
マイス・アル・ジャバル (レバノン):レバノン南部の避難民にとって、数ヶ月に及ぶ国境を越えた衝突で死亡した人々の葬儀は、故郷に戻り、イスラエル軍の砲撃による惨状を目の当たりにする辛い機会となっている。
「私の家は廃墟になっていました」と、国境の村マイス・アル・ジャバルにある瓦礫の山の前で、白い髭をたくわえた60歳の男性アブデル・アジズ・アンマルさんは言った。
プラスチック製の給水タンクだけが残っていた。
「両親の家も、兄の家も、甥の家も、すべて全壊してしまいました」と、今週、村出身のヒズボラ戦闘員の葬儀のためにマイス・アル・ジャバルに戻ってきたアンマルさんは語った。
イスラエルとレバノンの国境の両側の町や村の住民の多くが、安全のために自宅から避難している。
AFPの集計によると、イランに支援されたヒズボラ運動は攻撃を激化させており、一方イスラエルはレバノン領土の奥深くを攻撃している。国境を越えた暴力により、レバノン側では少なくとも419人が死亡している。
死者の大半はヒズボラの戦闘員で、その中にはマイス・アル・ジャバルの7人も含まれているが、少なくとも82人は民間人であり、そのうち3人はジャーナリストである。
イスラエルは、国境側で14人の兵士と11人の民間人が死亡したと発表している。
国連レバノン暫定軍のスポークスマンによれば、南部での葬儀の場合、レバノン軍は国連平和維持軍に通達し、国連平和維持軍はイスラエル軍に通達する。
平和維持軍は通常、国境付近をパトロールし、レバノンとイスラエルの間の緩衝材の役割を果たしている。
ヒズボラの拠点であるベイルート南部郊外に村を逃れたアンマルさんは、暴力の発生から2週間後に避難した。
国際移住機関によると、レバノン南部では9万3000人以上が避難し、イスラエル当局はレバノン北部から数万人を避難させている。
「私たちは葬儀のために来ていますが、家を点検しています。家が破壊されていない人たちは、持ち物を集めるのに時間を使っています」とアンマルさんは言う。
「この家は私たちにとって大きな意味があったのです」
「娘はいつも家が恋しい、いつになったら戻れるの?といっていました」
AFPのカメラマンは、緑の田園に囲まれた戦場に成り果てた村で、何十軒もの家屋が壊されたり、一部が破壊されたりしているのを見た。
葬列が瓦礫だらけの通りを横切り、人々はヒズボラを支持するスローガンを唱えていた。
ヒズボラの旗が風になびくなか、チャドルをまとった女性たちが一緒に歩き、シーア派イスラム教徒の色である黄色のスカーフを巻いたり、亡くなった「殉教者」の写真を持っている人もいた。
「私たちが武器を持っていようといまいと、私たちが村にいるだけでイスラエル軍の標的になるのです」とアンマルさんは言い、戦闘が葬儀であるからといっていつも止まるとは限らないと指摘した。
5月5日には、葬儀中の男性とその妻、子ども2人がマイス・アル・ジャバルへの空爆で死亡した。
彼らは、自分たちが所有する店から物を取るために村に戻っており、今は平穏な時だと信じていた、と地元メディアは報じた。
半壊した家の前で、人々は小型トラックに洗濯機、子供用ベビーカー、バイク、プラスチックの椅子など、できる限りのものを積み込んだ。
村の瓦礫の中には、こう書かれた看板が立てかけられていた: 「たとえあなた方が私たちの家を破壊しても、ミサイルは私たちの意志を断ち切ることはできない」
レバノン当局は、被害状況を完全に把握するために停戦を待っているが、約1700棟の家屋が破壊され、14000棟が損壊したと推定している。
救急隊員は、甚大な被害と住民のいなくなった村を報告し、多くのジャーナリストは激しい砲撃のため国境地帯への移動を渋っている。
補償手続きがあいまいなまま危機的状況にあるこの国では、全体の請求額はすでに15億ドルを超えると当局は見積もっている。
しかし、葬儀にも参列した村の住民ハリル・ハムダンさん(53)にとっては、「破壊は破壊だ」
「我々は再建する」とAFPに語った。
AFP