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イランの戦略計画におけるイエメンの役割を探る

2014年10月27日、イエメンの首都サヌアのフーシ派民兵。(AP写真)
2014年10月27日、イエメンの首都サヌアのフーシ派民兵。(AP写真)
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25 Jan 2022 11:01:39 GMT9

イランは、1980年代半ばから有効とされてきたものと同じ戦略を追求することで、イエメンの懐に入り込んだ。イランの指導者は、いくつかの理由からイエメン当局が、イランが支配を目指す領土全ては提供できないことをよく知っている。このため、イランは公式レベルを回避し、イエメン国内の同盟プロキシ(代理勢力)を通じて、非国家レベルの「グレーゾーン」で活動するようになった。

イランはイエメン国内、特にサヌアと北部の州であらゆる手段でそのプロキシを支援し、シーア派の一派ザイド派コミュニティ、特に少数派のジャールード派の中に足場を築くことに成功した。この浸透は、フーシ派の指導者に対する十二イマーム・シーア派のイデオロギー的影響と相まって、同コミュニティの教義を弱体化させ、テヘランのプロキシは十二イマーム・シーア派のいくつかの教義をザイド派イスラム教に取り入れることに成功した。

イランがイエメンに浸透することは、スーダンの場合と比較して、特にイランが実質的に国内からコントロールしているテヘラン系武装プロキシグループの存在を考慮すると、より大きく、より重大な危険をもたらす。

1979年のイラン革命後、イエメンはザイド派の存在により、地理的、文化的、宗教的領域で大きな注目を浴びた。彼らはイエメンの人口の約3分の1を占めている。

イランは、イスラム教指導者への傾倒から、アラブ地域に向けて神権革命を浸透させるため、地域全体で紛争を繰り広げている。

テヘランはフーシ派を、レバノン、シリア、イラクにある他のプロキシグループとともに、その政治的・宗派的野心を実現するための有効な役割を課すことができる、新たな地域パートナーとみなしている。

イランは、直接的にも間接的にもフーシ派に反乱を起こさせ、不服従の態度と取らせ、彼らが虐げられているコミュニティであるかのように見せかけている。

十二イマーム派が崇拝する12人のイマームの中にザイド・イブン・アリーが含まれていないことから、同派がザイド派信者を無数に非難し、2つの宗派を結びつける人々を糾弾していることに、イランは無関心である。

逆にザイド派の聖職者たちは、十二イマーム派を「正しい道から外れている」と糾弾している。

これらの点から、イランがイエメンのフーシ派やザイド派に関心を持つのは純粋に政治的な動機によるものであり、イランの拡張計画に結びついていることが明らかである。このように明らかな矛盾点があるにもかかわらず、イランのメディアはイエメンの舞台に関する偏った報道を通じてフーシ派を宣伝し、彼らを支援している。

イランのメディアは、フーシ派とテヘランとの結びつきを公然と語り、称賛し、フーシ派の成功は、シリアでの活動を含めたイランの地域的目標達成による成功の証と見なされる、と宣言している。

同メディアは、フーシ派のイメージに磨きをかけ、イラン国民にフーシ派を、暴力や宗派間の争い、狭義の排他的イデオロギーとは無縁の、賢明で穏健なグループとして紹介することに努めている。

フーシ派がイエメンの首都サヌアを席巻したとき、イランのメディアはそのことには触れず、サヌアの南にあるスンニ派が多数を占める地域で行われた、あるイマームが率いるシーア派の金曜礼拝のイベントに注目した。

イランメディアによると、このイベントは、フーシ派がイエメンにおけるすべての派閥を指導し、代表する能力があることを証明するものであるとのことだ。

メディアはまた、フーシ派が反政府集会で武器を使用したり、携帯したり、取り上げたりしなかったと報道することで、イエメンのシーア派が平和的であることを証明しようとしているが、集会の写真や映像を見れば、これは真実でないことは明らかだ。

