

シェルシャ・ネワビ
カブール: タリバンに対するアフガニスタン最後の砦が陥落したと発表されたが、パンジシール渓谷では4日、タリバン戦闘員とアフガニスタン国家抵抗戦線との間で戦いが継続中であることを、両陣営が認めた。
パンジシールでは、8月中旬から散発的な戦闘が始まっていたが、先週、米軍が20年に及ぶアフガニスタン駐留の終結と完全撤退を正式に発表した後、本格的な戦闘状態へと突入した。
タリバン情報筋は3日夜、前日から複数の部隊による攻撃を開始し、北部の山岳地帯を掌握したとメディアに語った。しかし、深夜に耳をつんざく祝砲の音がカブール市内に鳴り響く中、パンジシール抵抗勢力の指導者たちは、自分たちの地域が陥落したとの主張を否定している。
アフガニスタン国家抵抗戦線(NRFA)の指導者は、アハマド・マスード氏と、2週間前にタリバンがカブールを制圧して政府が崩壊するまでアフガニスタン第一副大統領を務めていたアムルラ・サレハ氏であるが、彼らはSNSを通じて、自分たちはまだパンジシールにいると宣言した。
タリバン側も、戦いが続行中であることを認めている。タリバン文化担当部門のメンバーであるエナムラ・サマンガニ氏は、タリバン戦闘員が同地域でテリトリーを拡大させているとアラブニュースに語った。
「戦いはまだ継続中であり、我々のイスラム戦士たちはパンジシールにいる。今回の戦いで、敵側は大量の死傷者を出し、我々は陣地を広げつつある。間もなく、パンジシールを制圧して我々が大きな勝利を得たという国家にとって良い知らせが届くだろう」とサマンガニ氏は述べた。
しかし、地元民兵組織や元国家治安部隊の戦闘員数千人からなるNRFAの情報筋によると、犠牲者を出したのはタリバン側であり、パンジシールの山岳地帯と外部とをつなぐ2つの経路のうちのひとつであるハワク峠を入ったところで、多くのタリバン兵が命を落としたという。
あるNRFA司令官がアラブニュースに語ったところによると、3日夜の同渓谷への攻撃は、タリバン特殊部隊「レッドユニット」によるものであったという。
「昨夜のパンジシールへの攻撃を担当したのはタリバンのレッドユニットであったが、彼らは敗北した」と同司令官は述べ、タリバン側に夥しい死者を発生させた上に、さらに200人のタリバン兵を捕獲したと語った。
アラブニュースは、これらの主張を独自で確認することはできていない。
伝えられるところによると、パンジシール渓谷への道はタリバンにより遮断され、この地域への往来ができなくなっているという。
パンジシール州民である54歳のアブドル・ラハマン氏は、帰宅しようとしていたところ、隣接するパルワン州の州都チャリカルへ送り返されたとアラブニュースに語った。
「私たちは今日、パンジシール州へ行こうとしていたのですが、私たちがパンジシール州へ行くのだと聞いてタリバンは、パルワン州の中心都市チャリカルから帰るようにと命令してきました」と彼は述べた。
カブールから約150キロ北に位置するヒンドゥークシュ山脈の山奥の、狭い山道を通ってしかアクセスできないパンジシールには、長い抵抗の歴史がある。
現在の抵抗戦線指導者マスード氏の父親である故アハマド・シャー・マスード氏は、1980年代に、アフガニスタン国内の他の多くの地域を掌握することに成功したソ連軍からこの地域を守った。1990年代には、第一次タリバン政権に対する攻撃を指揮した。2001年、タリバンが米国主導の侵攻軍により失脚する数週間前に、彼は暗殺された。
パンジシールを制圧すれば、タリバンにとってはアフガニスタンを完全に掌握したことになる。1996年から2001年にかけて、最初にこの国を支配した時には果たせなかったことだ。
アフガニスタン新政府の指導者になると広く予想されているムッラー・アブドル・ガニ・バラダル氏は、新政権は「アフガニスタン国民のあらゆる派閥を受け入れる」と述べている。
「我々は、人々の生活環境を改善するために最善を尽くしている。政府は安全を提供する。それが経済発展に欠かせないものだからだ」と彼は述べた。