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「和解」の後:シリア政権による無言の弾圧

2018年以来、ダルアーの活動家グループが記録した軍離反者の死者は14人にのぼる。(ロイター)
2018年以来、ダルアーの活動家グループが記録した軍離反者の死者は14人にのぼる。(ロイター)
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03 Jul 2020 09:07:12 GMT9
03 Jul 2020 09:07:12 GMT9

ベイルート:シリア軍離反者のサラムは、本来なら保護を与えられるはずの政権との降伏協定に署名したが、兵役任務に出頭した後姿を消し、数か月後死亡を告げられた。

「弟は去り、二度と戻って来ませんでした」とサラムの兄がAFPに語った。

政府が奪還した地域でいわゆる和解協定に署名したにもかかわらず、政権軍の手によって失踪、死亡、または虐待を受ける元反政権派戦闘員の数は増加しており、サラムもその一人だ。

英国に拠点を置くシリア人権監視団によると、政権との降伏協定に署名した少なくとも219人が過去2年にわたり拘留されており、そのうち32人は政権の刑務所内での拷問または劣悪な環境ゆえに死亡した可能性が高い。

その多くは、2011年にシリアで起きた武装蜂起揺籃の地、制圧された南部ダルアー県の住民だ。

2018年にロシアの支援を受けた政権がこの地域を取り戻した後、ほとんどの反体制派は和解協定に署名してそこに留まることを決めた。

当時反体制派の戦闘員だった30代後半のアフマドと、その年26歳になる軍の離反者であり反体制派戦闘員だった弟のサラムもそこに含まれていた。

アフマドはロシア支援の政権部隊に加わることを選択し、弟が拘留されるかまたはさらに悪い状況へ陥ることを恐れて反対したにもかかわらず、サラムは降伏協定で要求されるままに兵役に戻ることを決めた。

「弟は、兵役のために自分の身柄を差し出すと告げるため電話してきました」と現在40歳のアフマドは、報復を恐れて偽名を使いつつ語った。「弟を止めようとしましたが、聞き入れてくれませんでした。」

降伏協定によれば、サラムは6か月以内に以前所属していた連隊へ戻ることになっていた。

最終期限の2か月前、入隊するためダマスカスの軍事局へ行き、その後完全に姿を消した。

2019年に問い合わせ、死亡日時と遺体番号の走り書きメモによる政府の回答を受け取るまで、親族には何も知らされなかった。

アフマドは弟の死を信じようとしないが、もし死んだとすれば、刑務所での拷問または劣悪な環境が原因だっただろうと述べた。

「和解協定に同意したのは、身の安全を図る道が他になかったからです」とアフマドは述べた。「私はなんとか自分の身を守ることができましたが、弟はうまくいかず、いなくなってしまいました。」

2018年以来、ダルアーの活動家グループが記録した軍離反者の死者は14人にのぼる。

Martyrs’ Documentation Centerによると、一部の人々は検問所で止められ、残りは軍に再入隊しようとした後死亡した。

だが同センターによると、「政権は遺体を家族に引き渡したことも、埋葬地を知らせたこともない」という。

アムネスティ・インターナショナルの研究員であるダイアナ・セマーン氏は、ホムス、ダルアー、ダマスカス郊外での降伏協定違反に関しシリア政府を告発した。

「シリア政府の支配下にある地域、特に政府と『和解』した地域に住んでいる人々は、引き続き恣意的な拘留、拘留中の拷問および死亡という危険にさらされ続けています」と同氏は述べた。

Martyrs’ Documentation Centerのオマール・アル・ハリーリー氏によれば、和解協定には政府への反乱以外の犯罪に対する恩赦は含まれていない。

したがって、「政権は多くの人々に対する刑事罰をでっち上げた」か、軽犯罪を逮捕の口実に使っていると同氏は述べた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのSara Kayyali氏は、拘留、拘留中の拷問および死亡が続いていることで、降伏協定が「完全に無効」となっていると語った。

これは「人々を誤って安心させるために作られた見せかけの協定で、現場ではほぼ効力を発揮していない」と述べた。

また、政府が所有する地域への帰還を検討している個人に対する「非常に悪いメッセージ」となっているとも付け加えた。

権利団体の情報筋によると、そうした帰還を思いとどまらせる事例の一つとして、2018年に和解協定に署名した数日後に3人兄弟が逮捕された。彼らのうち2人が元反体制派の戦闘員だった。それ以来、彼らを見たものはいない。

さらに、早くも2014年には当時25歳の反体制派戦闘員オマールが、ホムスの中心都市で2年に渡る包囲の末、政権軍に降伏した。

反体制派に加わる前彼は軍から離反したとオマールの兄弟はAFPに語った。

降伏協定の下、オマール(偽名)は2日間尋問を受け、その後6か月以内に軍に再入隊しなければならないと告げられた。

しかし、そうなる代わりにオマールは他の元戦闘員たちと共に学校で数ヶ月間監禁され、拷問で悪名高いダマスカスのサイドナヤ刑務所に移送された。

「4年の間、オマールが中で確実に生き延びられるようにするためだけに金を払いました」と彼の兄弟は語った。オマールはようやく解放されたが、逃げられる見込みもなく直接軍隊に送り返された、と述べた。

「もう一度逃げ出したいと望んでいますが、打つ手がないと感じています。」

AFP

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