
エファレム・ コッセイフィ
国際連合:国連安全保障理事会メンバーは、クルド人自治区の山間のドホーク州にあるイラク人に人気の観光地に対する、7月20日の死傷者を出した砲撃への本格的調査を要求するイラクを支持している。この攻撃により少なくとも9人が死亡、23人が負傷した。
調査への支持表明がなされたのは、安全保障理事会が全会一致でこの攻撃を「最も強い言葉で」非難するとしたほんの数日後のことだった。
しかし、イラクとアラブ首長国連邦(UAE)が攻撃について話し合うために開催を求め、火曜遅くに行われた緊急会合において、理事会メンバーはトルコに言及しなかった。
攻撃当日に、イラク政府はトルコ大使を呼びつけ、「継続的なイラクに対する主権侵害とイラク領土の侵犯に加えての、トルコ軍による凶悪犯罪」と表現して今回の攻撃を非難した。
イラクの国会議員らも、攻撃について調査する委員会を立ち上げたと報じられている。
トルコは責任を否定し、同国がテロ組織と見なすクルディスタン労働者党(PKK)に責任があるとした。PKKはトルコ南東部で長期にわたってゲリラ戦を続けている。
イラクはPKKの戦闘員や指導者らに安息の地を与えず、その多くはイラク、イラン、トルコの国境が交わる山岳地帯に逃げ込んでいる。イラク政府はPKKの領土内への流入を繰り返し拒んでいる。
4月にトルコは、攻撃に対する国家の「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認める国連憲章51条に基づいて、最初にイラク政府の承認を求めることなく、イラク北部で「Claw Lock」作戦と名付けた PKKに対する攻撃を開始した。
トルコ国内での戦闘は激しさを減じている一方で、トルコ軍はPKKを標的としてイラクへの越境攻撃を続けている。
トルコ外務省は7月20日の攻撃を「テロに対する戦いにおける我が国の正当で断固たる態度」を標的とするものだと評した。
同省は「イラク政府関係者に危険なテロ組織のレトリックやプロパガンダの影響を受けた発言をしないこと、この悲惨な事件の真の加害者を明らかにするため協力すること」を求めた。
イラク外相のフアード・フセイン氏は会合後にアラブニューに次のように語った。「我々は誰が攻撃したか知っている。我々にとっては明らかなことだ」
同氏は、安全保障理事会のメンバーは「ほとんど全員が国際法への違反に言及し、侵略について話した。我々が調査を求めたため(トルコに言及しないのは)理解できる。もちろんそれは、調査が実施されて結果が出た後には変わるだろう」と述べた。
フセイン氏は加えて、イラクは攻撃がトルコ軍によるものだと確信しているが、国連安保理メンバーは「さらなる情報を必要としており、私はたった今、会合において情報を提供した」と述べている。
「こういった話し合いは今後も続くだろうし、既にさらなる情報を提供する準備ができているので、(国連安保理)は独自の決断を下すに至り、(そうなれば)誰がやったのかが明らかになるだろう」
同氏は国連安保理に、「この目に余る侵略行為」がトルコによるものだと示す「証拠」を自国は持っていると述べた。
同氏は、この攻撃を調べるための「国際的な独立調査チーム」の設置を求め、トルコ政府との共同調査に対するイラクの意欲を表明したが、同氏によるとトルコ側は「我々にアプローチしなかった」、「捜査についての公式書簡を送ってきたことはない」という。
フセイン氏は国連安保理メンバーへの発言の中で、国際的な平和と安全を維持することを任務とする国連機関として、トルコが繰り返すイラク領土および領空の侵犯と疑われる行為を国連安保理の定例議題に加えるよう求めた。同氏によると、こういった事件は2018年以降に22,000件以上あったという。
また、定期会議においても、合計4,000人を超えるトルコ軍のイラクからの撤退に向けて取り組むべきだと、フセイン氏は述べている。
トルコの副国連大使Oncu Keceli氏は国連安保理に、トルコ政府は「真実を明らかにするために」あらゆる必要な措置を講じる準備ができていると述べた。
同氏は、イラク政府関係者がトルコと同じ考えを持つ人々と、「外交ではなく対立激化を選び」、トルコとイラクの人々を仲たがいさせるために虚偽情報を流す運動を始めた人々とに分かれていると非難した。
国連特別代表で国連イラク支援ミッション代表のジャニン・ヘニス・プラスハルト氏は、国連安保理に攻撃に続く出来事を時系列で示し、イラク領内でのあらゆる攻撃を停止することの重要性を強調した。
「こういった武力行使は国および地域の緊張をむやみに高めるだけでなく、我々が見てきた通り、深刻な人類の悲劇を生むものでもある」と同氏は述べた。
「この数年で何度も言ってきたように、イラクは自国が、外部および地域の対立の場として、つまり、隣国やその他のあらゆる主体が日常的に罰を受けることなく同国の主権と領土の安全を侵犯できる場として扱われ得るという考えを、正当に拒絶する」