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ロッカビー上空でのパンアメリカン航空103便爆破事件

1991年11月、二人のリビア人諜報員と思われるアブドゥルバーシト・アル・メグラヒとアミーン・ハリーファ・フヒーマが爆弾事件の容疑者として起訴された。(Getty Images )
1991年11月、二人のリビア人諜報員と思われるアブドゥルバーシト・アル・メグラヒとアミーン・ハリーファ・フヒーマが爆弾事件の容疑者として起訴された。(Getty Images )
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31 May 2020 09:05:38 GMT9
31 May 2020 09:05:38 GMT9

ロス・アンダーソン

イギリス史上最大の死者を出したテロリスト攻撃についての真相は迷宮入りか

要旨

1988年12月21日、フランクフルト発ロンドン経由でニューヨークへ向かうパンアメリカン航空(パンナム)103便がスコットランドのロッカビーに墜落、乗客と乗務員259名全員が死亡した。ロッカビーの一筋の通りの住人11名も機体の残骸が町に 落下して死亡した。

墜落事件の調査官たちは間も無く高性能爆発物の痕跡を発見して事件は犯罪科学調査へと切り替えられ、同機は預け荷物のスーツケース内のカセットプレーヤーに仕掛けられた爆弾によって墜落させられたことがわかった。199111月、リビア人諜報員のアブドゥルバーシト・アル・メグラヒとアミーン・ハリーファ・フヒーマがこの爆破事件に関して浮上した。9年間にわたり、リビアの最高指導者ムアンマル・カダフィ大佐はこの二人がスコットランドの法の下で殺人容疑の裁判を受けることを拒絶していたが、国際的な制裁による圧力に屈し、ついにオランダの特別法廷にてこの二人がスコットランドの法の下で殺人容疑の裁判を受けることを承諾した。 

フヒーマは無実と判決されたが、アル・メグラヒは終身刑に処された。前立腺癌の診断が出たアル・メグラヒは、わずか8年と少しの刑期を経た後、恩赦により釈放された。彼はリビアへ英雄として生還し、そのおよそ3年後に死亡した。

ジッダ:マナマで開催された湾岸協力会議(GCC)のサミットでは国王がサウジアラビア代表団のリーダーを務める。イスラエルには新政府が生まれ、スーダンは危機に直面している。そのアラブニュースの第一面は今年に入っていつ発行されてもおかしくなかった。

ただし、サウジアラビアの国王がキング・ファハド、イスラエルの首相がイツハク・シャミルで、第一面のもう一つの記事を見れば、これが2020年の話ではなく1988年12月23日の記事だということがわかる。フランクフルト発ロンドン・ニューヨーク経由デトロイト行きのパンナム103便がイギリスとスコットランドの境界線を通過中にテロリストの爆弾で大破した。

総計270名が死亡、243名の乗客と16名の乗務員全員、ロッカビーの地上では11人が被害者となった。機体は時速800kmで住宅の二筋の通りに墜落した。今なおイギリス史上最大の死者を出したテロリスト攻撃となっている。

スコットランド境界線上の小さな町からはるばるホワイトハウスまで聞こえてくるような出来事はほとんど皆無だ。そしてこの事件がその稀有な出来事だった。人口4千人のロッカビーの町がアバーファン、ミュンヘン、スレブレニツァ、ソンミなどと並んでイギリス国内外の地名リストに加わり、その悲惨で理不尽な人命損失を世の中の人々の意識に永久に刻み込んだ。 

我が祖国スコットランドと我が街グラスゴーは穏やかな人情味あふれる土地でも、地元出身のジャーナリストがどうしようもなく感情移入してしまうような土地でもない。しかし、シニカルで極めて冷徹な記者たちが、ロッカビーから戻ってくると、潤んだ瞳で黙りこくっている様子が見られた。ロッカビーで目の当たりにした事態の規模と深刻さに圧倒され、またその町の住人たちが親しい人々を失ったにもかかわらず保ちつづけている寡黙な威厳と不屈の精神に、心からの敬意と感嘆を抱いて圧倒されていたのだった。 

同機の乗客の大半はアメリカ人で、その親族がアメリカから駆けつけ、遺体と遺品を確認した。ロッカビーの人々はひとまず自らの悲嘆を胸にしまい、遺族たちへ宿泊場所、食べ物、便宜、慰めを提供した。硬い絆が生まれ、それは今も変わらない。

 



1988年12月23日のアラブニュースの記事からの1ページ

テロリスト攻撃であることが確認された時、ワシントンDCによって特定された容疑者は想像に難くなかった。米国とリビアのムアンマル・カダフィ政権は何年にもわたって宣戦布告なしの戦争状態が続いており、1986年4月には米国が空爆し、カダフィを怖気付かせるどころか、彼の敵意をひたすら煽ることとなった。

米英の調査官たちはマルタに潜伏するリビアの諜報員たちがセムテックス爆弾をラジカセ内に仕込み、それがスーツケースに入れられてフランクフルトへ送られ、パンナム103便に搬入されたと考える。その結果が270名の悲惨な運命となった。