テヘランは、フーシ派とレバノンのヒズボラを比較することに熱心だ。イランがヒズボラを創設したことで、レバノンの南側国境に多数のイスラエル軍が駐留するようになった。そしてイランは、イスラエルによる占領の代理のような振る舞いで、北側の隣人となったのだ。

同じ方式を採用して、イランはサウジアラビアの南側の隣人となり、地域の政治的方程式に関与してサウジアラビアに直接的な圧力をかけることができるようになるかもしれない。

この問題については、イランの元外務大臣で最高指導者の政治顧問であるアリ・アクバル・ヴェラヤティ氏が最近取り上げている。ヴェラヤティ氏は、イエメンの歴史におけるユニークな変化を誇り、フーシ派の連勝は彼らの作戦が綿密に計画されたものであることを示していると主張した。同氏は、フーシ派がイエメンでも、レバノンのヒズボラと同様の役割を果たすことへの期待を表明し、ヒズボラはレバノン軍とともにレバノンを脅かす者たちと戦っていると述べた。また、イランはイエメンのフーシ派を「イスラムの目覚め」の一部と考えていると付け加えた。

過去20年間、イランは一部のザイド派の学生、特に思想的にフーシ派に近い学生を集め、イエメンに浸透させることに成功した。イランはこれらの学生にイランの大学での奨学金を与えた。彼らはそこでイラン政権の政治的方向性を反映し、同政権が提唱する十二イマーム派の教義を受け入れるように形成され、影響され、教化された。

イランはまた、バドレッディン・アル・フーシとその息子たちのような、イエメンのザイド派コミュニティの中で影響力のあるリーダーを引き寄せることに成功した。これらの指導者は十二イマーム派に改宗し、この教義をイド派コミュニティ全体に広めた。加えて、イランはイド派の多い地域で経済的な支援を行い、地元の人々を取り込むことを目的としている。

イランにとってイエメンは最重要であり、十二イマーム派はその教義上、救世主イマーム・マハディに先立って現れ、イマーム・マフディが現れたときに彼を支援する重要な人物、アル・ヤマニがイエメンの地から現れると信じている。

政治レベルでは、イランがフーシ派を支援し、工作員を潜伏させ、大量の武器を密輸しようとしていることを通じて、イランのイエメンへの関与の強さをイエメン情勢の専門家たちはよく知っている。また、イランはシリアやレバノンに、イエメン反体制派のためのテレビチャンネルを設立し、支援している。

イランの関与を示すイエメン治安当局が提出した説得力のある圧倒的な証拠にもかかわらず、テヘランは当然のことながら、すべての証拠を冤罪だと断定し、否定している。

イランの指導者は、もしイエメンの紛争でシーア派とフーシ派が勝利を収めれば、2つの驚くべき出来事が起こると考えている。第一に、イエメン北部に国際的な承認を得て、サーダを首都とする巨大で強力な半独立国家が設立される。

第二に、同じ計算によるものだが、シーア派が支配する中央政府がイエメンに設置され、サヌアがイランの強力な同盟国になることである。

歴史的なレベルでは、テヘランは一方でエジプトとイエメン、他方でサウジアラビアとイエメンの違いを強調しており、特にイマーム王制が廃止された20世紀後半の状況を目の当たりにしている。

イラン人はこの出来事を、左派や社会主義勢力と、イランが「反動勢力」と呼ぶものとの衝突として捉えている。また、イランのメディアは、サウジアラビアとイエメンの関係に影響を与えた緊張関係や、2009年にサウジアラビアとイエメンの国境にあるジャバル・アルドゥカンでサウジアラビア軍とフーシ派の間で発生した戦闘についても繰り返し言及している。イランはフーシ派が統治するイエメンと、サウジアラビアの間の反感を深めるために、歪んだ物語を吹聴しているのだ。物語の中でフーシ派はサウジアラビア軍に勝利したように描かれ、イエメン社会の一部の層から同情と支持を集め、民族主義的な側面を付与している。

