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アフガニスタン戦争は2001年に回避できたかもしれない:元ISI長官

2004年9月21日、アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領(左)、米国のジョージ・W・ブッシュ大統領(中央)、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領(右)が、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアホテルで報道陣と雑談する。(ファイル/AFP)
2004年9月21日、アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領(左)、米国のジョージ・W・ブッシュ大統領(中央)、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領(右)が、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアホテルで報道陣と雑談する。(ファイル/AFP)
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09 Sep 2021 06:09:47 GMT9
09 Sep 2021 06:09:47 GMT9

サイマ・シャビール

イスラマバード: 2001年9月11日の同時多発テロの後、米国がパキスタンとサウジアラビアの政府関係者の助言に耳を傾けていれば、アフガニスタンでの長くて費用のかかる戦争を回避できたかもしれないと、パキスタンの軍統合情報局(ISI)の元長官がアラブニュースの独占インタビューで語った。

エサン・ウル・ハク将軍は、米国同時多発テロのわずか数週間後の2001年10月にパキスタンの主要スパイ機関であるISIの長官に就任し、6年後には統合参謀本部委員長を務めて引退した。どちらの役職も、9.11以降のパキスタンの意思決定と、米国のアフガニスタン戦争におけるパキスタンの役割の中心となっていた。

NATO軍がアフガニスタンに進駐して間もない2001年11月初旬、パキスタンはサウジアラビアの協力を得て、この地域を混乱から、タリバンを壊滅から救うために、あまり知られていない外交努力を行った。

2021年8月31日、パキスタンの共同参謀本部委員会元会長で軍統合情報局元局長を務めていたエサン・ウル・ハク将軍が、イスラマバードでアラブニュースと対談する。 (AN)

ハク氏は、軍事政権のムシャラフ大統領がブッシュ大統領に宛てた4ページにわたる書簡を携えて、密かにワシントンに飛んだ。

その書簡には、アフガニスタンの隠れ家で9.11テロを計画したとされるアルカイダとの戦いに協力するタリバンの指導者たちとの交渉を通じて、アフガン紛争を解決するための新たな取り組みを始めることが提案されていた。

「あれはパキスタンとサウジアラビアの共同イニシアティブでした」と、イスラマバードの自宅でインタビューに応じたハク氏は言う。「私は故サウード・アール・ファイサル王子と一緒に、大統領、国務長官、CIA長官などアメリカの最高レベルの指導者たちに、アフガニスタンに国連が介入すべきだと提案しました」

2007年4月23日、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領が、ワルシャワの無名戦士の墓を訪問する。 (ファイル/AFP)

当時の英国首相であるトニー・ブレア氏はこの構想を後押しし、ムシャラフ氏の提案をブッシュ大統領に内々に伝えることを志願したと伝えられている。2018年に出版された『シークレット・ウォーズ アメリカ、アフガニスタン、パキスタン 三つ巴の諜報戦争(原題:Directorate S: The CIA and America’s secret wars in Afghanistan and Pakistan)』の著者、アメリカ人ジャーナリストのスティーブ・コル氏は、この代表団は軽視されていたと述べている。

「ブレア氏は11月7日にワシントンに到着した」とコル氏は書いている。「しかしハク氏とサウジアラビアのエスコートが到着した直後、ブレア氏は悪いニュースを伝えた。「少なくともブッシュ政権の見解では、交渉の望みはない。タリバンが無条件降伏するか、全滅するまで戦争は続くだろう」と。

20年経った今ハク氏は語る。このことは、アメリカ人にとってチャンスを逃したものであり、もし作戦が行われていれば、アメリカ人とアフガニスタンの人々が多くの血と財宝を失うこともなく、地域の安定を保つことができたはずだと言う。

2021年8月31日、パキスタンの共同参謀本部委員会元会長で軍統合情報局元局長を務めていたエサン・ウル・ハク将軍が、イスラマバードでアラブニュースと対談する。 (AN)

「そもそも、戦争は回避できたはずだ」とハク氏は言う。「もしアメリカが、9.11の後にパキスタンとサウジアラビアが提示した提言に耳を傾けていたら、紛争はもっと短くなっていただろう」

ハク氏によると、パキスタンとサウジアラビアは、アフガニスタンの状況に軍事的解決策はなく、国連の支援を受けた政治的解決策が最良の選択肢であることを「非常に誠実に」アメリカに伝えたという。

「私たちは、紛争が長期化しないように、国連の下でアフガニスタンに広範な合意に基づく政府を導入すべきだと提案しました。しかし、残念ながら私たちの誠実且つ最善の努力は聞き入れられず、その結果、紛争は20年もの長い間続いてしまったのです」

ムシャラフ大統領が2006年にCBSテレビのインタビューで主張した「同時多発テロの後、パキスタンがアメリカのアフガニスタン戦争に協力しなければ、ブッシュ政権はパキスタンを『石器時代に戻す』と脅した」という内容には多くの議論があった。これに対し、リチャード・アーミテージ国務次官補は、使われた言葉に異議を唱えたものの、パキスタンへの通告は否定しなかった。

しかしハク氏は、パキスタンを説得するのにそのような通告は不必要だったと語る。「米国は(9.11の後)24時間から36時間後にパキスタンに接触しました。パキスタンはすでに事件を非難していたし、我々は国際社会の立場に立ち、国連安全保障理事会の決議に従って対応することを決めていました」

10年後、パキスタンの駐屯地であるアボタバードに潜伏していた9.11事件の首謀者、オサマ・ビンラディンを探し出すために、アメリカの特殊部隊がパキスタンに無断で国境を越えた急襲を行ったとき、イスラマバードとワシントンの関係はどん底に落ちた。

2019年12月11日、アフガン治安部隊が、カブールの北方パルワン州にあるアフガニスタン内最大の米軍基地近くで起きた自動車爆弾現場に到着する。(ファイル/AFP)

ハク氏は、ビンラディンが長年にわたってパキスタン国内での捕縛を免れてきたことは、パキスタン側の「巨大な諜報活動の失敗」であり、個人的にも大きな恥ずかしさを感じていると語った。

「パキスタン人として、そして元統合参謀本部委員長としても、ISIの元長官としても、アボタバードで起きたことは、アメリカ人よりも先にオサマ・ビンラディンを発見できなかったという意味で、恥ずべきことだと感じています」と語った。

将来を見据えたとき、ハク氏は、タリバンが政権に復帰することで、パキスタンは「戦略的に」利益を得ることができると言う。なぜならカブールの支配者が変わることで、インドがアフガニスタンの地を使ってパキスタンを「不安定化」させるのを阻止できるからである。「我々は、アフガンの要素が、パキスタンの不利な状況に終止符を打つと考えています」と彼は言った。

2019年4月3日、アフガニスタンにおける米軍とNATO 軍の司令官スコット・ミラー将軍が、カブールにある「確固たる支援任務」本部でのNATO創立70周年記念で講演する。(ファイル/AFP)

米国とパキスタンについては、「アフガニスタンの混乱を解消し、安定化させるためには、米国の協力が必要」と、これまで以上に関係改善の必要性が高まっているとハク氏は考えている。また、バイデン政権に対しては、アフガン国民のためにタリバンの次期政権を認め、協力するよう求めた。

「もし、タリバン政権やアフガニスタンの他の政権を国連のテロリスト・制裁リストに載せたままにすると、アフガニスタンは国際機関から支援を受けられなくなります。そして、これはタリバン政府の行動に影響を与え、それ自体が問題を引き起こすことになるでしょう」

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