
先週のベイルートでのロックダウンの決定に関連するニュースは、ソーシャルメディア上で瞬く間に広まった。公報によると、「アーシュラフィーフで30の逮捕状が発行され、ベイルートではこの決定を90%が順守し、軍がダヒエ郊外で営業していた店舗に対し、閉鎖の決定を順守するよう要請した」とのことだ。
この公報がソーシャルメディア上で共有された理由は、市のある地区での「逮捕状」の使用と、別の地域での「順守の要請」が対照的だったからだ。たった1文で、この深刻かつ危険な瞬間に、必要不可欠ではないビジネスを閉鎖するという主権者の決定が、— それが正しいことなのか、間違っているのかはさておき —市の一部では力によって適用されながらも、別の地域では強制できなかったのだ。これがレバノンの今である。
これは、レバノンにおける政治・社会・医療・安全保障状況の縮図だ。このような差別的な国家権力が、この国をだめにしている。当局が緊急事態を宣言しながらも、ヒズボラが掌握する地域に対して軍がロックダウンを強制できなかったり、その完全な権力を拡大できなかったりしたことは、レバノン崩壊の理由だ。ヒズボラによるあらゆる主権に対する不服従の奨励は、国や市民の幸福を脅かす武器庫を通して行われているのだ。
腐敗が始まり、それが許されまでするのは、まさにここだ。ここからヒズボラはその許しを近しい部族の長にまで広げ、彼らも国の決定から自由になることができるのである。
簡潔に言うと、レバノンは例外だらけの国だ。有名な格言で、規則を証明するのが例外であるというのなら、レバノンでは「規則が例外を正当化する」ということになっている。今日では、ヒズボラの例外こそがトリクルダウンし、国家の主権を破壊しているのだ。
国の主権と市民の幸福は、これらの例外によって蝕まれ続けている。この国を崩壊へと導いた他の例外には、銀行部門がある— 銀行カルテルと言った方が妥当な表現かもしれないが。レバノンの保健衛生危機以上に、金融危機も深刻化することは、今や明らかだ。その次はドル建て預金で、間もなく予測されている「ヘアカット」が行われることになりそうだが、最大の負担を誰が背負い、これがどのように適用されるのかはまだ不明確だ。ドルペグの終了が見込まれる中、特に国際通貨基金との合意に至れば、その日はすぐにやって来るだろう。このドルペグ解除措置は、実際のところ長期的には悪くない動向かもしれないが、輸入コストを上昇させ、国民の最も脆弱な部分をさらにひどい貧困へと陥れることになるだろう。支援策、これは現在計画されていないようだが、これなしには、壊滅的な人道的帰結をもたらすことになるだろう。
これは、レバノンの状況がさらに悪化し、闇市場が、より深刻な安全保障事案と並行して拡大することを意味する。国家権力は、特にその責務を果たすことができなくなる中で、蝕まれ続けることが予想できる。結果として混乱が起こるかもしれないが、当面予想できるのは、ヒズボラとその犯罪組織による支配が大きくなることだけだ。我々は最終的に、各グループがそれぞれを保護するという、国内の地理的・宗派的分断へと戻ることになるだろう。
経済の崩壊とパンデミックの拡大の間で、2019年10月に変化を起こそうと暴動を起こした若者は潰されてしまった。彼らは、ソーシャルメディア上でスローガンを唱え、バーチャルに反対することしかできなくなった。レバノンは宗教民兵と腐敗した政治階層によって統治されているという彼らの最近のスローガンは、この国を適切に言い表すことさえできていない。このスローガンはヒズボラを免罪している。腐敗した政治階層が実際には従順な服従者である時には、ヒズボラは彼らと共同責任を負っているからだ。このスローガンは、イランの民兵に国が占拠されているという点においてのみ、的を射ていると言うべきだ。これは外国による占領だと理解するのは、現段階では不毛かもしれないが、それでも重要である。
大っぴらに分析し、解決策を提示するという単純な行為は、この不透明感や不適切な政権運営に光を当てる。
ハレド・アボウ・ザフル
状況が悪化する中で、世界中の多くの優秀なレバノン人が — 単に自国への愛国心から — レバノンを救う新たな取り組みをいかに生み出していくか、賢く鋭いアイデアを発表している。このようなおせっかいなコンセプトは、再生可能エネルギーの導入から、金融危機を脱するための実用的な解決策まで多岐にわたる。これらはどれも、この国のプロセスをより効率的かつ透明にしたいという希望を共有している。現政権は、不透明感と分断を利用して力に変えているので、これはまさに彼らが直視したくないことなので、決して検討はされないだろう。しかし、大っぴらに分析し、解決策を提示するという単純な行為は、この不透明感や不適切な政権運営に光を当てる。例え小さなことでも、全体ではプラスだ。
今こそ世界中のレバノン人がこれを1歩前に進め、新しいレバノンの具体的な枠組みを構築し始める時だ。これは非現実的に聞こえるかもしれないが、このようにすれば、新たなビジョンを構築し始めることができるのだ。2019年に蜂起した若者にはこの枠組みや政治的ビジョンが欠如しており、結果として潰されたのだ。
しっかりとしたガバナンスの枠組みが伴った政治ビジョンは、たとえ紙の上だけのものであったとしても、目指し発展させるべき、現実的なものである。これは、レバノン人の心の知恵を取り入れた共同作業であるべきだ:議員には新憲法を書いてもらい、経済やビジネスの専門家には経済・社会政策を実施してもらい、デザイナーや設計者にはこのビジョンに意味と深みを与えてもらい、そして苦しんでいる人々には、何を必要としているのかを語ってもらうのだ。
計画やビジョンは、支持を獲得し、人々を結集させる勢いを作り出す最高の手段でもあるだろう。遠い夢でしかなくても、この新しいロードマップを作る喫緊の必要性があるのだ。遅かれ早かれ、自由で、主権のある独立したレバノンが現れると、私は強く信じている—全ての国民を、その信条に関わらず、尊重し、保護し、全ての国民がその国民としての義務を尊重し、守るレバノンだ。レバノン人もこれを信じる必要がある。2020年には奇妙なことが起きたが、ならば、2021年の初めにはなぜこれを実現させないのだ?