
ハゼム・バロウシャ
パレスチナ:大半がイスラム教徒である200万人のパレスチナ人がイスラエルで暮らしている。彼らは1948年に住んでいた町から追い出され、近隣地域へと移り住んだ。
イスラエルは彼らを「イスラエルのアラブ人」と呼ぶが、パレスチナの人々は彼らを「48年のパレスチナ人」もしくは「48年占領地のパレスチナ人」と表現する。
ラマダン月の間、アラブ人が多い地域に住むイスラム教徒の多くはラマダンの伝統を守っている。一方、ユダヤ人が多数を占める地域に住む人々は公共の場でラマダンを祝うことは難しいが、屋内でなんとか行っている。
イスラエルに住む難民である85歳のウム・スハイル・ブットさんは独自の手本となっている。
彼女が12歳の時にナクバ(大災厄)が起こり、家族は住んでいた村Al-Mujaidilから近隣のナザレへの移住を余儀なくされた。
ウム・スハイルさんは初等教育を終える前に学校をやめたが、アラビア語・ヘブライ語・英語の3つの言語に堪能で、聖典コーランを全て記憶している。
「ここにいる人々の大半はイスラム教徒であり、私たちの行動・習慣・伝統はナクバ以来の長い年月に影響を受けておらず、私たちは今でも自分たちの信仰と遺産を守っています」と彼女は語った。
イスラエルに暮らすパレスチナ人のラマダンには慣例がある。それは世代を越えて受け継がれてきたもので、宗教上の儀式や、モスクでの義務としての祈りとタラウィーフの決まり、もしくは社会的慣習、そして祝宴やイフタールの食卓の決まりなどがある。
「ラマダンは善と祝福の月です。日中は断食し、夜は村や町で過ごし、イフタールに招待し合います」とブットさんは言う。
「子ども達はムサハラティ(夜明け前の食事の時を告げる太鼓奏者)を喜びます。ラマダンのうち何日かは、大きな祝福を求めてエルサレムのアル・アクサモスクまで足を延ばして祈りを捧げます」と彼女は述べた。
イスラエルに暮らすパレスチナ人のラマダンの準備は数週間前に始まる。市場や店には活気があふれ、最終日近くにはイド・アル=フィトル(断食終わりの祭典)に向けて衣服やギフトが購入される。
ウム・スハイルさんはラマダンの特別な慣例を続けている。彼女は一年を通して毎日コーランを読んでいるが、聖月(ラマダン)の間はさらに熱心に取り組む。
また、彼女は家の近くのサラームモスクで、女性に向けた宗教講座を開いている。その講座の中で、コーランの暗唱や読誦の適切なやり方を教えている。
高齢にもかかわらず、彼女はいまも活動的であり、新鮮な季節の野菜を使ってイフタールやスフールの食事の準備にも参加する。
「ラマダンの月には特別な趣があり、私たちは家や通りやお店の飾り付けに気を配り、いたるところにランタンや色付きの灯りが見られます」とウム・スハイルさんの5人の子どものうち唯一の娘であるナワルさん(66)は述べた。
FASTFACT
イスラエルに住むパレスチナ人を専門とする研究者ジャマル・アムル氏は、パレスチナ人のアラブコミュニティは『宗教・習慣・伝統を共有するパレスチナの人々の不可欠な一部であり、イスラエルによるアイデンティティと信仰を奪おうとする企ては成功しなかった』と述べた。
アラブ人の町Umm Al-Fahmに住むパレスチナ人ジャーナリストのモハメド・ワトド氏は、「ここの家庭でのラマダンはヨルダン川西岸地区やガザ地区と何も変わりありません。食卓は同じであり、私たちはモロヘイヤを食べますし、私たちの習慣や伝統は全て同一なのです」と述べた。
夜にはモスクでタラウィーフの祈りを行った後、ワトド氏や町の若者たちはカフェに集まってサッカーの試合を観戦したり、ラマダンのテレビ番組を観たりする。
ワトド氏が住む町にある6つほどのモスクは、ラマダン月にはモスク内で5回の祈りとタラウィーフを行うためにさらなら注意が払われる中、礼拝者でいっぱいになる。
イスラエルに住むパレスチナ人を専門とする研究者ジャマル・アムル氏は、パレスチナ人のアラブコミュニティは「宗教・習慣・伝統を共有するパレスチナの人々の不可欠な一部であり、イスラエルによるアイデンティティと信仰を奪おうとする企ては成功しなかった」と述べた。
イスラエルの企ては、良心を目覚めさせ、自国にいるアラブ民衆の意識を高め、感情をかき立て、国家や宗教のアイデンティティへの執着を高めるため、「逆効果」であると同氏は強調した。
パレスチナ人、特に若い世代のパレスチナ人は、ナクバ以降のイスラエルの広範な政策によって大きな困難に直面しているとアムル氏は言う。
イスラエルは彼らを周囲のパレスチナ人やアラブ人から孤立させようとしており、宗教・習慣・伝統に影響を及ぼしていると同氏は述べた。