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アラブのアイデンティティーを奪おうとするイランの努力はオウンゴールだ

アラビアン・ガルフ・カップでのカタールとUAEとのサッカー試合における、スタジアム内でのアラブ首長国連邦のファン。(AP)
アラビアン・ガルフ・カップでのカタールとUAEとのサッカー試合における、スタジアム内でのアラブ首長国連邦のファン。(AP)
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17 Jan 2023 08:01:19 GMT9
17 Jan 2023 08:01:19 GMT9

湾岸アラビア人がほとんどイラクを訪問しなくなり数十年の後、イラクが今月、サッカーのアラビアン・ガルフ・カップ(日本では「ガルフカップ」を使用)を、1979年以来初めて主催したことはエキサイティングなできごとである。ところが、イランは無鉄砲にも、イラクのアラブ兄弟国との関係の妨害にあらゆるコストを費やしている。バスラでのトーナメント開会式で、醜い口論からクウェートの代表団が、他の湾岸協力理事会(GCC)代表や国民らと並んで退席し、このことは放送で衆目にさらされた。

 イランの神政主義者らは、ムハンマド・シア・アル・スダニ首相の「アラビア湾岸の国々からのアラブゲストの皆さん」という歓迎に特に憤慨した。なぜなら彼らは、スダニ氏はイランの「ペルシア湾」拡大プロジェクトの一環として、彼らのイラク人操り人形が任命したと印象付けられていたからである。さらに、スダニ氏の先月のリヤドでのアラブ中国サミットおよび12月のヨルダン主催のバグダッド・カンファレンスへの参加は、広く(正誤を伴って)、アラブ諸国との連携を強化する意図のアピールだと解釈されていた。

イランはイラク、シリア、レバノン、イエメンのような国々をアラブのルーツや文化から引き離し、それらを不活発な、ペルシアの植民地の失敗した国に変えようと努力していた。このプロジェクトは失敗する運命にあり、それらのバスケット籠の付属物は、すぐに崩壊するアーヤトッラー(シーア派高位者の称号)の政権よりもほとんど長続きすることはなかったものの、このような敵対的ポリシーにより、アラブ諸国は、カオス、大量殺人、宗派粛清、人道に対する犯罪に見舞われ、長期にわたり苦しめられてきた。

シーア派のサドリスト運動(以前イランが協力を求めていた集団)の代表メンバーのイーサム・フセイン氏は、「アラビア湾」と口に出すことにさえ決意を要する、イラク高官へのイランの扇動的な反応を強く非難した。彼は「イランはイラク人とアラブ湾岸諸国の人々との緊密さにとてもいらだっている。イランは将来の観光旅行の増加や経済や投資の連携発展に対する恐れからこの親善回復を望んでいない」と述べた。

 実際、アラビアン・ガルフ・カップは1970年に初めて開催されて以来このように呼ばれている。イランはイラクをプライベートな領国とみなし、イラクのリーダーはどんな機会でも屈辱的に虐げ得ると考え問題を起している。興味深いことに(習慣的に西洋の「植民勢力」の妥当性に異議を立てている)イランは、彼らの「ペルシア湾」についての幻想の中で、植民地時代の文書を疑いようのない福音書と受け取っている。アラブ半島の国々を「ペルシア湾岸国」と参照しながら、あたかもイラクのヘゲモニー(軍事的覇権)のもとに存在するかのような主張さえもする。この主張は特に有害な、バーレーンやその他の湾の島々や領地がイスラム共和国に属しているという、不法なクレームを時折起こしている。

アラビア湾は全歴史にわたってアラブの湖だった。近年の世紀にわたって、湾東岸沿いの領地はザグロス山脈によりペルシア内陸から隔離され主に船乗りのアラブ種族と独立統治のアラブ小国が占有していた。ハワラ・アラブはこの沿岸の居住者としてもっともよく知られ、後に彼らの多くがイラン王制やイスラム共和国からの迫害を逃れアラブ国家を生活の拠点にした。

イランの使徒たちは、アラビアン・ガルフ・カップによって、ひとたびバスラ市民のアラブ統一嗜好が強化されれば、イラク人アラブが触発され、アラブ姉妹、兄弟との新たな有益な関係へと突如として扉を開きはじめることを恐れている。

バリア・アラムディン

 テヘランのイラク代理は騒々しく「アラビア湾」問題に自分たちを結び付け、一部はイランの支配者の怒りを恐れて完全に沈黙を保っていた。カイズ・アル・カザリ氏のようなハシード・アル・シャービのリーダーは、アラブ湾岸諸国からの投資を追放するキャンペーンなど、イラクのアラブアイデンティティーに対する戦いに何年も費やしてきた。アラブの血統が彼らの静脈に流れていることへの言及を一切憎むことから、あるハシードの高官は、滑稽に、地域の「バスラ湾」への改名を提案した。全領域-およびおそらくは地球全体-が彼らに属しているとみなしているアーヤトッラーたちが、それによりなだめられる見込みはほぼないだろう。

