
ハーン ユーニス、パレスチナ領:イスラエルによるガザ地区北部からの退去勧告を受け、ラーマ・サカラーさんと家族は南部へ逃げた。だが、イスラエルの爆撃で夫と3人の子どもを亡くした彼女は自宅に戻ろうとしている。
「どこに行っても、私たちは死ぬでしょう」ガザ地区南部のハーンユーニス市を離れ、生き残った子どもたちとガザ市に戻る準備をしながらサカラーさんはそう話す。
彼女はイスラエルが「あなた方自身の安全のため」として発した避難勧告を受けて南部へと避難した、国連関係者発表で約60万人とされているパレスチナ人の1人だ。
イスラエルの公式発表で1,400人が殺害されたとされるハマスによる攻撃への報復として、10月7日にイスラエルの容赦ない爆撃が始まった。
ハマスが運営する保健省の発表で7,000人以上が殺害されたとされるイスラエルの攻撃は、当初ガザ市に集中していた。
だが国連の統計によると、この数日間南部への攻撃が繰り返され犠牲者が出るなか、住居を追われた3万人が帰宅をはじめたという。
いずれにせよ多くの住民はハーン ユーニスで避難所を見つけることが困難な状況に置かれていた。当初から人口が密集していた同市に、北部から避難した家族らが大量に押し寄せる形となったのである。
25日、南部を離れる前にサカラーさんはAFPに対して次のように語った。「夫と3人の子どもたち、ダウド、モハマド、マジェドは、24日の夜明け頃に殉教者となりました」
サカラーさんの夫は47歳、マジェドくんは9歳、ダウドくんは18歳、モハマドくんは「今日(25日)15歳の誕生日を祝うはずだった」という。
爆撃により、複数世帯およそ60人が避難していた集合住宅の「2階と3階が破壊された」とサカラーさんは話す。
この爆撃で彼女の親族11人と、別の家族の26人が死亡した。
「私の家族は、私と娘のラガド(17歳)だけが生き残っています。生きてはいますが、良い状態だとは言えません」
「彼らはガザを廃墟にしました。彼らはガザを墓地にすることを望んでいるのです。
彼らは南に避難しろと私たちに言い、そして私たちを(ここで)殺したのです」サカラーさんはそう語り、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は「嘘つき」だと言った。
家を追われ、その後帰宅した多くの人々と同じく、アブダラー・アッヤドさんと彼の妻、そして5人の娘たちは、オートバイが牽引する荷車に体を押し込めてガザ市へと戻った。帰宅する前の彼らは、ディール・バラフ病院の敷地内に避難していたという。
「私たちは自宅に戻って死ぬことになるでしょう。それはより尊厳のある死に方です」アッヤドさんは諦めと嫌悪感が混じった口調でそう言った。
「私たちは屈辱的な環境で暮らしています。食べるものも飲むものもなく、トイレもない上に、あらゆる場所で爆弾が爆発しているのです」
北部に戻った住民のなかには、爆撃が苛烈なため自宅にたどり着けない者もいる。
彼らは帰宅を諦め、ガザ市の中央病院であるアルシファ病院の敷地内に避難している。
そこに避難してきた家族らは、壁とコンクリートの柱からキャンバス地の防水シートを吊り下げた仮設テントの下に身を寄せ合っている。
「私と妻、子どもたち、義兄弟合わせて約40人が、3平方メートル(32平方フィート)もないようなテントの中で暮らしています。家畜にすら不適切な環境です」避難者の1人であるモハマド・アブ・アル・ナヘルさんはそう話す。
「人が多すぎるので、トイレもほとんど使えません。殉教者や負傷者がひっきりなしにやって来ます。新鮮な飲水もなく、子どもたちは風邪で体調を崩しています」ガザ南部からこの病院に避難した難民の1人、メンナー・アル・バーティティさんはそう語る。
26日、国連人道コーディネーターのリン・ヘイスティングス氏は、イスラエルの爆撃により「ガザに安全な場所はない」と警告した。
住民に避難勧告を出した後に南部に継続的な爆撃を行っていることについてのAFPからの問いに対し、イスラエル軍から即時のコメントはなかった。
AFP