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ヨルダン川西岸をめぐる、20年にわたる法廷闘争が終わろうとしている

EU代表団長の一団とイスラエルのNGOSは、南ヘブロン丘陵にあるマサファー・ヤッタ地域のパレスチナ人コミュニティを訪問した。(AFP)
EU代表団長の一団とイスラエルのNGOSは、南ヘブロン丘陵にあるマサファー・ヤッタ地域のパレスチナ人コミュニティを訪問した。(AFP)
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24 Oct 2020 04:10:43 GMT9
24 Oct 2020 04:10:43 GMT9
  • ヒルベト・アル・マジャズを含む、12の孤立した小村に住む、マサファー・ヤッタのベドウィンの住民が初めて追放されたのは1999年だった

ヒルベト・アル・マジャズ、パレスチナ:ヒルベト・アル・マジャズは、ヨルダン川西岸の長く、ほこりっぽい道の先にある砂漠地帯で、20年にわたる法廷闘争の中心地には見えないかもしれない。

しかし、数年にわたる法的争いの末、岩山で腰を下ろしていたパレスチナ人のベドウィンは、この地域を訓練地だと宣言するための軍の取り組みをイスラエルの高等裁判所が受け入れた場合、最終的に追放されるかもしれない。
1967年の6日間戦争以来ヨルダン川西岸を占領しているイスラエル軍は、ヒルベト・アル・マジャズに基地を持っていないが、今週初めに外交官が訪問した際、やぎの群れがそこで草を食べているのが目撃された。

1980年代初頭、軍は、ヨルダン川西岸の南端にある、マサファー・ヤッタとして知られる3000ヘクタールの土地を、立ち入り禁止の軍事地域だと宣言し、「射撃区域918」と呼び、人は住んでいないと主張した。

そこに住んでいる約1000人のベドウィンは、イスラエル兵がヨルダン川西岸に足を踏み入れるずっと前からマサファー・ヤッタは彼らのふるさとだと言っている。

占領に反対するイスラエルのNGOベツェレムの代表であるHagai El-Ad氏は、「その地域を射撃区域だと宣言したのは口実でした。パレスチナ人の領土を浄化することが目的です」と述べた。

ヒルベト・アル・マジャズを含む、12の孤立した小村に住む、マサファー・ヤッタのベドウィンの住民が初めて追放されたのは1999年だった。

翌年、イスラエルの人権協会は、約200の家族が法廷で、追放されたことに異議を唱えるのを支援した。

彼らは一時的救済を確保し、それは効力を持ち続け、この事件の最終判決が下されるまでパレスチナ人はその土地にとどまることができた。

イスラエルの高等裁判所は今後数カ月のうちに最終判決を下す予定だ。

ベドウィンはこの地域で永久構造物を建てることを禁止されているため、仮設シェルターに住んでいる。「住居を追われることを常に恐れています」と、地元の地域評議会の会長であるNidal Younes氏は述べた。

8月に開かれた前回の法廷審問以来「軍は以前よりも頻繁に来て、シェルターを壊して住民を追い出す、と脅しています」と同氏は述べた。

占領されているヨルダン川西岸の多くの場所では、パレスチナ人はイスラエル軍の許可なしに建造物を建てることができない。

許可は多くの場合拒否され、許可のない建造物は破壊されることが多い。

ヒルベト・アル・マジャズの反対側の丘には、そのコミュニティの学校がある。4棟の建物が立つキャンパスの大部分は波形鉄板でできている。

校長のJad Nawajah氏は、「我が校は重大な困難に直面しています」と述べた。

イスラエル軍は、同校につながる「配電・水道施設」の設置および「道路の整備」が行われるのを阻止した、と同氏は述べた。

軍は同校の貯水タンクとトイレの破壊命令を出した。

その外交訪問を主導した、エルサレムのEU代表Sven Kuhn Von Burgsdorff氏は、EUは「道徳的責任と人道的責務から、このコミュニティを支援し続けます」と述べた。

イスラエル軍はAFP通信に対し、射撃区域918は「中心的な訓練場」だと語った。

実弾演習は、高等裁判所が出した、2000年の仮差し止め命令が有効な間は禁止されるが、「他の訓練は実施される」と軍は発表した。

軍の広報担当者はさらに、「この地域で違法に建築することを始めたパレスチナ人住民が長年にわたって閉鎖命令に違反し、IDFの訓練実施能力を著しく低下させた」と語った。

しかし、ヨルダン川西岸の土地収用を調査している、イスラエルの組織Kerem Navotは、占拠されている土地の18%が「射撃地区」に分類されているが、実際に軍事訓練に使われているのは、指定された土地のわずか20%だと発表した。

今年、イスラエル・パレスチナ紛争研究機関Akevotは1981年の文書を発表した。その中で、当時農業相でその後首相になるアリエル・シャロン氏は射撃地区の設置を提案されていた。

シャロン氏はその文書の中で、軍に「特別な訓練区域」を与えたいと述べ、これらの区域はイスラエルにとって「重要」であると述べたと伝えられている。

やぎの皮に身を包み、足を引きずりながら歩いていた居住者のOum Awadさんは、イスラエル軍の分類に関係なく、マサファー・ヤッタは自分のふるさとだ、と訪ねてきた人たちに主張した。

たとえイスラエルが彼女から「最も基本的なこと」を奪ったとしても、「私たちは自分たちの土地を離れたくありません」と彼女は語った。

AFP

 

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