
ゲダレフ: スーダン東部の医師たちによれば、モハメッド・アル=ジュニードさんの妻は家を追われ、癌と診断された。しかし、治療への道は長く危険で、旅費もかかる。
「北部のメロエまでたどり着いたとしても、妻の番が来るまでどれだけ待たなければならないか、誰にもわからない」と、65歳の彼は、彼と彼の妻がこの国で激化する戦争から逃れ、安全を求めたゲダレフでAFPに語った。
2023年4月以来、軍と準軍事組織である迅速支援部隊との間の戦闘は、スーダンのすでに脆弱な医療システムを粉砕した。
世界保健機関(WHO)によれば、機能している病院は全体の30%にも満たない。
慢性疾患を抱える何万人もの患者にとって、それは前線を越えて長く危険な旅に出ることを意味する。
多くの患者が、戦闘から逃れるために50万人以上が避難している東部のゲダレフに集まっている。
ゲダレフにひとつだけある腫瘍治療施設(この国で最後のもののひとつ)では、色とりどりの伝統的なベールをまとった女性たちがベッドに横たわり、腕には化学療法の注射を持っている。
ジュニードさんの妻もその一人で、以前はスーダン中部のワド・マダニ病院で放射線治療を受けていた。
「彼女は再び放射線治療が必要で、メロエ病院でしか受けられないと医師から言われています」それは900キロ(560マイル)のドライブを意味する。
夫妻は、でこぼこ道を、検問所までの道を案内してくれる運転手を見つけた。運転手は4,000ドルで応じてくれたが、ジュニードさんにはとても払えない金額だった。
近くのベッドに横たわっていた学校の教師、ファテヤ・モハメッドさんは、「戦争が始まってから、がんがより攻撃的になった」と言った。
「ここでは化学療法の注射を打ってくれます。しかし、最低限CTスキャンが必要で、それは北東へ200キロ(125マイル)離れたカッサラでしか受けられない」
それは地球の裏側のようなものだ。この1年、モハメッドさんは政府からの給料を3カ月分しか受け取っておらず、どこにも行く余裕がない。
戦争前から世界最貧国のひとつであったスーダンは、戦争が最終的な打撃を与える前から、すでに資金不足で医療制度が行き届いていなかった。
首都ハルツームとそのすぐ南のワド・マダニにある2つの主要な腫瘍センターは閉鎖された。
ゲダレフにある27床の東腫瘍病院のような小規模な施設は、流入者に圧倒されている。
同病院のモタセム・ムルシ院長はAFP通信に、「2023年には約900人の新患を受け入れました」と語った。
「2024年の最初の3ヶ月だけで366人の患者を受け入れました」。
スーダンの15の腫瘍センターのうち、現在も放射線治療を行っているのはメロエのセンターだけであることが、10月にオンライン医学雑誌『ecancermedicalscience』に掲載された論文で確認された。
スーダンとカナダの病院に勤務する4人の医師である著者は、「治療費、交通費、宿泊費は多くの患者にとって手の届かないものであり、適切なケアを受けられずに迫り来る死に直面せざるを得ない」と書いている。
「現在の戦争中、腫瘍学サービスへのアクセスが制限されているため、4万人以上のスーダンのがん患者の命が危険にさらされている」と彼らは結論づけた。
たとえ末期患者が、病気と戦争の荒廃の両方による運命を受け入れたとしても、日々の肉体的苦痛から解放されることはない。
鎮痛剤を含む医薬品の深刻な不足は、患者が「耐えがたい痛みに耐えなければならない」ことを意味する、と著者たちは書いている。
WHOによれば、1000万人以上の人々が避難を余儀なくされているスーダンでは、「人口の約65%が医療を受けられない」という。
WHOは、閉鎖された病院と悲惨な医療不足により、「医療を求める人々の流入により、残された施設に大きな負担がかかり、圧倒される危険性がある」と警告している。
放射線治療を必要とする患者にとって最後の希望であるメロエでは、悪夢が現実のものとなった。
エルダマン腫瘍学センターの医師は、AFP通信の電話取材に対し、「24時間稼働する放射線装置が2台あります」
「そのうちの1台が故障すれば、たとえメンテナンスのためであっても、患者数がさらに増えることになる」と、疲労困憊した様子で語った。
AFP