
ロンドン:シリアの首都ダマスカスは、今月初め、反対勢力がバッシャール・アサド政権を迅速に打倒した後、混乱に陥った。数日のうちにダマスカスに平穏が戻ると、自分たちの街に対する新たな誇りに駆られた住民たちは、自治体サービスの崩壊にもかかわらず、近隣地域の清掃と平穏な生活を取り戻すために力を合わせた。
12月8日、ハヤト・タハリール・アル・シャーム率いる武装野党連合軍がダマスカスを制圧した。追放された政権下での14年にわたる戦争、経済破綻、放置によってすでにボロボロだったダマスカスは、無法地帯と暴力が長く続いた。
目撃者の証言によれば、「銃を持ったティーンエイジャー」や「武装した正体不明の凶悪犯」が市内とその近郊で無差別に銃を乱射し、略奪を働いたという。
民間企業、住宅、車両が破壊され、大学や公共施設は騒乱の矢面に立たされた。標的となったのは、オペラハウス、中央銀行、火を放たれた入国管理局の建物などである。
ダマスカスの住民はソーシャルメディアに目をくぎ付けになり、病院が流れ弾による数百件の手術患者であふれかえる中、武装連合の統一中央司令部である軍事作戦管理局に秩序を回復するよう求めた。
アフメド・ダミリエ元保健大臣によれば、この混乱で多くの医療スタッフが病院にたどり着けず、すでに勤務していた医療スタッフには多大な負担がかかり、休憩も食事もとらずに長時間働いたという。
ダミリエ前保健相は声明の中で、無差別銃撃の結果、アル・ムジタヒド病院だけで少なくとも450人の患者が発生し、燃料不足が公立・私立の医療施設に影響を及ぼしていることを訴えた。
軍事作戦管理局はこれに対し、12月9日の夕暮れから夜明けまで全市に夜間外出禁止令を出した。
アサド政権崩壊を祝う歓喜に沸くシリア人たちが、バース党の象徴やポスターを破り捨て、故ハフェズ・アサドの銅像を倒した。彼らの行動とともに、街路はゴミであふれかえり、自治体サービスの崩壊によって状況はさらに悪化した。
一方、シリアのニュースメディアによると、イスラエルはダマスカス全域で数十回の空爆を行い、メゼの軍用空港や、情報総局や税関のあるカファル・スーシの「治安広場」などを標的にした。街のあちこちから濃い煙が上がった。
アサド政権崩壊に興奮し、シリアの歴史における新たな章に希望を抱いていたダマスカス市民だが、2日間の混乱の後、広範囲に及ぶ破壊に落胆した。多くの人々が、ユネスコの世界遺産に登録されている旧市街を含む近隣地域の再生と清掃のために、大勢でボランティアに参加した。
火曜日には、マート・チーム、アンメルハ財団、サナド・チーム・フォー・ディベロップメントなどの市民社会団体が、モスクの導師や大学教授などの地域指導者たちとともに、首都に平穏が戻る中、清掃キャンペーンを組織した。ボランティアたちは、この活動の大部分はそれぞれの寄付によって賄われていると語った。
「これは私たちの義務です」とマート・チームの代表マルワン・アレズ氏は言った。
「アサド政権崩壊から3日目に清掃活動を開始しました」と彼はアラブニュースに語った。
「ソーシャルメディアで告知をしたところ、多くの人々が熱心にボランティアとして参加してくれました」
「私たちがイニシアチブを発表した日には、200人が手を差し伸べてくれました」
数日間続いたマートのキャンペーンは、メゼ地区、旧市街、特に象徴的なウマイヤド・モスクの西門にあるアル・ミスキエ広場、そしてアサド政権打倒後の早朝に略奪されたティシュリーン大統領官邸のあるムハジュリーン地区などで行われた。
「私たちのいつものチームは、新しいボランティアたちと作業全般を行いました」とアレズ氏は言い、キャンペーンは「自分たちがそれぞれができることに貢献し、自己資金で賄われました」と強調した。
アンメルハ財団のボランティアたちは、自分たちの街の復興に貢献したいと考え、それぞれの清掃用具を持ち込んだ。
市民活動家であり、アンメルハ財団の創設者であるモハマド・アブドゥラー・アルジャドー氏は、被害の大きさと路上のゴミの山を目の当たりにした後、彼と彼のチームは「その場で対応策を考案した」と語った。
「地元の人々が率先してボランティアに参加してくれた」とアラブニュースに語った。「箒やゴミ袋、掃除用具まで持ってきてくれた」
「私たちはグループに分かれまひた。ほとんどの人が地元の人々で、いつものボランティアだけではありませんでした」と彼は強調した。
チームは、歴史的なヒジャーズ鉄道駅があるアル・ヘジャーズ地区、アル・モハファザとして知られているユスフ・アル・アズマ広場、アル・ムジタヒド地区、SANA通信社近くのバラムケ、ジスル・アル・ライス、メゼのムワサット、アッバースィード広場を中心に清掃活動を行った。
