
チュニジア・タタウィーン:チュニジア最南端の町タタウィーンでは、若さとはしばしば失業状態を意味し、仕事を持っている者でさえ、いつかエネルギー業界で「本当の」仕事にありつきたいという夢を持っている。
抗議者たちは何週間もの間道路を封鎖し、町の外の遠く離れた砂漠にあるエル・カムールの石油施設に物資を届けようとするトラックの通行を阻止した。
先週末、デモ隊が治安部隊と衝突し、抗議行動は暴力的なものへと展開した。
「私たちが最も傷つくのは、神様は私たちにすべてを与えてくれているのに、私たちは事実上何も手にしていないことです」と、抗議者の多くと同様に石油業界での「本当の」仕事を望んでいたハレド・ジャディ(32)は語った。
抗議者たちは、数カ月にわたった座り込みの末になされた2017年の合意を政府が尊重するよう要求してきた。合意の内容は、この地域の開発に数百万ドルを投資し、数千人に仕事を提供するというものだった。
「私たちがエネルギー業界で働くための正式な訓練を受けていないという理由で、地域の人間は決して雇われません」と、ジャディは言う。
「私たちを1、2年間訓練して、仕事を与えるべきです」と、自身の教育が小学校の段階で終わっている若者は言う。
チュニジア南部は平均を上回る失業率やインフラの欠如、不十分な民間セクター等の問題を抱えた、国内でも最も取り残された地域の一つである。
タタウィーンの町名は行政区域の名前でもあり、チュニスから南に約550キロのサハラ砂漠の入口に位置する。
地域の学校は見捨てられ、近郊の都市の大学は工学や医学の学位を提供する海岸沿いの大学とは異なり、未来を築こうとする若者にとってキャリアの展望を期待できるようなものではない。
公式の推計によると、失業率は30%とチュニジアで最も高く、若者の失業率はかなり高い。
ザイン・アル・アービディーン・ベン・アリーを倒した革命から10年近くが経った今、政府はいまだ地域の格差を解決できていない。
修士号を持つモハメッドは、タタウィーンのカフェでウェイターとして働いているが、彼は自身を「失業中」だとしている。
モハメッドを最も苛立たせるのは仕事がないことよりも、機会が幅広く与えられないことだ。彼は職を見つけられるよう、政府が国立の学校の仕事を作ってくれることを望んでいる。
2019年の選挙運動中には市民権を剥奪されたチュニジアの若者たちに焦点を当てていたチュニジアのカイス・サイード大統領は、今年初めに南部地域の活動家たちと会談し、若者の窮状について話し合った。
火曜日、サイードはタタウィーンのデモ隊に対し、仕事を要求するだけでなく、自らの状況を「克服」するよう呼びかけた。
「自分で開発プロジェクトを提出すべきだ」と大統領は言った。
しかしハレド・ハンドゥーラは、民間セクターでは月給が300ユーロ(330ドル)以下であることも多く、雇用者が提供する給与の低さにも問題があると考えている。
職場での怪我によりエンジニアの仕事を失ったハンドゥーラは、「所帯を持てるような仕事はありません」と言う。
「結婚するにはお金が必要です」と彼は付け加えた。
政府からの支援は望めないため、「タタウィーンの若者の90%」にとって不法移住が依然としての唯一残された解決策となっているとハンドゥーラは語る。
「ここに留まるより、外国に行って1日50ユーロを稼ぐほうがましなのです」と、彼は言う。
将来の夢を尋ねたときの、彼の答えは暗い。
「夢はありますが、現実に打ちひしがれます。現実はまるで鉄筋コンクリートの壁のようです」
AFP
2018年1月14日(日)、にチュニジア・チュニスで行われた集会で国旗を掲げ、合図を送るチュニジア人女性。(AP)
チュニジア・タタウィーン:チュニジア最南端の町タタウィーンでは、若さとはしばしば失業状態を意味し、仕事を持っている者でさえ、いつかエネルギー業界で「本当の」仕事にありつきたいという夢を持っている。
抗議者たちは何週間もの間道路を封鎖し、町の外の遠く離れた砂漠にあるエル・カムールの石油施設に物資を届けようとするトラックの通行を阻止した。
先週末、デモ隊が治安部隊と衝突し、抗議行動は暴力的なものへと展開した。
「私たちが最も傷つくのは、神様は私たちにすべてを与えてくれているのに、私たちは事実上何も手にしていないことです」と、抗議者の多くと同様に石油業界での「本当の」仕事を望んでいたハレド・ジャディ(32)は語った。
抗議者たちは、数カ月にわたった座り込みの末になされた2017年の合意を政府が尊重するよう要求してきた。合意の内容は、この地域の開発に数百万ドルを投資し、数千人に仕事を提供するというものだった。
「私たちがエネルギー業界で働くための正式な訓練を受けていないという理由で、地域の人間は決して雇われません」と、ジャディは言う。
「私たちを1、2年間訓練して、仕事を与えるべきです」と、自身の教育が小学校の段階で終わっている若者は言う。
チュニジア南部は平均を上回る失業率やインフラの欠如、不十分な民間セクター等の問題を抱えた、国内でも最も取り残された地域の一つである。
タタウィーンの町名は行政区域の名前でもあり、チュニスから南に約550キロのサハラ砂漠の入口に位置する。
地域の学校は見捨てられ、近郊の都市の大学は工学や医学の学位を提供する海岸沿いの大学とは異なり、未来を築こうとする若者にとってキャリアの展望を期待できるようなものではない。
公式の推計によると、失業率は30%とチュニジアで最も高く、若者の失業率はかなり高い。
ザイン・アル・アービディーン・ベン・アリーを倒した革命から10年近くが経った今、政府はいまだ地域の格差を解決できていない。
修士号を持つモハメッドは、タタウィーンのカフェでウェイターとして働いているが、彼は自身を「失業中」だとしている。
モハメッドを最も苛立たせるのは仕事がないことよりも、機会が幅広く与えられないことだ。彼は職を見つけられるよう、政府が国立の学校の仕事を作ってくれることを望んでいる。
2019年の選挙運動中には市民権を剥奪されたチュニジアの若者たちに焦点を当てていたチュニジアのカイス・サイード大統領は、今年初めに南部地域の活動家たちと会談し、若者の窮状について話し合った。
火曜日、サイードはタタウィーンのデモ隊に対し、仕事を要求するだけでなく、自らの状況を「克服」するよう呼びかけた。
「自分で開発プロジェクトを提出すべきだ」と大統領は言った。
しかしハレド・ハンドゥーラは、民間セクターでは月給が300ユーロ(330ドル)以下であることも多く、雇用者が提供する給与の低さにも問題があると考えている。
職場での怪我によりエンジニアの仕事を失ったハンドゥーラは、「所帯を持てるような仕事はありません」と言う。
「結婚するにはお金が必要です」と彼は付け加えた。
政府からの支援は望めないため、「タタウィーンの若者の90%」にとって不法移住が依然としての唯一残された解決策となっているとハンドゥーラは語る。
「ここに留まるより、外国に行って1日50ユーロを稼ぐほうがましなのです」と、彼は言う。
将来の夢を尋ねたときの、彼の答えは暗い。
「夢はありますが、現実に打ちひしがれます。現実はまるで鉄筋コンクリートの壁のようです」
AFP