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フランクリー・スピーキング:「アフガニスタン人たちの不満は日ごとに高まっている」 元アフガン国家安全保障顧問

(AN photo)
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10 Oct 2022 12:10:35 GMT9
10 Oct 2022 12:10:35 GMT9
  • アフガニスタンで人々の怒りが高まれば、イランと同様の抗議行動が波及する可能性もある
    •タリバンは世界を欺き、その過激なやり方を変えようしたことは決してなかった
    • 米国、カタール、パキスタンにはタリバンによる支配復活に部分的な責任がある

アラブニュース

リヤド:アフガニスタンで米軍の突然の撤退によりタリバンが政権に復帰してから1年以上が経過し、政権とその抑圧的な政策に対するアフガニスタン人たちの不満が高まっていると退陣した旧政権の国家安全保障顧問が述べた。

「タリバンの圧政に対するアフガニスタン人たちの不満は、日また一日と高まっていると思います 」と、2018年から2021年までアフガニスタンの国家安全保障顧問を務めたハムドゥラ・モヒブ博士は、有力な政策立案者やビジネスリーダーが出演するアラブニュースのトーク番組「フランクリー・スピーキング」のホスト、ケイティ・ジェンセンによるインタビューの中で述べた。

モヒブ氏の発言は、隣国イランで、22歳のクルド人女性マフサ・アミニさんがイスラム共和国体制の道徳警察によって殺害され、女性や少数民族の抑圧に対する国民の怒りの的となった大規模な抗議デモが発生している状況を念頭に置いたものだ。

「ここアフガニスタンは、私が見るところのイランの状況よりも危険な状態にあります。アフガニスタンの人々は昔とは変わり、多くの政権交代を見てきており、変化が起こりうることを知っているからです」と、モヒブ氏は言う。同氏はアフガニスタンのアシュラフ・ガニ前大統領の副首席補佐官であり、2014年から2018年までは同国の駐米大使も務めた。

モヒブ氏は、イランでの抗議活動がアフガニスタンの状況に直接影響を与えるとは考えていないが、カブール等の都市の街頭で類似した抗議行動が発生するのは時間の問題だと見ている。

「(イランでの抗議行動がアフガニスタンに)何らかの影響があることは確かですが、これからすぐにアフガニスタンで不満が沸騰して、人々が行動を起こすのかどうかはわかりません。しかし、この状況、つまり現在の民衆への抑圧が続けば、アフガニスタンで大規模な抗議行動が起きることは間違いないでしょう。それがいつになるか、という時期までは分からないというだけです」

米国は2021年8月、タリバンとの不安定な和平合意に達した後、アフガニスタンから急遽軍を撤退させた。それ以来、同国は経済危機、貧困、国際的孤立に陥っている。

ドーハでの交渉でタリバンは、世界に対して、自分たちが1996年から2001年まで政権の座にあった頃とは異なり、もはや極端なイスラム教の解釈によって女性や少女が教育や公共生活から締め出したり、表現の自由をいたるところで抑圧するようなことはないと信じさせようとした。

しかし、実際に権力の座に戻ると、タリバンはそうした抑圧的な措置を再び実行し、女性の権利と国のシステムを過去20年の進歩から後退させている。

「タリバンはうまく交渉を進めたと思います」とモヒブ氏は言う。「彼らはカタールやパキスタンを含むすべての関係者を翻弄したわけです。米国も利用されたと私は思います。加えて、長い間のけ者にされていたタリバンに居場所を作ってあげようとする国際的な努力もありました。彼らはその居場所を利用し、多くの国々が騙されたのだと思います」

「そして、権力を握ると、タリバンは自分たちがした約束を守る意思を見せませんでした。彼らは約束を守れなかったか、あるいは進んで守れない状態にいたのか、単に意図的に守らなかったということになりますが、私たちは、タリバンには国際社会とアフガニスタンの人々に約束したことを実行するつもりは初めからなかったと見ています」

モヒブ氏の見方では、前体制の崩壊とタリバンの復活には、アメリカ、カタール、パキスタンそれぞれに部分的な責任がある。

「多くの責任が当事国・関係国にはあると私は思います」とモヒブ氏は語る。「より大きな権限を持っていた私たちアフガニスタンの関係者には、当然非常に大きな責任があります。また、米国がタリバンと直接交渉し、アフガニスタン政府を排除したということは、タリバンがその時点でいかなる和解もする気がなかったことを意味します。ですから、そのような交渉にも大きな責任があると思います」

特にパキスタンについて、モヒブ氏は、同国政府がタリバンのパキスタン国内の関係勢力がもたらす脅威を認識せず、タリバンへの支援で大きな誤算を犯したと指摘する。

「パキスタン政府は、自国にタリバンが存在することを常に否定していました」とモヒブ氏は言う。「(パキスタンから)タリバンへの膨大な支援があることは私たちにも分かっていました。彼らパキスタンで家族を持ち、居場所を与えられ、パキスタンから動員されていました。ですから、パキスタンには大きな責任があるのです。そして、タリバンへの支援の結果、パキスタンは今苦しんでいると思います」

「私たちが彼らに警告していたことは、すべて今現実に起こっています。タリバンからパキスタン国内の仲間や他のグループへの支援は、私たちが予想していた通りに現在具体化しつつあるのです」

モヒブ氏はまた、カタールが2013年にタリバンのドーハ事務所開設を許可し、和平交渉の仲介に同意したことは間違いだったと考えている。モヒブ氏の見方では、カタールは自国の外交的目標の達成のために仲介者という役割を利用したのだという。

