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パレスチナの抵抗運動は不屈の精神を持ち続ける

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27 Dec 2023 03:12:44 GMT9
27 Dec 2023 03:12:44 GMT9

10月7日、パレスチナの地で起こった衝撃的な出来事は多くの人々を驚かせた。しかし、注意深い観察者たちは違った。

この日、パレスチナの戦闘員がイスラエル南部にパラシュートで降下してくるとは誰も予想していなかったし、2006年のように一人のイスラエル兵を捕らえるのではなく、多くの兵士や民間人を含む何百人ものイスラエル人が包囲されたガザ地区に拉致されることもまた、予想する者はいなかった。

この「驚き」の背景には、イスラエルがいまだに集団的ショック陥り、動揺しているのと同じ理由がある。それは、イスラエルとその支持者の政治的な議論や情報分析には熱心に聞き入りながら、パレスチナの言説はほとんど無視する傾向だ。

理解を深めるために、始まりに戻ってみよう。

私たちは2023年を、パレスチナ人たちを待ち受けているであろう、いくつかの悲観的なデータと暗い予測と共に迎えた。

新年を迎える直前、国連のトル・ウェネスランド中東特使は、2022年はヨルダン川西岸地区のパレスチナ人にとって2005年以来最も暴力的な年だったと述べた。「多くの人々、中でも圧倒的にパレスチナ人が殺され、負傷している」とウェネスランド氏は国連安全保障理事会で語った。

この数字――西岸地区だけで171人が殺され、数百人が負傷した――は、西洋メディアで大きく取り上げられることはなかった。しかし、パレスチナ人とその抵抗運動の間では、パレスチナ人犠牲者の数が増えていることは、確実に認識されていた。

一般のパレスチナ人の間で怒りと復讐を求める声が高まるなか、彼らのリーダーたちはイスラエルとの「安全保障上の協調」を続けながら、パレスチナの抵抗の声を鎮めるという伝統的な役割を演じ続けた。

現在88歳のパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領は、二国家解決といわゆる和平プロセスについての古い言葉を繰り返し続けたが、同時に彼の無能な指導に抗議する勇気のあるパレスチナ人を弾圧した。

パレスチナ人を押しつぶし、違法な入植地を拡大し、パレスチナ国家の樹立を阻止するという公然のアジェンダを持つ極右イスラエル政府を前にして無防備になったパレスチナ人は、独自の防衛戦略を展開せざるを得なくなった。

2022年8月にナブルス市に初めて登場した多派閥の抵抗組織「ライオンズ・デン(ライオンの巣)」は、その勢力と魅力を増していった。その他の新旧のグループもヨルダン川西岸地区北部全域にわたって登場した。彼らは、パレスチナ人を非派閥的な議題を通して団結させ、最終的には西岸地区パレスチナの新たなリーダーシップを生み出すことを唯一の目的としていた。

こうした動きにイスラエルは警戒した。イスラエル占領軍は、この新しい武装反乱を鎮圧するために迅速に動き、パレスチナの町や難民キャンプを次々に襲撃した。イスラエルは、この新たな革命を、過去に占領地で地位の変化に挑戦しようとした者たちの末路と同様、失敗した試みに変えることを望んだ。

イスラエル軍の最も凄惨な侵攻は、2月23日のナブルス、8月15日のエリコ、そして最も重要なのはジェニン難民キャンプで行われた。7月3日のジェニンへの侵攻は、死傷者の数と破壊の度合いという点で、2002年4月の、まさに同じキャンプへの侵攻を彷彿とさせるものだった。

しかし、結果は同じではなかった。当時、ジェニンをはじめとするパレスチナの町や難民キャンプに侵攻したイスラエルは、その後何年にもわたって武装抵抗を打ち砕くことに成功した。しかし、今回のイスラエルの侵攻は、占領地におけるより広範な反乱をただ煽るのみであり、すでに悪化していたパレスチナ人とアッバース氏およびそのパレスチナ自治政府との関係にさらなる亀裂をもたらした。

実際、イスラエルがキャンプへの攻撃を終えた数日後、アッバース氏は数千人の兵士を引き連れて現れ、遺族である難民たちに「民衆の団結を断ち切る手は……その腕から切り離されるだろう」と警告した。

