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9.11米国同時多発テロから得た教訓・・・そして得られなかった教訓

米国主導のアフガニスタン侵攻により、何千人もの命が犠牲となり、何兆ドルもの予算が費やされたものの、結局は失敗に終わった。(AP 写真)
米国主導のアフガニスタン侵攻により、何千人もの命が犠牲となり、何兆ドルもの予算が費やされたものの、結局は失敗に終わった。(AP 写真)
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12 Sep 2021 11:09:42 GMT9
12 Sep 2021 11:09:42 GMT9

冷戦後の米国政治や国際情勢において、9.11米国同時多発テロほど注目すべき分岐点はない。純粋にその非道さからも、その後を決定づける瞬間であった。また、現代のメディアも相まって、外国の組織によって米国内で引き起こされた最も致命的なテロ攻撃の日を、何度も何度も追体験することができたという点からもそうであった。

3機の航空機がニューヨークとワシントンの政治経済の中心地に墜落し、4機目がペンシルバニア州の田舎に墜落するという恐怖は、この悲劇の様子をテレビ放送で見ていた人々にとって、極度の脆弱さと恐怖を感じさせるものであり、怒りと多くの人にとっては復讐心が入り混じったものとなった。アルカイダのメンバーである19人の自爆テロリストは、米国と米国民を盲目的に憎み、2,977人の米国民の命を奪っただけでなく、全米の国民の精神をも変えてしまった。

同時多発テロから20年を迎える今年は、米国がアフガニスタンから早急撤退した日を記念する日に向けた始まりでもある。この2つの出来事は、今後永久にリンクし続けることになる。9月11日が米国社会にもたらした衝撃がどれほど辛いものであったかは、いくら強調してもしすぎることはない。そして、ユナイテッド航空93便の乗客の勇気ある行動が、4機目の航空機がホワイトハウスや連邦議会議事堂に墜落するのを確実に防いだ、という感情的な衝撃がこれに加わった。しかし、このような理解可能な様々な感情が、同時多発テロ後の意思決定プロセスを支配すべきでなかったのだ。ブッシュ大統領の下で、米国の指導者らは一連のパンドラの箱を開けることでこのテロ攻撃に対処した。同種のさらなるテロを回避できたものの、その対処の結果として、米国の性質そのものが変化し、民主主義の基盤が損なわれ、世界との関係や、脅威となる非国家主体に対処する米国独自のアプローチも変化した。

多くの国がそうであるように、米国も他国からの脅威に対処するために、意識的にも軍事的にも備えている。アルカイダのようなテロ組織に所属し、航空機を墜落させることだけを目的として、自分の命を惜しまずに航空機の操縦を学ぶハイジャック犯らは、西洋諸国の考え方では乗り越えられない挑戦であった。不幸にも、非常に見当違いの『テロとの戦い』という言葉が使われるようになったことにより、特定の非常に確立された国家のような標的という誤った印象を与えてしまった。しかし、当時必要とされたのは通常の戦争ではなく、限られた能力しか持たない非国家主体に対する対反乱作戦であった。その敵は、その歪んだイデオロギーと悪意のある意図によって被害をもたらすことが可能であったとしても、軍事的にも心理戦及びイデオロギー戦の観点からも、より複雑で選択的なアプローチを必要とする敵であったのだ。

不幸にも、非常に見当違いの『テロとの戦い』という言葉が使われるようになったことにより、特定された国家的な標的という誤った印象を与えてしまった。しかし、当時必要とされたのは通常の戦争ではなく、限られた能力しか持たない非国家主体に対する対反乱作戦であった。
 
