
ハゼム・バルーシャ
ガザ市: 木曜日、ムハンマド・アブ・ファレス氏の家族と親戚は人生で最も恐ろしい夜を耐え忍んだ。イスラエルの大砲がガザ地区北部の町に壊滅的な爆撃を行ったのだ。
「砲弾が爆発し、人々が悲鳴を上げるのを聞きました」ベドウィン村に住むアブ・ファレス氏(27)がアラブニュースに語った。
「何か起きているのかを確かめるため、すぐに外へ飛び出しました。隣の家に爆撃が命中し、近所の人たちが遺体や怪我人を運ぶのを手伝っていました」
「恐ろしい光景でした。何体もの遺体が横たわり、怪我人が助けを求めて泣き叫んでいました。私は6体の遺体を路上に運び出しました」アブ・ファレス氏は語った。
イスラエルの大砲はガザ地区北部の国境エリアを狙ったもので、そこにはベイト・ハヌンやベイト・ラヒヤの町、そしてベドウィン村があり、何千人もの住民が家から逃げ出し、国連の学校に避難することを余儀なくされた。
3人の怪我人に付き添って救急車で病院まで行った後、アブ・ファレス氏は家族とともにUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関:United Nations Relief and Works Agency)の学校に行った。
この国連の支援機関は声明で次のように述べた。「昨晩の時点で、何百人もの人々や多くのパレスチナ人の難民が、特に北部地域やガザ市内のUNRWAの学校に安全な避難場所を求めて避難してきています」
「UNRWAは指定された学校を迅速に、適切に管理された避難所にしなければなりません。2021年、状況は少々異なっており、今我々は新型コロナウイルスのパンデミックを考慮し、人々が狭いスペースに詰め込まれてウイルスが広がるリスクを最小限にする方法を考えなければなりません」
イスラエルがガザ地区、特に北部エリアを攻撃した。真夜中を少し過ぎた頃に始まって30分以上続き、住民を恐怖に陥れた。
ルブナ・ユーニス氏(37)はアラブニュースに次のように語った。「夜の間、私たちは耐え忍んでいました。その間、何度も死を目の当たりにしました。何が起きているのか、砲弾がどこから飛んできているのか、私たちには分かりませんでした。もうおしまいだと思いました。爆撃は無差別なものになり、イスラエルの戦闘機が所構わず家々を爆撃しました」
パレスチナ保健省によると、イスラエルの攻撃による死者数は122名に上り、子供が31名、女性が20名、さらに900名の怪我人が発生したという。
金曜日、路上は無人で、商店は一部の食料品店以外は閉まったままとなっていた。
水曜日の深夜にイスラエルの爆撃によって近所の6件の家が破壊された後、マムドゥー・ムタイア氏(42)は近所の人々とともに自身の家の玄関前に座り込んでいた。
「起きたことを、そして今も起きていることを、私の心は理解できません。理解を超えています。論理がありません。15分後、いたるところに死と煙と闇がありました」ムタイア氏がアラブニュースに語った。
「無数のロケット弾が夜中に突然降ってきて、目の前の全ての家々を破壊したのです。割れたガラスが一面に広がり、家の下にあった車は壊れ、子供たちは恐怖におののきました。私は子供たちと妻を抱きしめました。私たちは泣きながらキスをしました。まるで人生の終わりのようでした」ムタイア氏はそう語った。