
モハメド・アル・シャマー
カイロ:つい最近までエジプト人は、「コロナ」といえば老舗のチョコレート製造会社を思い浮かべていた。
しかし新型コロナウイルスが出現して、この名称が全く別の意味を呈するようになった。
コロナ製菓会社になじみのある多くのアラブ人が、ウイルスの世界的流行が売り上げに影響を及ぼしたりブランドイメージを傷つけたりしているのではと考えている。
直感的な捉え方に反するようではあるが、コロナ製菓の販売部長アハメド・シャバン氏は、今回の健康危機が真逆の効果をもたらしていると述べた。
コロナウイルス感染が発生元である中国の武漢から世界中に拡散されるに連れ、売り上げは伸びていると彼は指摘した。現在、世界保健機関(WHO)が今回の流行はパンデミックであると公式に宣言した。
「エジプト国民は以前よりもコロナのチョコバーをたくさん買っています。多くの人々が店を訪れ、ウイルスとチョコレートの関連についてスタッフをからかいます。その会話の後にはたいていチョコレートを購入してくれるのです」とシャバン氏は言った。
コロナ直販店の販売員であるモハメド氏は、「当社の製品名とウイルス名との連想により、多くの人々が当店の商品を買ってくれています」と述べ、冗談めかして次のように付け加えた。「ウイルスがこれまでで一番の宣伝になっています」
深刻な話として、今回の流行はエジプト経済への脅威を増長させており、観光、貿易、天然ガスの輸出などを圧迫しているとロイター通信は報じている。
エジプトでは少なくとも80名の感染者が記録され、その多くはルクソールのナイル川クルーズ船乗船者だ。ルクソールはファラオの神殿が主要な観光名所となっている。
観光業は、2011年のエジプト革命以降に回復していたが、そこから初めて低迷の兆しを見せている。
しかしエジプト国民たちは、大好きなチョコレートを買うことは自制していない。
「私はコロナチョコレートで育ちましたが、そのチョコ愛は子供たちにも受け継がれています」とカイロの映画館従業員のアマニ・ワジド氏はアラブニュースに語った。
「コロナウイルスとコロナチョコレートの名前の偶然のつながりは、家で冗談のたねになっていますが、結局のところ私たちはコロナチョコレートが大好きなのです」
当初はロイヤルコロナ社という名称であったコロナは、1919年にイスマイリアというエジプト都市で創業した。
本社は後に沿岸都市のアレクサンドリアに移り、社名はコロナに変わった。当時のオーナーはトミー・クリストというギリシャのビジネスマンであったが、彼の寛大さは亡くなった後にまで従業員たちの間で語り継がれた。
「クリスト氏はスタッフを非常に寛大に扱い、給与やボーナスを気前よく支給しました」とシャバン氏は述べた。「彼はよく映画のチケットを従業員や作業員やその家族たちに配り、年初には毎回、コロナ製品を詰め合わせた大きな箱も支給していました」
自由将校団運動の主導による1952年の革命後の数年間、コロナ社は当時のガマル・アブデル・ナセル大統領の命令により国営化された。
ナドラー製菓会社がコロナとアルハワムディヤ・ファクトリーと合併し、1963年に、国営産業資産であるアレクサンドリアチョコレート製菓会社が誕生した。エンジニアであったモハメド・ラシャド・ザキ氏が取締役会長に指名された。
2000年に世界経済の低迷がエジプトに深刻な打撃を与え、コロナの市場シェアは落ち込んだ。会社は2000年に、より大きな政府の民営化・経済改革計画の一環として、サミサード・グループに売却された。
製造原料を輸入に依存していたためにコロナは、ドルの価値がエジプトポンドに対して上昇した2016年に負の影響を被ったとシャバン氏は言う。
それ以降会社は、外国為替変動の影響を抑えるために輸入原材料を国産原料に切り替えてきた。
民営化によりコロナチョコレートの売り上げ減少を食い止めることはできなかったが、同社は近年、サンドイッチビスケット部門とココア部門で国をリードする日用消費財(FMCG)企業として回復の道を歩んできた。
コロナ製品をもっぱら直販店のみを通して販売するというやり方は打ち切り、ハイパーワン、ザハラン、セオウディなどのスーパーマーケットと提携するようになった。
コロナは製品の約15%を輸出しており、米国、リビア、チュニジア、ケニアへの進出も図っている。
「昨年の輸出額は1000万エジプトポンドでしたが、2020年は2000万ポンド(130万ドル)にまで上げることを目標としています」とシャバン氏は述べた。「今年末までに40%の成長率を達成すべく、エジプト国内に製品販売業者を増やす計画を立てています」