
エルサレム:イスラエルは今年中のある時点でスーダンとの国交が完全に正常化されることを見込んでいると、スーダンの首都での短時間の外交任務から帰国したイスラエルの外相が2日に述べた。
エリ・コーヘン外相はハルツームへの日帰り訪問からの帰国後に記者会見を行った。訪問中には、スーダンの国家元首であるアブドゥルファッターハ・ブルハーン将軍を含む軍指導部とのハイレベル会談などに出席した。同将軍は2021年に同国の暫定政府を転覆するクーデターを率いた人物である。
同外相は、2020年に米国の仲介によりイスラエルとUAE、バーレーン、スーダン、モロッコとの間で結ばれた国交正常化合意に言及し、「(スーダンとの)合意は今年中に署名される見込みで、そうなれば(正式に署名された合意としては)4番目となる」と述べた。
今回の発表はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相にとって、最近のパレスチナとの間の暴力の高まりや、国の司法制度を全面的に改革する同首相の計画をめぐる国民の怒りの広がりから注意を逸らす助けになるかもしれない。
司法改革に対しては、イスラエルの抑制と均衡の民主主義制度を酷く損なうものであるとの批判の声が上がっている。
スーダンを支配する将軍らにとっては、イスラエルとの関係の進展は、自国の低迷する経済に財政支援を投入するよう米国やUAEなどの諸外国を説得する助けになるかもしれない。
スーダンは、民衆による民主化運動と強力な国軍との間の政治的膠着状態から依然として抜け出せずにいる。
同日、コーヘン外相による記者会見に先立ち、スーダン外務省はイスラエルとの完全な国交正常化に向けて前進する意向を明らかにした。
2020年、米国が仲介する「アブラハム合意」の一環として、スーダンはモロッコ、バーレーン、UAEと共にイスラエルとの国交正常化合意に署名し、完全な外交関係を樹立することを決定した。
しかし、スーダン国内で国民の反対が広がる中で正常化プロセスは行き詰まった。その後、2021年10月の軍事クーデターにより政府が追放され、この国の脆弱な民政移行は覆された。
コーヘン外相は、スーダン側に平和条約案を提示したことを明らかにし、「スーダンで進行中の民政移行の一環として樹立される民政政府に権力が移管された後に署名される見込みだ」と述べた。
スーダン外務省は声明の中で、イスラエル側との会談は安全保障と軍事を含む様々な分野における協力強化を目的として行われたと述べた。
また、最近の暴力の高まりを踏まえ、「イスラエルとパレスチナの間の安定」を実現する必要性にも言及した。
2日の会談について知る立場にあるスーダンの軍関係者によると、ハルツームにこれから樹立される民政政府が国交正常化の道筋を逆行させる可能性に対するイスラエルの懸念を緩和することも会談の目的だったという。
メディアに話をする権限を与えられていないとして匿名を条件に語ったこの関係者は、イスラエルと米国は、軍が政治から退いた後も「正常化合意が確実に前進するようにしたいと考えている」と指摘した。
昨年12月、スーダンの上層部の将軍らと一部の政治勢力が、政権から軍を排除して民政政府を樹立するという広範な誓約に署名した。
しかし、民政移行に関する最終的かつより包括的な和平協定に至るための交渉はまだ続いており、将軍らはまだ権力を引き渡していない。
2日、スーダン軍関係者3人がAP通信に対し、完全な国交正常化はすぐには実現しないと話した。彼らは会談について記者に話をする権限を与えられていないとして匿名を希望した。
スーダンの副司令官であり「即応支援隊」として知られる強力な準軍事組織を率いるモハメド・ハムダン・ダガロ将軍は、コーヘン外相の訪問については何も知らずイスラエル代表団とも会っていないと主張したと、国営通信の速報は伝えている。
同じく2日、ネタニヤフ首相は大きな進展が起こりつつあることを示唆した。
フランスに向け出発する前、「我々は平和の輪を広げ続けている」として、スーダンと国境を接するチャドが同日イスラエルに新たな大使館を開設したことに言及した。
また、「我々は他の国々とも平和の輪を広げ、深め続ける。近い国も遠い国もだ」と話した。昨年12月に政権の座に返り咲いたネタニヤフ首相だが、以前12年間首相を務めた際は、かつて敵対国だったアフリカやアラブの国々との関係構築を政権としての優先事項としていた。
スーダンは湾岸のアラブ諸国のような影響力や富は持っておらず、深刻な政治的・経済的危機から抜け出せずにいる国ではあるが、同国との国交正常化合意はイスラエルにとって深い意味を持つ。
スーダンはかつてはアラブ世界で最も激しくイスラエルを批判していた国の一つだった。1993年には米国からテロ支援国家に指定された。
2020年、トランプ政権がスーダンのテロ支援国家指定を解除した。この措置は、同国が疲弊した経済から回復し世界ののけ者の地位から脱却するのを助けることを意図したものであり、イスラエルとの国交を正常化するインセンティブとなった。
近く署名される見込みの合意のことをコーヘン外相が「平和条約」と呼んだのは、両国が長きにわたって敵対関係にあったからだ。
1967年の中東戦争の後、スーダンは画期的なアラブ連盟会議を主催した。この会議でアラブ8ヶ国は「3つのノー」(イスラエルと講和せず、イスラエルを承認せず、イスラエルと交渉せず)を承認した。
スーダンは、独裁的な支配者オマル・アル・バシール元大統領のもと、イスラエルの宿敵イランがガザ地区のパレスチナ武装勢力に武器を供給するためのパイプラインにもなっていた。
スーダンで武器を積んだ車列を破壊した2009年の空爆や武器工場を破壊した2012年の空爆の背後にはイスラエルがいたとみられる。
AP