ヨシ・メケルバーグ

テロ行為に走る過激派グループは、その人数も能力も限られている。しかし、彼らのその熱意と無差別な手法、そして社会の相当数の層からの共感と支持を得ることにより、彼らは脅威と化しているのだ。ほとんどの場合、このような過激派グループは実存的な脅威をもたらさない。彼らが引き起こすことができる過剰な反応が、彼らを実際よりも大きな存在であるかのように見せている。アフガニスタンなどにおけるアルカイダの存在を根絶したいという人々の願いは、合理的な反応であった。しかし、民主主義を広めるという大義を掲げて行われた米国によるアフガニスタンへの全面的な侵攻は、20年に及ぶ国家建設の失敗に終わった。米国だけでも毎日何千人もの命が犠牲となり、何億ドルもの予算が費やされ、屈辱的の内に終わり、国際的な信頼性を完全に失った。そして同時に、米国によるアフガニスタン侵攻は、それまでいかなるテロリスト集団が引き起こしたものよりも大きな損失を米国に与えた。

2003年に米国がイラクに侵攻してサダム・フセインを追放したのも、『テロとの戦い』がその理由の一つだった。その主張は、イラクの核開発を阻止するために軍隊を派遣したという言い訳と同じくらい欠陥があり、根拠のないものだった。しかし、これらの正当化の理由は、当時のワシントンに漂っていた雰囲気を反映したものだった。そしてその結果、米国を北大西洋条約機構(NATO)条約の第5条を発動させることとなった。同条は冷戦時代にソ連の軍事力を抑止することを目的としたものであり、非正規軍に対処するためのものではない。

アルカイダやその関連組織との戦いは、外国の軍隊との戦いというよりも、心の問題であり、資源の大半はそこに向けられるべきだったのだ。9.11の同時多発テロ以降の戦争では、8兆ドル以上の予算が費やされ、何十万人もの人々が犠牲になったと言われている。しかし、過激なイスラム主義組織の基盤となっている西洋諸国に対する恨みは消えておらず、ダーイシュはその最も悲惨な恨みが顕著に現れた一つに過ぎない。また、グアンタナモ収容所などで行われている強制連行、適正手続きの欠如、収容者の非人道的な扱い、そして拷問や、超法規的殺人、占領などは、世界のイスラム教徒の欧米諸国に対する怒りをさらに高めた。

その過程で、愛国者法の場合と同様に、米国自身の民主主義的な価値観が損なわれ、人種差別的なイスラム恐怖症というパンドラの箱が明けられたのだ。20年前の同時多発テロ事件以来、米国には反イスラム的な感情が蔓延している。地域社会を分裂させることを目的とした政治家によって、その感情が扇動され、皮肉にも利用されてる。これは米国とヨーロッパの社会情勢および政治情勢を形成する一部の要素であり、重要な要素でもある。対テロリズムと対反乱プログラムは、重要な役割を担っている。しかし、それらは、それら対抗する人々を内部から強化することで補完してこそ、効果を発揮することができる。そしてその人々とは、過激派への恐怖と、穏健なイスラム諸国やイスラム教の運動との真の対話を構築するのではなく、自分たちの意志や生き方を押し付けようとする米国への不信感との間に挟まれている大多数のイスラム教徒である。

もし、9.11以降の戦争に費やされた資源のほんの一部が、これらの国々のコミュニティとの橋渡しや、国連の「ミレニアム開発目標」とその後継である「持続可能な開発目標」の達成に向けて使われていたとしたら、どれだけの爆弾やミサイルを使っても達成できないほど、米国の安全保障に貢献していたことになっていただろう。

アフガニスタンからの米軍撤退が議論を呼んだように、これは9.11の同時多発テロの残虐行為に対する米国主導の対応を再評価する機会でもあるかもしれない。米国の歴史や、米国内における寛容さ、国外における米国の関与とリーダーシップから鑑みると、米国の輝かしい時代とは到底言えない。しかし、軍事的な同盟関係だけでなく、国内外のイスラム教徒とのパートナーシップや対話を構築するには良い時期なのかもしれない。

・ヨシ・メケルバーグ氏は、国際関係学の教授を務め、チャタムハウスの中東・北アフリカプログラムでアソシエイトフェローを務めている。また、国際的な紙媒体メディアや電子媒体のメディアにも定期的に寄稿している。ツイッター@YMekelberg

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