
ガザ:ナジャ・ナブハンさんの自宅はイスラエルの攻撃で完全に破壊された。彼女は今、ガザ地区の直近の戦闘で家をなくした自分や多数の親族がこれからどうなるのか心配している。
「家に爆弾が落ちる寸前、かろうじて外に出ることができました」。彼女がそう話す横では、かつて家族が住んでいた家の一部だったコンクリートの板やブロックが粉々になり、山積みになっている。
過激派幹部に対するイスラエル軍の攻撃で死者が出たことをきっかけに戦闘が勃発し、5日間で多数の家屋が破壊された。
ナブハンさん(56歳)の一家は14日に住まいを無くしてしまったが、子供や孫の多くが障害を抱えているが、彼女は彼らの面倒を見ようとしてきた。
「子や孫のために近所から服を借りました。(家からは)何も持ち出せませんでした」。 ガザ北部のBir Al-Najeh地区で彼女はそう語る。
イスラエル軍から電話があり、「攻撃が迫っている」と警告されたと一家は語る。AFPは軍に尋ねたが、彼らの家が標的となった理由は説明されなかった。
国連はガザの職員の話として、戦闘の結果、計103軒の家が完全に破壊され、140軒が大きく損壊したと16日に発表した。
ベラル・ナブハンさん(35歳)は市場でパセリを売って1日に10シェケル(2.7ドル)というわずかな稼ぎを得ているが、今も動揺していると話す。
「周囲で叫び声が聞こえる中、私たちは走って逃げました。今45人がここに滞在していますが、どこへも行くところがありません。避難場所を必要としています」。がれきの横で休んでいる親族を指しながら、ナブハンさんはそう語る。
イスラム系組織ハマスが支配するガザにいるパレスチナの過激派とイスラエルは、近年複数回の戦闘を繰り広げている。
人口の密集したパレスチナの領土全体に、これまでの戦闘(昨年8月には3日間事態が激化し、ガザの住民49人が死亡した)の破壊の跡が点在している。
ガザ地区の貧困率は53%(パレスチナ中央統計局による)で、家を再建できる余裕のある住民はほとんどいない。
ガザ地区中部のDeir Al-Balahでは、イスラエルの爆撃で破壊されたコンクリート片と鉄筋の巨大な山に子供が登っていた。
住宅が密集したエリアにあるモハメド・ジダンさんの家は直撃を免れたが、爆風の威力は凄まじく、壁が吹き飛んでしまった。
「1人の人物を攻撃したいなら、集合住宅すべてを破壊する必要はありません」と29歳の彼は言う。
「私は自宅で我が子と暮らしている若者です。仕事も懸命にやっています。私にどんな落ち度があったというのでしょうか?」
15日、かつて寝室だった残骸の上にジダンさんが立っていた頃、別の場所ではパレスチナ人が「ナクバ(破局)」を偲んでいた。
1948年のイスラエル建国時に戦争が勃発し、何十万ものパレスチナ人が住まいを追われた。
「今でもナクバの生活が続いているのです」。現在は自宅の裏の通りで寝ているジダンさんはそう話す。
AFPは、この一帯を標的とした理由をイスラエル軍に尋ねたが、現時点で回答はない。
戦闘は13日夜からほぼ停止しているが、危うさをはらんでいる。イスラエルによる攻撃とパレスチナ側のロケット弾射撃の応酬はやんでいる。
戦闘によってガザ地区で33人が死亡した。死者には子供や過激派も含まれており、イスラエルの市民2人も犠牲となった。
「家が破壊されたと聞いたときは気を失った」。Bir Al-Najehで寄付された車椅子に座りながら、ハニーン・ナブハンさんはそう話す。
「薬を服用していましたが、それも今ではがれきに埋もれています」
「私の夢はすべて家の中にありましたが、今では失われました」
AFP