しかし、ヨルダン川西岸地区で民衆の反乱が勢いを増す中、イスラエル情報機関の報告書は、ハマス政治局のサレハ・アルアルーリ副局長が、武装インティファーダを勃発させる計画を立てている、と言及され始めた。イスラエルの公式情報源を引用してイスラエル紙「イェディオト・アハロノト」が伝えたところによると、その対応策はアルアルーリ氏の殺害だった。

イスラエルの注意と対抗戦略はヨルダン川西岸地区に集中していた。イスラエルの視点では、ガザのハマスは全面的な対決に興味を示していないと見られていた。

しかし、なぜイスラエルはそのような結論に達したのだろうか?

通常ならハマスが報復に踏み切るような大きな出来事が、ガザのレジスタンスによる本格的な武力反応がないまま何度か起こっていた。たとえば昨年12月、イスラエルは史上最も右翼的な政権を発足させた。極右のイタマル・ベングビールおよびベザレル・スモトリッチ両大臣は、ヨルダン川西岸地区の併合、アル・アクサ・モスクをはじめとするパレスチナのイスラム教とキリスト教の聖地に対する軍事的支配、そしてスモトリッチ氏の場合、パレスチナ人の存在自体を否定するという明確な目標を掲げて政治の場に登場した。

彼らの抵抗は、弱体化や追放を拒否する人々の、伝説的な不屈の精神に基づくものであった。

ラムジー・バロード

これらの公約は、ベンヤミン・ネタニヤフ大統領のリーダーシップの下で迅速に行動に移された。ベングビール氏は、イスラエルによるアル・アクサ・モスクの接収が差し迫っているというメッセージを自分の支持者に送りたがっていた。彼は前例のない頻度でアル・アクサを襲撃し、または襲撃を命じた。これらの襲撃の中で最も暴力的で屈辱的なものは4月4日に行われ、ラマダンの聖月中にモスク内で祈りを捧げていた礼拝者たちが兵士たちに殴打された。

ガザの抵抗勢力は報復を予告した。実際、ガザ地区からイスラエルに向けて数発のロケット弾が発射された。これは、パレスチナ人が歴史的パレスチナの地図上のどこにいようと団結していることを象徴的に示す行為であった

しかし、イスラエルはこのメッセージを無視した。その代わりにパレスチナの報復の脅しと、時折起こる、いわゆる「一匹狼」タイプの攻撃――違法入植地マーレ・アドゥミムでムハンナド・アル=マズラアが行ったような――を政治的な資本として利用し、イスラエル社会の熱狂を煽った。

5月2日のパレスチナ人政治犯カダー・アドナン氏の死でさえ、ハマスの立場は変わらないように見えた。ラムレ刑務所でのハンガーストライキの結果、アドナン氏が死亡したことで、ハマスとパレスチナ・イスラム聖戦の間に亀裂が生じているとの見方さえあった。

アドナン氏が主要メンバーとして参加していたパレスチナ・イスラム聖戦は同日、イスラエルに向けてロケット弾を発射した。イスラエルはこれを受け、ガザ内の数百の標的――主に民間住宅やインフラストラクチャ――にし、その結果、33人のパレスチナ人が死亡し、147人以上が負傷した。

5月13日には休戦が宣言されたが、そこでもハマスの直接の動きはなく、これによりイスラエルはその凄惨なガザへの攻撃が、軍事的な目的――しばしば「芝刈り」と呼ばれる――だけでなく、政治的な目的も達成したと、さらに確信を持った。

しかし、こうしたイスラエルの戦略的予測は間違っていたことが証明された。10月7日、ハマスがイスラエル南部で、多くの軍事基地や入植地、その他の戦略的拠点を標的に、綿密に調整された攻撃を行ったのだ。