 神学的ヘゲモニーの下での人口統計がしめすように、数十年間イランは、そのあらゆる命令に従わなければならないとして、アラブ世界中のシーア派コミュニティーを侮蔑的に扱った。しかし、シーア派アラブは、イランが彼らを軽蔑し下流の市民と見なそうとすることをよく知っていたため、これらの忠誠を強化する努力は無残に失敗した。コムへのアラブ巡礼者は唾を吐かれ、ガイドブックを踏みつけられ、身代金目的で誘拐されるなど、日常的な人種差別についての証言にあふれている。シーア派のビジネスマンは市場への安価イラン製品の膨大な投げ売りにより経済的に破綻させられた。彼らはどのように彼らの故郷がイランの資金を得た者により悪魔に売り渡されたかを見ている。

ペルシアは世界で最も古く最も豊かな文化のひとつであり、そのことは詞や芸術、建築、科学、哲学に現れている。古代のイスラム文明はアラブとペルシアの精選された文化の分かつことのできない統合体であるが、イランの野蛮な神学的政体は発信する文化の豊かさをもっていない-彼らが持つものは、平和を愛する湾岸諸国を攻撃するミサイル、アラブ諸国を支配する代理軍隊、地域の若者の心を汚染する薬物、モノリシックな死の文化を備えた地域の目覚ましく多様な遺産を圧殺するとめどない努力のみである。

  スダニ氏によるイラクでの腐敗に対する聖戦は、イラン人の地域のヘゲモニーの願望に真正面から立ち向かっている。2006年から2014年までのヌーリー・アル・マーリキー政権の下で急拡大した腐敗により、イランへの大量送金やイランが後ろ盾の準軍事勢力への巨大投資などで、最大1兆ドルが盗まれた可能性がある。そのような腐敗した取引の結果、アメリカが数百億ドルのイランへの送金を防ぐことを目的として14のイラク銀行へのドル送金を停止した後、現在イランは通貨危機に直面している。イラク議会の議員の1人、ムサンナ・アミン氏は、テヘランへの最近の訪問で、スダニ氏自身がイランに40億ドルを手渡したと主張している。ハシドの将軍がこれらのシェルカンパニーを通した送金で主要な役割を果たし、航空機に満載された現金がイランの資金エージェントに配布された。

 イランは以前の王国の高官アリレザ・アクバリ氏を先週処刑した。数えきれないその他の二重国籍者や外国人が検挙され、任意に外交トレードの目的で人質として刑で収監されたりしたのと同じように、彼にはイギリスとの二重国籍という以外に「犯罪」と考えられる理由がない。西洋諸国の人質犯へのあまりに軟弱な接触が、このようなマフィアの対外ポリシーを悪化させた。イギリスがナザニン・ザガーリ・ラットクリフ氏の身代金として4億ドルを渡したとき、王国が新しい被害者集団の拘留を急行したことに彼らは驚いただろうか。これはマフサ・アミニ氏や他の何千人もの無実の若者らを殺したのと同じ王政である。無意味な非難声明はもう十分だ。西洋諸国はイランのリーダーを犯罪者、大量虐殺者そのものとして扱うべきである。

アラビアン・ガルフ・カップでは2つのイラクが展望できる。1つのイラクは両腕をひろげて情熱的にアラブや湾岸諸国の再来を歓迎している。しかしダークサイドのイラクは、バスラでの-ミリティアの腐敗、ターゲット殺人、麻薬パンデミック、環境メルトダウン、貧困の蔓延-という都市の状況に完璧に要約されている。これはバスラが、腐敗したイランのヘゲモニーへの、継続的な集団抗議の発生のるつぼになっている理由である。

イランは、サッカートーナメントのネーミングが、王国の弱さと劣勢を強調していることの自明さに癇癪を起している。アーヤトッラーらは運が尽きていることを知っており、彼らに支配された市民は一刻も早く災難が去ることを望んでいる。そうであれば、バスラ、ベイルート、サヌア、ダマスカスの人々がアラブのアイデンティティーを再び受け入れることを渇望していることに何か驚きがあるだろう。

イランの使徒たちは、アラビアン・ガルフ・カップによって、ひとたびバスラ市民のアラブ統一嗜好が強化されれば、イラク人アラブが触発され、アラブの姉妹、兄弟との新たな有益な関係へと突如として扉を開きはじめることを恐れている。

  • バリア・アラムディン氏は中東およびイギリスの、受賞歴のあるジャーナリストおよびニュースキャスターである。彼女は『Media Services Syndicate』の編集者で多数の各国の首脳にインタビューしている。
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