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ヒズボラ批評家のロクマーン氏、南レバノンで射殺

ヒズボラ反対派のジャーナリストで活動家のLuqman Salim氏が発見された車の側で、集まっている警察官達。(ロイター通信)
ヒズボラ反対派のジャーナリストで活動家のLuqman Salim氏が発見された車の側で、集まっている警察官達。(ロイター通信)
ヒズボラ反対派のジャーナリストで活動家のLuqman Salim氏が発見された車の側で、集まっている警察官達。(ロイター通信)
ヒズボラ反対派のジャーナリストで活動家のLuqman Salim氏が発見された車の側で、集まっている警察官達。(ロイター通信)
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05 Feb 2021 03:02:33 GMT9
05 Feb 2021 03:02:33 GMT9
  • スリム氏はシーア派グループ内での非宗教的な発言の主唱者で、ヒズボラに対する姿勢をめぐって日常的に脅迫を受けていた。
  • 代理人のハッサン・ディアブ首相は「徹底的に捜査する」と約束

ベイルート: ヒズボラへの対立で知られる著名なレバノン人活動家で有識者であるロクマーン氏が、木曜日に南レバノンで同氏の所有する車内で射殺されているのが発見された、と治安当局者が語った。

ベイルート港での激変的な爆発からちょうど6カ月後に発生したこの殺人事件は、海外から即座に非難され、同氏の持つ多くの友人達からは敬意が表された。

58歳のロクマーン・スリムはシーア派グループ内での非宗教的な発言の主唱者で、ヒズボラ反対派という姿勢に対して日常的に批判され、たびたび脅迫を受けていた。

ベイルートの最高裁判所前の抗議中、所有する車の中で死亡しているのが発見されたロクマーン・スリムの写真を持つ抗議者、2021年2月4日。(AP通信)

「彼は所有する車の中で死亡しているのが発見された」、と治安当局高官が匿名を条件にAFP通信に伝えた。スリム氏は頭に5回、背中に1回撃たれていたと付け加えた。

予備情報によると、同氏は前日の夕方に車で出発してから数時間後の午前2時から午前3時(グリニッジ標準時0000からグリニッジ標準時0100)の間に殺害されたとされる。

死亡が確認される前にもかかわらず、スリム氏の姉妹はヒズボラの名を出さずに、同氏の失踪は必然的に兄弟の主張と関係しているとAFP通信に伝えていた。

ロクマーン・スリム氏はたびたびヒズボラを批判していた著名なレバノン人活動家であった。(AFP通信)

スリムの親族が実家に集まり、友人達が徐々に哀悼を示しに現れる中、涙を浮かべたラシャ・アルアミール氏が感嘆と共に故人となった兄弟を思い出していた。

「いつも尋ねていました、『ロクマーン、牢獄みたいに閉ざされたこの国で、そんなに自由に考えを語るのが恐ろしくないの、て』と語った。

「彼は死を恐れていないといつも言っていました。彼らは類い稀なる人物を殺したのです」と言った。

アミールは、イランが支援するシーア派武装集団が広く責任とされている、イラクで相次ぐ暗殺と関連付けていた。

人々は続いているレバノンの政治的殺人の最新事件としてコメントを寄せており、レバノンのソーシャルメディアはこの殺人事件に沸いている。

ヒズボラ反対派のジャーナリストで活動家のロクマーン・スリム氏が発見された車の側で、集まっている警察官達。(ロイター通信)

ヒズボラ支持者たちにとって長年憎悪の対象で、西洋社会の操り人形だと非難されていたスリムは、身辺警護をつけることなく生活していた。

非宗教的な知識人で民主主義の活動家であった彼はレバノンの暴力的な過去を歴史にするために協会を設立し、妻であるモニカ・ボーグマン氏といくつかのドキュメンタリー映画を製作し、出版活動も行っていた。

代理人であるハッサン・ディアブ首相は「この凶悪な犯罪が説明責任を逃れることはない」よう、徹底的に調査することを約束した。

宗派を超えた民主化反対運動がまだ連日集まり、ベイルート中心部の一部を占領していた2019年後半、ヒズボラを支持する凶徒や、もう一方の主なシーア派団体であるアマルはいくつかの暴力事件に関与していた。

抗議者達に暴行を加え、同年12月にはベイルートにあるスリム氏の自宅の壁に、裏切者と呼び「時は来る」と警告するメッセージを塗り上げた。

当時スリム氏はもし彼や彼の家族に何かあれば、ヒズボラとアマルの主導者、順にハサン・ナスルッラーフ氏と議会議長のナビーフ・ビッリー氏に真っ向から責任を負わせると言っていた。

彼の友人たちは、彼は常々敵が彼を殺すまでには至らないだろうと考えていたという。

ヒズボラ本拠地の中心地にあたる、南ベイルートのDahiyehにあったスリム氏の別荘の門はいつも開いていた。

2005年に射殺された歴史家のサミル・カーサー氏以来で、最も著名なレバノン人有識者の一人であるスリム氏は、1962年にベイルートで生まれ、1975年から1990年の内戦の後半にフランスで学んでいた。

首都の港で200人以上の死者を出し、その近辺一帯を破壊した壊滅的な爆発からレバノンが6ヶ月を迎えたところに、彼の死が訪れた。

歴史上で核爆発でない中でも最も大きな爆発を起こしたのは、港の倉庫で長年保管されていた爆薬の硝酸アンモニウムであった。

だがその原料の存在と発火に関するレバノン独自の調査は、完全に行き詰まっている様子である。

ヒズボラと敵対する者たちは、爆発を受けてレバノンの税関と港の警備に対するシーア派武装集団の影響を指摘していた。

司法当局によると、爆発の調査を任された検察官は今週、シリア人実業家と関係する可能性について調査し始めた。

レバノンのヤーン・クビシュ国連特使はスリム氏の殺害に悲しんでいると記し、彼を「正直で自立した勇気ある代弁者」と表現した。

更に彼は付け加えて、港の爆発事件とは違いスリム氏の殺害に関しては「迅速に明瞭な方法」で調査されるべきとした。

フランス大使のアンヌ・グリロ氏はソーシャルメディアでスリム氏の殺害に関して、「心が大きな悲しみに支配されている」と語った。

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