
アラブニュース、ドバイ
日本逃亡を図ったルノー-日産アライアンスの前会長カルロス・ゴーン被告は1月8日(水)、自らの汚名を晴らすことを誓い、公正な司法制度のもとでなら喜んで裁判を受けると述べた。
レバノンでの記者会見で、ゴーン被告は自分に対する「陰謀(ゴーンいわく)」に安倍晋三首相が関与していたとは考えていないと言った。
ゴーン被告が捕まらずに日本脱出を果たした方法の詳細はいまだに謎に包まれている。
しかし、ゴーン被告は2019年12月29日に日本を逃亡して以来、レバノンに潜んでおり、「公正な裁判を受ける可能性が全くなくなったことを初めて知った時に、脱出の計画を立て始めました」と語る。
そしてさらに、「正義から逃れたのではなく、不公正から逃れた」のであり、日本では公正な裁判が受けられるとは考えられなかったと説明する。
日本をどのように脱出したのかと尋ねられると、ゴーン被告は「誰かに迷惑を及ぼす」ことは望まないので、コメントしたくないと述べた。
そして「あの時に私を手助けしてくれた人々に敬意を払う必要がある…彼らを裏切ることはできない」と言った。
ゴーン被告は、自分の逮捕は自分に対する陰謀であり、拘留されていた時の状態は人権に対する「茶番劇」のようなものだったと言う。
彼はジャーナリストたちに対し、自分は「130日間、窓も日の光も無い小さな独房の中に昼夜を問わず隔離されており、祝祭日を除き、1日に(屋外へ)30分しか出られなかった」と語った。
祝祭日でも誰にも会えず、「独房の中に閉じこもり、食べ物を与えられるだけの生活」だったと述べた。
1週間に2回しかシャワーが許されず、それ以上の回数は頼んでも許可されなかったという。
そして、裁判所に入る前からすでに有罪扱いされていたと述べた。
「公判前の審議を何度も受けました。裁判官が采配を振るうと考えていた自分は考えが甘かったですね。そうではありませんでした。采配を振るうのは検察官でした」とゴーン被告は言う。
ゴーン被告によると、裁判所は裁判を遅らせようとしており、その動機について疑問に思うと言っている。日本出国の時点で最初の容疑に対する裁判の日取りも決まっていなかったと言う。
「彼らが考えついた理屈は、同時に全ての容疑について裁く裁判はできないというものでした。1つ目の 容疑への裁判が終了したら2つ目を開始するという進め方をしたかったわけです」とゴーン被告は語る。
彼が自分の弁護士に、裁判にどのくらいの時間がかかるのかと尋ねると、最終判決が出るまでに5年はかかるだろうと言われたと言う。
そして「むこう4〜5年は普通の生活が送れる望みはなかった」と 言った。
この日産前CEOは、自分に対する嫌疑は「事実無根」だと言う。
そして、「陰で糸を引く人間たちがおり、何がなんでも私に容疑を認めさせようする人間たちによって裏操作されていました」と語る。
ゴーン被告はさらに、検察団が「虚偽の情報」を漏洩し、「いまだ決定もされていない裁判の日取りを引き続き遅らせようとしていた」と続けた。
ゴーン被告は、自分を失墜させる陰謀の裏にいる主な3人の人物として、日産でかつて対政府関係の任務に当たっていた川口均氏、日産の今津英敏元監査役、豊田正和社外取締役を特定した。
さらに、専務執行役員兼日産自動車顧問のハリ・ナダ氏も「陰謀に一役 買っていた」としている。
ゴーン被告は、「これは正義についての裁きではありませんでした。17年の間つくしてきた国の人質となった思いでした。私は自分のプロとしての人生を捧げ、それを誇りに思っていたのです」と述べた。
ゴーン被告逮捕後、彼の妻はいったん国を出たが、数日後に戻ってきた。彼女には何か隠していることがあると検察団が言ったからだという。
「妻が戻くると、検察団は日本人裁判官/検察官の前で彼女を尋問しました」とゴーン被告は語った。
9ヶ月後、ゴーン被告の妻に「偽証」のかどで逮捕状が出されたと彼は加えて言った。
ゴーン被告はその逮捕状について疑問を抱いており、日本の裁判所は「妻の発言には問題があったと疑っている」と言う。
自分の記者会見の前日に彼の妻に逮捕状が出たのは偶然のことなのか、とゴーン被告は尋ねた。
ゴーン被告は、世界のどこであろうと、公正な司法制度のもとでなら裁判を受ける用意があると述べ、「とにかく自分の汚名を晴らしたい」と加 えた。