エルサレム:火曜の夜、エルサレムのどこにいたかによって、イランによるイスラエルへのミサイル攻撃に対する反応は、熱心な祈りか歓喜の叫びのどちらかとなった。
西エルサレムの地下駐車場ではユダヤ教徒が祈りを捧げ、イスラエルに併合された東エルサレムのパレスチナ人地区では歓喜の声が上がった。
空襲警報が鳴り響くと、西エルサレムの中央バスターミナルにいた数百人が軍の呼びかけに従って地下に避難した。
駐車場に集まった人々の一部は宗教的な文章を読み上げ、また、他の人々は携帯電話に釘付けになっていた。
イスラエルの防空システムがイランから発射されたミサイルを迎撃する中、上空からは鈍い爆発音が響いていた。
屋外の暗い空には、東から光の尾が走り、聖都に爆発音が響き渡っていた。
エルサレム西部ムスララ地区のシェルターでは、住民たちがイスラエル国内の友人や親戚に電話をかけ、事態の推移について情報を交換していた。
名前を明かしたくないと希望するある男性はAFPに対し、「我々は物事を大局的に見ることができるが、子供たちはそうはいかない」と語った。
彼は、子供たちが「嫌な思い出」を持たないよう、駐車場にいた子供たちにお菓子を配った。
しかし、子どもたちは泣き叫び、警報の波の中で避難家族が続々とはいってきた。
当局が1時間以上も繰り返し警告を放送していたにもかかわらず、その脅威について聞いたことがなかったと驚く人もいた。
エルサレムの反対側には、1967年の戦争でイスラエルが占領し、後に併合した、東エルサレムのパレスチナ人地区シルワンがある。
シルワンでの警報発令時の反応について、AFPに語った住民がいた。
「パレスチナ人が最初のサイレンを聞いたとたん、笛が鳴り、拍手が起こり、『アッラー・アクバル(神は偉大なり)』という叫び声が上がった」と、夜空に炎の筋が現れた瞬間の様子を語る住民がいた。
彼女によると、人々はシェルターがないためそこには行かず、代わりに何が起こっているのかを見ようと、通りや屋根に出たという。
一方西エルサレムでは、安全宣言が出た後、17歳のAlonさんが小さなDIYショップに戻ってきた。
「エルサレムでアラートを聞いたのは6か月ぶりだ」と彼は言った。4月13日から14日の夜、イスラエルの宿敵であるイランが初めて無人機とミサイルで攻撃を仕掛けたことについて、彼はこう語った。
「怖くなかった」と彼は付け加えた。
AFP