アンメルハの数日間にわたるイニシアチブは、首都の中心部にあるウマイヤド広場にも及び、特にシリアの週末である金曜日に大規模な祝賀行事が行われた。
12月13日、何千人もの歓喜に沸くシリア人がダマスカスの通りに溢れ、ウマイヤド広場などの公共エリアに集まった。アサド政権崩壊を祝う音楽が拡声器から鳴り響く中、彼らはシリア反体制派の旗を振り、革命スローガンを唱えた。
アルジャドー氏は、アンメルハの努力はダマスカス中の病院(小児大学病院、ハラスタ、ドゥーマ、アル・ムジタヒド、アル・ムワサット、産科婦人科病院など)に及んだと指摘した。
「サンドイッチ2個、果物、野菜、ナツメヤシ、ジュースが入った食事を医療スタッフに配りました。地元の食品会社も参加し、追加の食べ物や飲み物を提供してくれました」
ダマスカスの郊外にある「人間の屠殺場」と呼ばれる悪名高いサイドナヤ刑務所からシリアの反体制派戦闘員が数千人を解放した後、多くの被拘禁者(衰弱し、過酷な環境による病気に苦しんでいた)が市内の病院に運び込まれた。
14年にわたる危機、経済制裁、治安上の課題によってすでに弱体化していた医療システムは、この流入によってさらに疲弊し、家族は行方不明の愛する人を求めて病院や死体安置所に押し寄せた。
アンメルハはのボランティアは、ダマスカス大学の人文学部、法学部、医学部、経済学部、農学部など、アサド政権崩壊後48時間の間に大きな被害を受けた大学にも焦点を当てた。
「今のところ、街は落ち着いています」とアルジャドー氏は語った。
ダマスカス大学の農業工学の学生、ハディール・アルカディさんは、アンメルハと共に街の復興にボランティアとして参加することに興奮を分かち合った。
清掃活動を「素晴らしい以上のもの」と彼女はアラブニュースに語った: 「これらのキャンペーンに貢献している若い男女は、たとえそれが大学や広場や通りを掃除することであったとしても、自分たちの国を再建したいという純粋な願望を反映しています」
医療スタッフのために食事の準備と配給に専念したボランティアもいたことに触れ、アルカディさんは 「彼らは明らかに、心の底から自分たちの国に惜しみなく与えたいと思っていたとおもう」といった。
「このすべてが、シリアのより良い未来への希望で私たちを満たしている」
もう一人のボランティア、ダマスカス大学の建築学生であるラヤン・キフォさんもまた、街の復興活動に参加した。
彼女はアラブニュースに、彼女がボランティアとして参加したSanad Teamは、WhatsAppを通じて作業の多くを組織していたと語った。「リーダーが集合場所と時間を送ってくれました」と彼女は語った。
「このキャンペーンは、利用可能な資源で国の状況を改善し、変化を生み出そうとする若者たちによって推進されました。初めて、この国は私たちのものであり、私たちに責任があると感じました」
「仕事は大変でしたが、愛する国のためにやる価値はありました」
「私たちの決意と能力で、私たちはこの国をより良いものにしていくのです」
「私たちの国は、私たちシリア人全員のものです」
ダマスカス大学の微生物学学生、バヤン・アルナクシャパンディさんは、近隣の清掃活動に精力的に取り組む中で、彼女と彼女の仲間たちが経験したつながりの深まりを振り返った。
「私たちの両親はいつも、祖国に誇りを持たせるために学校や大学で優秀な成績を収めるよう私たちを励ましてくれましたが、私たちが本当に祖国とのつながりを感じ、自分たちが祖国のために尽くしていることに気づいたのは、その時でした」と彼女は語った。
アルナクシャパンディさんは、サナド・チームとシリア・コミュニティ・サポート・チームの両方でボランティアをした。
彼女はアラブニュースに、ボランティアには「あらゆる年齢、あらゆる経歴、あらゆる宗派の人々が含まれている」と語った。
彼女によると、市民社会のリーダーや大学教授など、学生や高学歴の人が多く、「自分の手で掃除していた 」という。
「ある教授は5歳の息子を連れてきて、床に水をかけるのを手伝ったり、自分の2倍の大きさのほうきを持たしたりしていました」とアルナクシャパンディさんは笑いながら語った。
「2年前に田舎のアイン・タルマに引っ越すまで、15年以上住んでいたパキスタン・ストリートをチームが清掃すると聞いたときは、羨ましく感じました。私は彼らと一緒にそこにいたかった」といい、「自分の住んでいた通りを掃除するのだから、強い帰属意識を感じました。私の心は満たされています」