
ハゼム・バルーシャ
ガザ市:イスラエル軍の戦闘機は日曜日、ガザ地区の各所を爆撃し、広範囲にわたって破壊を引き起こした。爆撃は7日間連続で行われている。日曜日の爆撃によって数十人のパレスチナ人が死亡し、その多くは女性や子どもだった。
最も激しく行われた爆撃では、戦闘機が夜半過ぎにガザ市中心部のアル・ウェダ通りを攻撃した。この攻撃により、女性16人、子ども10人を含むパレスチナ人42人が死亡、約50人が負傷した。
イスラエル軍のミサイルにより3軒の住宅が完全に破壊された。そのうち2軒はアル・クラック家、もう1軒はアブ・アル・アフ家のものだった。
ダラル・アル・クルクさん(33歳)と2歳の息子は、この爆撃の生存者だ。彼女は夫のモハメドさんと3人の娘を殺され、言葉を失った。
彼女の父親のアハメド・アル・マグリビさんは、破壊された家の外で、3人の娘の遺体が運び出されるのを待っていた。
3人の娘の遺体は、パレスチナ市民防衛隊によって運び出されるまで、約15時間も瓦礫の下に埋もれていたのだ。
「悲しみ、恐怖、怒りなど、言葉では言い表せない気持ちです。私の娘は今、ショックの只中です。3人の孫と娘の夫は殉教しました」とアル・マグリビさんは話した。
「彼らが残りの人生をどうやって生きていくのか、私にはわかりません。ガザでの生活は、不安と恐怖に満ちています。どこにも安全はありません。通りにいるすべての人が、それぞれのドラマの中で、そのすべてが痛みと疲労に満ちています」
パレスチナ保健省は日曜日の夜、イスラエル軍の爆撃が始まって以来、子ども58人、女性34人を含むパレスチナ人192人が死亡したと発表した。
イスラエル軍の戦闘機はアル・ウェダ通りから数百メートル離れた建物を攻撃した。建物の一部が破壊され、少なくとも住人1人が死亡した。
アヤ・アロールさん(25歳)は病院で母親の隣に横たわっていた。彼女らはアロールさんの父親が亡くなった後、爆撃によって負傷した。
「とても怖いです…… 私が住んでいる地域では、爆撃が激しく始まりました。突然、私は母と一緒に通りに放り出されました。そして、私たちの上にたくさんの瓦礫がのしかかりました」とアロールさんはアラブニュースに語った。
「私は全力で瓦礫を持ち上げてどかそうとした。この力がどこから来たのかはわかりません」とアロールさんは付け加えた。
「私は灯りのついている通りを見つけるまで走り続けました。そして、近所の人が来るまで大声で叫びました。彼らに母を瓦礫の下から出したいと言いましたが、彼らは私を救急車で病院に連れて行くといって聞きませんでした。そのあと、私は母と病院で会うことができました」と話したアロールさんは、自分の傷について、「こんな顔でどうやって生きていけばいいのかわかりません」と述べた。