「カタールのような国は、交渉の仲介者となることで、アフガニスタンの和平プロセスを、自国の湾岸協力会議(GCC)諸国との対立のテコとして利用したのです」とモヒブ氏は主張している。

「世界中の国々が仲介役をやりたがっていました。多くの国が積極的に役立ちたいと望んでいたのです。ヨーロッパ諸国でさえもそうでした。ですからカタールがその役割を引き受けるということは、国際外交において非常に重要な役目を果たすことを意味していたのです」

「タリバンとの交渉や米軍のアフガニスタン駐留は、カタールが他のGCC諸国(アラブ首長国連邦(UAE)やサウジアラビア)と緊張関係にあった時期には、重要なテーマだったのです。カタールが交渉の仲介役を務めるということは、この地域の緊張状態の中で、自国の利益ために米国に対して何らかの影響力を行使できることを意味していました」

しかし、前体制崩壊時の国家安全保障顧問として、モヒブ氏、そして崩壊した政府自体にも当然責任があるのではないだろうか?

「私たち全員に責任があります」とモヒブ氏は答えた。「最初に、私たちは全員責任を負っています、と申し上げたとおりです。もちろん私自身も含めてです。私はこの1年間、多くの時間を費やして、状況を変えるために何ができたはずだったのかを考えていました」

「問題は、アフガニスタンのほとんどの指導者が、政府の内外を問わず、起こりうる事態を予測していなかったことだと思います。誰もがベストを尽くそうとしましたが、その方向性はあまりにもバラバラで、まとまりがありませんでした」

「私たち全員が悪いのです。私にも相応の責任があり、私たちはもっとうまくやることもできたのに、と感じています。では、私たちはタリバンが権力を握るのを防げたのでしょうか?私は今でも、防げなかっただろうと思っています。というのも、交渉が始まってすぐに、政府に隠れてタリバンと直接交渉し、政府やアフガニスタン国民が今もまだ知らない秘密の付属文書を交渉に含めることを認める決定が交渉責任者によりなされていたからです。そして一旦そうなってしまうと、タリバンはアフガニスタン政府よりも強い交渉力を持つようになったのです」

2021年8月に前政権の共和国体制が崩壊したとき、当時のアシュラフ・ガニ大統領は、カブールに残って戦うのではなく、UAEに脱出し、4000万人の国民をタリバンのなすがままに任せたことで広く非難を浴びた。

最近では、ガニ大統領の取った行動とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領のそれが、前者には喜ばしくない意味で対照的と言われている。ゼレンスキー大統領は、ロシアの侵攻に直面しながらも首都キーウに留まることを決断し、抵抗の象徴として人気を集めるようになった。彼の決断は、戦争の形勢を変えたと見られている。

もし、ガニ大統領や他の高官たちが留まることを選択していたら、アフガニスタンの情勢はまた違った展開になっていたのだろうか?

「ゼレンスキー大統領がやっていることは賞賛に値します」とモヒブ氏は言う。「アフガニスタンにも、そうした立ち上がることが必要な瞬間がありました。1979年にソ連がアフガニスタンを侵略したとき、私の家族も含め私たちアフガニスタン人は、10年間ソ連と戦い、その結果100万人の国民の命が失われました。そうしたことがある中で、リーダーは、何が起きるのか、何が民衆にとって最善なのかを考えて決断を下していくのです」

「人間には、留まるべき時と去るべき時があるのです。ですから、確かにガニ大統領の決断は、今の時点で違う結果を期待していた一部の同盟国の間では、評判が良くないものですが、しかし、いつか人々の心が落ち着き、10年後、20年後、感情を抜きにして振り返ることができるようになれば、なぜこのような決断がなされたのかが人々に理解されるようになると私は思うのです」

米国の撤退を批判する人の多くは、アフガニスタンを変革しようとするあまり、多くの人命と富が失われ、その20年間の犠牲の成果もタリバンに一夜にして台無しにされてしまったと嘆いている。

モヒブ氏は、米国のアフガニスタンへの投資には価値があったと考えているのだろうか?

「米国はアフガニスタンに巨額の投資をしました。軍事だけでなく、民間分野の存在感も大きいものでした。アフガニスタンの人々は、米国の民主主義をアフガニスタンで再現できる例として尊敬していたのです」とモヒブ氏は説明する。

「ここで、2つの論点があると思います。ひとつは、アフガニスタンへの投資はまったくの無駄だったのか、という問いで、これは今現在起こっていることに関する(もう一方の)論点とは別のものになります。アフガニスタンの現状が悲惨であることは認めます。そして、私たち全員がその状況に責任を負っており、それを変えるためにできる限りのことをする義務があります。それは紛れもない事実です」

「教育への投資などアフガニスタン社会への投資に関して言えば、自分たちの求めるものを公然と明確に表現する声が多くあがるようになっているのは、そうした投資の実を結んできているものです。人々は世俗的な事柄にもより関心を持つようになっており、何が可能なのかを見てきていますし、自分たちの権利についての知識もあります」

「たとえ抑圧的な政権が彼らの声を封じ込めようとしているとしても、人々は、自分たちは声をあげることができると知っているのです。私たちは、今もなお抗議活動を続ける勇敢な女性たちを目の当たりにしています。離散して異国の地にいる人も含め、自国で起きていることについて懸念を表明するアフガニスタン人たちも増えているのです」

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