また、イランのメディアでは、6世紀のアケメネス朝に始まり、サーサーン朝、ファーティマ朝を経て、イランとイエメンの歴史的な結びつきが語られている。パフラヴィー朝も、いわゆるイスラム共和国も、軌道を変えることなく、イランとイエメンの歴史的な結びつきを維持したと。この歴史物語によれば、アラブ人とイラン人の主人公に関連して、イランを独立した進歩的なイエメン国家の設立に熱心な当事者として描き、歴史を通じてイランがイエメンに提供したポジティブな献身を誇示することが主眼となっている。また、他のアラブ諸国、特にサウジアラビアとイエメンの関係を執拗なまでに否定的に描いている。サウジアラビアは、イエメンを破壊しようとする反動的な敵として描かれ、イエメン人の機知と力を恐れ、何らかの形で王国に影響を与える可能性のある、国内のあらゆる前向きな発展を阻止しようとしている。

そして地域レベルでは、イエメンの状況に対処するために、イランは北部と南部のアラブ人に代表されるアラブ部族間の紛争のアラブ民族主義的な側面を、イスラム教の到来以前と以降に渡って大きく強調している。イランのレトリックでは、イエメンがアラブ人の発祥地であることを主張し、イエメン人は他のアラブ人とは異なり、特に知的であると描いている。これはアラビア半島の他のアラブ部族や民族に対するイエメンの部族的・派閥的な感覚や偏見をあおる試みであり、テヘランは部族問題や歴史に関する地域的な敏感さと、特にイエメン社会でこれらの問題が重要視されていることをよく知っている。

イラン(ペルシャ)民族主義者としての側面では、イランはイエメンや紅海に面したすべての国のペルシャ文明に関連する歴史的モニュメントに注目し、この地域におけるペルシャ帝国の文化的・文明的な存在を強調している。これは、民間のイラン民族主義者の琴線に触れ、ペルシャ人超国家主義者の心中に常に存在するサーサーン朝復活の夢を育て、多くの人がこの夢の実現を願っていることを利用した、非常に計算高い戦略である。

テヘランは、自分の政治的・宗派的野心を実現するために、フーシ派が有効な役割を果たすことができると考えている。

モハンマド・アル・スラミ博士

この点については、イランの指導者たちが採用している十二イマーム派は、宗教的な側面に加えて民族主義的な側面も持ち合わせており、将来のマフディー国家においてイエメンが重要な役割を果たす可能性があることをよく理解している。

一方、地政学的には、イランはイエメンの戦略的位置を重視しており、地理的な観点から、バブ・エル・マンデブ海峡とアデン湾を通過する世界の海上交通の大部分を占めるイエメンの海洋的重要性を強く意識している。テヘランはまた、イエメン南部に存在することでホルムズ海峡の支配力を高め、アラビア海での足場を確保することができると考えており、重要な水路の閉鎖を脅しの手段として、世界のエネルギー市場に混乱をもたらすことができる選択肢を増やすことを目的としている。

イランにとってイエメンが重要であるもう一つの理由は、この地域のライバルであるサウジアラビアの隣国であることである。テヘランは、サウジ・イエメン国境に展開するフーシ派への支援を通じて、ライバル国の陸路国境近くに足場を確保しようとしている。イランの一部のメディアや著名人の半公式コメントでは、フーシ派がイエメンの大部分を支配することで、イランがサウジアラビアの事実上の南隣国になったとしている。

イランがこのような挑発的な発言をした目的はともかく、イラン政権にとってイエメンが地政学的に重要な意味を持つことは明らかである。

このように、イランがテロを支援し、後援していることに対して、世界の主要国が故意に目をつぶり、関心を示さないことは非常に危険である。米国が核合意再開の可能性を明確に示唆しているが、これは間違いなくこの地域の暴力と不安定性を高めることになるだろう。なぜなら、制裁の解除は、イラン国民の生活水準にプラスの影響を与えるどころか、武装勢力への財政的・軍事的支援を強化することになるからである。世界の大国が知恵を出さない限り、イエメンとその地域の未来は暗いものになるだろう。

  • モハンマド・アル・スラミ博士は、国際イラン研究所(Rasanah)の所長を務めている。ツイッター @mohalsulami
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