治合意」により自治政府は拡大し、最終的には将来のパレスチナ国家を運営することになっていた。
イスラエルの決定による影響は、ニリンを見れば明らかだ。10月以前は、毎日1万人以上のパレスチナ人労働者がこの村の検問所を通過し、イスラエルの建設現場や農場に通っていた。イスラエルの買い物客も、ヨルダン川西岸地区に入るためにこの検問所を利用していた。
イスラエルの労働者ホットライン「Kav LaOved」によれば、戦争が勃発する前には推定20万人のパレスチナ人がイスラエル、およびイスラエルの入植地で働いていたという。これらの仕事で得られる賃金は、ヨルダン川西岸地区よりもはるかに高い。
現在、閉鎖された検問所のゲートはボルトで固定され、近くの監視塔では武装したイスラエル人警備員が目を光らせている。
ムーサ一家の一員としてニリンで育った38歳のアラ・ムーサ氏は、イスラエルの建設現場で働くために10年間毎日この検問所を通過してきた。10月7日以降、彼はヨルダン川西岸地区で同じような仕事を探したが、誰も雇ってくれなかったという。2人の子供を養うため、彼は今、近くのスーパーマーケットの善意に頼っている。
しかし、アラビア語とヘブライ語の看板を掲げたそれらの店舗も苦戦している。ニリンの通りはかつて、近隣の町や入植地からやって来る、食料品から自動車修理まであらゆるものを安い値段で買い求めるイスラエル人で賑わっていた。
家族経営のスーパーマーケットの店員であるアフマド・スロール氏は、輸送費や仕入先のコスト上昇のため、小売価格が30%上がったと語った。売上は70%減だという。
「あとどれくらい店を開けていられるかわからない」とスロール氏は語った。彼は10月以降、4つの隣接する店舗が閉店するのを見てきた。「1996年からここにいるが、このような状況は初めてだ」
以前は村民6400人の3分の1がイスラエルで働いていたが、全員が10月7日以降仕事を失ったと、自治体職員のニダル・カワジャ氏は語る。村の大学生の5分の1が授業料を払えずに学期を延期している。町の商業収入は40%減少した。
世界銀行によれば、ニリンで起きていることはヨルダン川西岸地区全域で起きていることであり、労働者の3分の1が失業しているという。政府職員の給与は削減され、軍の検問所の断続的な閉鎖が商業を窒息に追い込んでいる。
パレスチナ経済省によれば、イスラエルは領土内に400の検問所を設置しており、本来なら短時間で済むはずの物資の輸送を何時間もかかる大旅行にしているという。検問所が閉鎖されると、トラックの通行も妨げられる。イスラエルは、こうした制限は安全対策だと主張している。
パレスチナ経済省によると、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ経済は2023年最終四半期に5分の1以上縮小したという。同地域の企業の3分の1が閉鎖、または減産し、3分の1の雇用が失われた。1日の損失額は2500万ドルに達する。
「問題は危機があるかどうかではない」とニリン職員カワジャ氏は言った。「危機はすでにここにある」
領土最大の雇用主であるパレスチナ自治政府が給与を全額支払えないことが、この危機をさらに悪化させている。1990年代の暫定和平合意に基づき、イスラエルはパレスチナ人に代わって税金を徴収し、パレスチナ自治政府に送金している。10月以来、イスラエルの極右系財務相ベザレル・スモトリッチ氏はガザへの送金を保留しており、パレスチナ自治政府もまたその資金の受け取りを拒否している。
米国はイスラエルに対し、この資金を放出するよう繰り返し求めてきたが、効果はなかった。
先週、パレスチナ自治政府は1カ月以上遅れた末、12月分の給与の60%を労働者に支払うと発表した
「パレスチナ自治政府の財政危機が続けば、パレスチナ自治政府の崩壊につながる」とパレスチナのハリド・アル・エセイリ経済相はAPに語った。
「もし給料の支払いこそがパレスチナ自治政府の本質的な存在理由であるならば、自治政府は崩壊しても構わないという状況だ」とハリド氏は述べた。
この危機は、米国がヨルダン川西岸地区とガザを始めとする戦後のパレスチナ国家を統治するための「刷新されたパレスチナ自治政府」を求める声を強める中で起こっている。
イスラエル当局は、ガザからの労働者は二度とイスラエルに入国することはないと述べているが、イスラエルメディアは先週、当局が45歳以上のヨルダン川西岸地区の労働者に対し、イスラエルでの就労を認めるプログラムを検討していると報じた。
政府はまた、約8000人のパレスチナ人がイスラエルの入植地で働くことを許可している。しかし、この労働に関する取り決めの将来は不透明なままだ。
パレスチナ人労働者の不足はイスラエルにも影響を及ぼしている。イスラエル財務省は12月、経済は結果として毎月8億3000万ドルの損失を被っていると発表した。12月の時点で、イスラエル国内の建設現場の半分が閉鎖されている。
「産業は完全に停止している」と、イスラエル建築協会のラウル・サルゴ会長は12月にイスラエル議会で語った。「即時の代替はない。国家は私たちをパレスチナ人労働者に慣れさせた」
ニリンのモハメド・ムーサ氏は、検問所ができる前、そして駐車場ができる前、彼の土地が農地だった頃のことを話した。
そこで彼の家族は鶏を飼い、オリーブを搾ってオイルを作っていた。それが終わったのは、検問所でのイスラエル治安部隊とパレスチナ人の衝突が勃発し、家族の土地に催涙ガスの雲が広がった時だった。
イスラエルは、彼が違法に建てたとする鶏小屋の解体命令を裁判所で保留している。今、かつては農場だった駐車場には埃が積もり、雑草が生い茂っている。
「ガザでの戦争が終わることを願っている。それが最初の願いだ」と彼は語る。「それから、駐車場に客が戻ってくることを願っている」
AP