
ラバト:サレハ氏はテロ容疑で19年間モロッコの刑務所に収監されているが、脱急進化(非過激化)プログラムのおかげで、近いうちに解放されることを望んでいる。
現在は50代のひげ面の囚人である彼は、かつて強硬派で、暴力を正当化する信念を持っていたという。
彼は「イスラム教徒には、イスラム法を尊重しない抑圧的な支配者と戦い、イスラム教徒と戦う国家を攻撃する義務があると信じていました」と、ラバト近郊のケニトラ刑務所の図書館でAFPに語った。
しかしそれらの考えは、彼のいうところの「私には理解する資格のない」コーランや、預言者ムハンマドの言葉を文字通りに読んだ上でのものだった。
今日、この北アフリカの王国の「ムーサラハ(Moussalaha:和解)」プログラムプログラムを通過した彼は、猶予を期待している。
2015年に開始されたこのプログラムは、モロッコ刑務所管理・社会復帰総本部(DGAPR)がいくつかのパートナー団体とともに主導しており、自分の信念に疑問を抱きはじめるテロ被疑者を支援することを目的としている。
サレハ氏は1990年代にイタリアに移住した後、トリノのモスクで、1981年にエジプトのアンワル・サダト大統領を暗殺した、エジプトのジハード主義グループ「ジェマ・イスラミア」に所属するイマーム(指導者)と出会い、過激派への道を歩み始めたという。
2001年、彼はかつて「異教徒の国」と呼んでいた同国を離れ、家族とともにタリバンの支配下にあるアフガニスタンに移住した。
しかし、9月11日の米国同時多発テロにより、彼の計画は変更を余儀なくされた。
アメリカがタリバンに侵攻し、崩壊させるという脅威にさらされたため、彼はモロッコに帰国、しかしすぐに逮捕された。
彼は「自分の手は血で汚れていない」と言っているが、それ以来、彼は拘束されている。
モロッコは国内外の過激派との間で苦い経験をしてきた。
2003年には、経済都市カサブランカで5件の自爆テロが発生、33人が死亡、数十人が負傷した。
その15年後には、北欧からの観光客2名が、ハイアトラス山脈でハイキング中にダーイシュ系武装勢力に殺害された。
2月に発表された公式見解によると、治安当局は2002年以降、2,000以上の過激派組織を解体し、テロに関連する3,500人以上の逮捕者を出している。
近年摘発された多くの組織は、2014年にシリアとイラクの広大な領土を占領し、「カリフ国家」を宣言したダーイシュ・グループに関連している。
過去10年間に1,500人以上のモロッコ人戦闘員が渡航していたことが知られていると、治安筋が語っている。
しかし2015年、モロッコ当局は拘禁者に対する「新たなアプローチ」の一環としてムーサラハを立ち上げたと、DGAPRの関係者マーレイ・イドリス・アゴルマム氏は述べている。
このプログラムには「参加者の動向を観察し、指導の必要性を表明した人を助けることも含まれています」と彼は言う。
また、法律や経済に関する勉強や、3ヶ月間の心理的な付き添いも含まれている。
これまでに、8人の女性を含む207人の被拘禁者がこのプログラムに参加した。約116人が王室の恩赦を受けて釈放され、15人が刑期を短縮されている。
同じく2003年にテロ容疑で死刑判決を受けた元被収容者のモハメド・ダミール氏は、過激化した人々の多くは「刑務所の独房で一人になったときに初めて、過激思想から離れる必要があると気づきます」と述べている。
47歳の彼は、7年間の獄中生活を経てその境地に達したという。そして、同じような状況にある囚人を助けてくれるよう、当局を説得するための長いプロセスが始まった。
2011年には、彼の刑期は30年に短縮された。
そして、2017年にムーサラハの最初のプログラムに参加し、釈放された。
彼は再教育の一環として、哲学者のジャン=ジャック・ルソーやヴォルテールの著作を読んだ。その中には「イスラム教の精神から遠くない考え方」があることも学んだ。
「私は社会契約の概念を発見しました。それは、人間はそれぞれが明らかに異なっていること、誰もが平和に暮らすことを認めるというものです」
刑務所を出た後、ダミール氏はムーサラハの宗教面を統括するムハマディアの町のイスラム学者協会に参加した。
現在、彼は被収容者にプログラムを指導している。
「これは簡単なことではありません」と彼は言う。
「彼らのほとんどは、そもそもイスラム教についてあまり知らないのです」と彼は言い、彼らの考えを変えるために宗教的なテキストを使っていると付け加えた。
「私は彼らに、暴力の道を歩むことでは神の恩寵を得ることはできないと説得しています」
AFP