ダオウド・クタブ
アンマン:ナザレ出身のパレスチナ人活動家イブラヒム・ハリル氏が始めたクラウドファンディングで、国内避難民となっているシリア難民のために数百軒の家を建てられる資金が集まった。
キャンペーンの成功の理由はテクノロジーとソーシャルメディアを活用したことにある。集まった資金が対象者に届いているという証拠をリアルタイムに示しており、長年テントで苦しんできたパレスチナ人の心に触れたという事実も見られている。
寄付は全額ソーシャルメディア上で公開され、対象とする人々に届くまで寄付金の流れを募金者が追うこともできるようになっていた。
このキャンペーンは「テントを家に」替えるために呼びかけられたもので、最初はヨルダン川西岸地区やイスラエルのパレスチナ人の支持を集めた。
エルサレム旧市街の外にあるパレスチナのシュアファット難民キャンプからは30万ドルの寄付金が寄せられた。
後日、エルサレムの別の地域であるスル・バヘールから相当額の寄付が寄せられ、その地から発せられた「houses instead of tents(テントではなく家を)」というハッシュタグがネットで急速に拡散した。
メディアの報道でハリル氏は、このアイディアは暖房器具用の寄付を集めていた1ヶ月前に始まったのだと語った。
「私たちが始めたのは55台のガス暖房器を購入して届けようという限定的なキャンペーンでした」とハリル氏は述べ、対象としていたトルコ沿いの難民キャンプの世帯に暖房器が確実に届くようにするとともに、新たな寄付で暖かく過ごせている様子を撮影したのだと付け加えた。
しかし、ハリル氏の心の琴線に触れたのは11歳のシリア難民であるゼイナさんの動画だった。ゼイナさんは両親が2人とも殺された後、シリア北部のテントで祖父母と生活していた。
「テントではなく家で生活できれば、と、ゼイナさんが願いを語るのを見たとき私は、シリアの人々がパレスチナ難民に支援を与えてくれたときのことを思い出し、もっと大きな資金調達目標に向けて行動しようと決意したのです」と、ハリル氏は語った。
ハリル氏の戦略は、シリア国内の北部にいるシリア難民のために273軒の家を建てるというものだった。
「資金調達のキャンペーンを具体的で形のあるものにしたいと考えました。寄付の希望者は皆、何か具体的なものを寄付しなければならないことにしようと私は提案しました。キャンプ用の大量の暖房器や、もしくは家を丸ごと、というものです」
数時間のうちに、ハリル氏は55軒の家を建てられるだけの資金を集めることができた。単独で250世帯に暖房器を提供することに同意してくれた寄付者もいた。
資金は名の知れた定評ある慈善団体を通して送金された。
ガザのパレスチナ人活動家ハマダ・ハマダ氏はアラブニュースに、真の寄付者は貧しい人々であることが多いと語った。
「裕福な人から資金が提供されることを期待してはいけません。苦しみに耐えてきた貧者こそが、困窮者を助けるために自分にできる限りの寄付をしようという最初の人物であることが多いのです。1948年のナクバ(大惨事)でテント生活をすることになったパレスチナ人は寒い季節にテントで生活するというのがどういうことなのかを非常によく知っており、今回の困窮者へのプロジェクトに最初に寄付を名乗り出た人々の中にそうした人々がいたのは驚くことではありません」
ヨルダンのボランティア団体「ハティ・ハヤティ(Hathi Hayati)」で活動するリナ・シュケイル氏はアラブニュースに、自分はシリア北部地域に200軒の家を建てようと、しばらくの間活動していたことがあると語った。
「すでに私たちはアル・ハヤトの村に50軒の家を建てられるだけの資金を集めています。私たちの目標はその村に200軒の家を建てられるようにすることです」とシュケイル氏は語り、1軒の家ごとに2,200ドルの費用がかかると付け加えた。
最初にハリル氏が始めた募金は300万ドルに達した。
トルコ沿いのキャンプの273軒分の費用を賄えただけでなく、ワディ・アル・アクダール難民キャンプの275軒分も追加の寄付で賄うことができた、と同氏は語った。
このキャンペーンはメディアや慈善家の注目を集めた。自分たち自身も苦しみを味わったパレスチナ人による草の根クラウドファンディングだったことが、まさにその理由である。
米国の慈善団体「ワールド・ビジョン(World Vision)」のレポートによると、680万人のシリア人が難民や亡命希望者になっており、さらに670万人がシリア内部で国内避難民になっているという。
「つまり合計1,350万人のシリア人が強制的に移住させられているということであり、これは同国の人口の半数以上だ。シリアにいる1,110万人近い人々が人道的支援を求めている」と、同団体は最新レポートで報じた。
シリア北部の難民の大多数は紛争で移動を余儀なくされる前、イドリブ地域で生活していた。
トルコに最も近い地域にあるこの難民キャンプは、シリア反体制派の支配下にある。