しかし、ハマスは彼らを欺いていたのだろうか?その重大な出来事を見越して、実際の戦略目標を隠していたのだろうか?ハマスの最近の声明や政治的言説をざっと調べてみると、このパレスチナのグループはその将来の行動について、それほど秘密主義的でなかったことがわかる。2023年が始まる2週間前、ガザのハマス指導者ヤヒヤ・シンワール氏はイスラエルに対してメッセージを送っていた。「我々は轟音と共にあなた方に押し寄せる。終わりのないロケットを持って、我々はあなた方に押し寄せる。無限の兵士の洪水と共に、我々はあなた方に押し寄せる……繰り返す潮のように」

ハマスの攻撃に対する直接の反応は、予想通りの米国・西側諸国からのイスラエルへの連帯表明、報復およびガザの完全な破壊と抹消を求める声、そしてガザ地区からエジプトへ、西岸地区からヨルダンへとパレスチナ人を追放する計画の復活だった。

同じく10月7日に始まったイスラエルによるガザ地区への戦争は、これまでのガザに対するすべての戦争はもちろんのこと、現代の歴史におけるパレスチナ人に対するどの戦争よりも、前例のない規模の犠牲者を出した。当初、「ジェノサイド(大量虐殺)」という言葉は、は知識人や活動家たちによって使われたが、やがて国際法の専門家たちによっても使われるようになった。

それにもかかわらず、国連は何もできなかった。アントニオ・グテーレス事務総長は11月8日、国連にはガザにおける潜在的なジェノサイドを防ぐための「資金も力も持っていない」と述べた。これは事実上、国際法的・政治的なシステムが無力化されたことを意味し、国連安全保障理事会が即時かつ恒久的な停戦を要求するあらゆる試みは米国によって妨害された。

飢餓に苦しむガザ住民の間で死者が増えるなか、パレスチナ人はガザ地区全域で抵抗した。彼らの抵抗は、侵攻するイスラエル兵を攻撃したり待ち伏せしたりすることにとどまらず、弱体化や追放を拒否する人々の、伝説的な不屈の精神に基づくものであった。

この「サムード(Sumud/不屈)」の精神は、イスラエルが病院、学校、そして戦時には「安全」と見なされるべきあらゆる場所を組織的に攻撃し始めた時でさえ消えることはなかった。

12月3日、国連人権高等弁務官フォルカー・テュルク氏は「ガザに安全な場所はない」と述べた。この発言は他の国連関係者によっても繰り返され、また「ガザは子供たちの墓場になっている」という言葉も10月31日に国連児童基金(UNICEF)の報道官、ジェームズ・エルダー氏によって最初に言及された。これによりアントニオ・グテーレス国連事務総長には、国連憲章第99条を発動する他の選択肢は残されなかった。この条項では事務総長に、「彼の意見で国際的な平和と安全の維持に脅威を与える可能性があると思われるいかなる事態も安全保障理事会の注意を喚起する」権限が与えられている。

イスラエルの暴力とパレスチナのサムードは、ヨルダン川西岸地区にも及んだ。同地区での武装抵抗の可能性を察知したイスラエル軍は、すぐに数多くのパレスチナ人の町や村、難民キャンプに大規模で致命的な襲撃を行い、数百人を殺害し、数千人を負傷させ、さらに数千人以上を逮捕した。

しかし、ガザはイスラエルによるジェノサイドの震源地であり続けた。わずかな人道的休戦と囚人交換を除けば、ガザをめぐる戦い、つまりパレスチナとパレスチナ人の未来をめぐる戦いは、死と破壊という前例のない代償を支払いながら続いている。

パレスチナ人は、現在進行中の戦いが次の2つのうち、いずれか1つの結末をもたらすことを十分に理解している。それは、1948年の民族浄化であるナクバのような新たなナクバを意味するのか、あるいはそのナクバの逆転――イスラエルの植民地主義のくびきからパレスチナ人を解放するプロセス――の始まりを意味するのか、そのどちらかである。

イスラエルはパレスチナの抵抗運動を一挙に終わらせる決意を固めているが、パレスチナ人民の自由を勝ち取ろうとする決意は、今後数年間ではるかに大きなものになることは明らかだ。

  • ラムジー・バロード氏は20年以上にわたって中東について執筆している。国際的な組織のコラムニスト、メディア・コンサルタント、数冊の本の著者であり、PalestineChronicle.comの創設者でもある。
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