Key Dates

  • 1

    アメリカ連邦航空局が公布を発行し、フランクフルト発のパンナム機が2週間後に爆破されるという匿名の密告があったことを警告。

  • 2

    パンナム103便がロッカビー上空で爆弾により大破。

  • 3

    リビア人 の諜報員と疑われるアブドゥルバーシト・アル・メグラヒとアミーン・ハリーファ・フヒーマが米国とスコットランドの当局によって起訴されるが、リビアの最高司令官ムアンマル・カダフィ大佐が彼らを裁判のために送還させることを拒否。

    Timeline Image 1991年11月
  • 4

    9年越しの抵抗後、カダフィはアブドゥルバーシト・アル・メグラヒとアミーン・ハリーファ・フヒーマがオランダにてスコットランドの法の下で裁判を受けることに同意。

  • 5

    アル・メグラヒが終身刑となる。フヒーマは無罪判決。

  • 6

    アル・メグラヒの有罪判決に対する上告が却下。

    Timeline Image 2002年3月14日
  • 7

    カダフィが爆弾事件の責任を受諾、被害者家族全員に賠償金を支払うことに同意。

  • 8

    アル・メグラヒが末期の前立腺癌と診断され、恩赦により釈放されてリビアへ帰還。

  • 9

    リビアの市民戦争勃発。

  • 10

    リビアのムスタファ ・アブドル・ジャリル前法相がカダフィ政権の爆弾事件への関与を訴える。

  • 11

    カダフィがトリポリ陥落後に逃亡を企てるも、反乱軍により殺害される。

  • 12

    アル・メグラヒが死去、享年60歳。

一部の説では、逆説的ではあるが、後ろから辿っていくと納得がいくという。つまり諜報員でリビア・アラブ航空の前セキュリティ部長を務めていたアブドゥルバーシト・アル・メグラヒが2012年5月20に享年60歳で自宅で死亡した時点から遡るわけだ。

彼の死の11年以上前になる2001年1月、3人のスコットランドの裁判官がオランダの旧米国空軍基地にある特別法廷で、アル・メグラヒにロッカビー爆弾事件における270人の殺人のかどで終身刑を言い渡した。彼は2箇所の 刑務所で8年超服役し、その後彼が末期癌の診断を受けたためスコットランド政府が恩赦により釈放、2009年8月にリビアへ帰還した。余命3ヶ月ということだったが、3年近くも生き延びた。

アル・メグラヒは当時も今でも、パンナム103便爆破事件で唯一起訴された人間だ。彼が死に、ではそれで一件落着なのか?いや違う。

爆破事件直後から波紋は広がり始めた。そして今日でも続いている。パンアメリカン航空は、そのセキュリティ対策の犯罪レベルの劣悪さが判明し、1年後に破産宣告、2年後には倒産した。カダフィとリビアに対する国連の制裁措置によって孤立状態が増し、リビアは今も市民間の対立で混乱状態にある問題含みの国のままだ。リビア人以外の我々にとっては、航空機と空港のセキュリティの強化がどんどん増し、空港内に放置されたスーツケースがマルタから二つの空港を経由してスコットランド上空を飛ぶなどということは二度と起こらないことに、少なくとも感謝するべきだろう。

「華やかなライトで飾られた市庁舎は現在急遽遺体収容場に変わり、憔悴しきった親族たちが詰めかけている。」19881223日付アラブニュースのロイター記事より

 

しかしおそらく最も重大なことは、ロッカビー事件が、政府の発言に対する国民の信頼崩壊の発端となっていたかもしれないということだ。米英当局は共に、あくまでもアル・メグラヒが張本人であり、彼は単独犯または共犯者は一人だけだと言うが、それを信じている人間は少 ない。

主な世界的事件、つまりジョン・F・ケネディの暗殺、月面着陸、アメリカ本土への9/11攻撃などは、鉄が磁石に引っぱられるごとく陰謀理論家たちを惹きつける。そしてロッカビー事件もその例外ではない。それはイランであり、パレスチナであり、モサドであり、シュタージであり、アパルトヘイトの南アフリカ共和国だった。

ロッカビーが他と異なる点は、数々の「理論」の一つがほぼ間違いなく事実であるということだ。それはどの理論かと誰もが思うだろう。誰よりもそう思う資格のある人物がジム・スワイア氏だ。語り口は静かだが、イギリスの決然たる田舎医者で、かれの娘フローラ(23)が例のパンナム機に乗っていた。スワイア氏は現在年齢80代だが、ロッカビー事件の真相究明に人生をかけてきた。彼はアル・メグラヒに面会して尋問もしている。彼は米英当局側にとっては30年以上に渡って頭痛の種となっている。彼は今日までずっと、アル・メグラヒに対する一件はパロディであり薄っぺらな作り話だと信じている。それは、迷宮入りとなる可能性のあるなんらかの恐るべき真実を隠蔽することが目的だったと。

ジョージ・H.・ W.・ブッシュ前大統領は1989年9月に航空安全委員会を設置して 航空機の怠慢に関する報告をさせ、被害者のイギリス側の親族らが翌年2月にロンドンの米国大使館で同委員会と会合を持った。ブッシュ大統領のスタッフの一人がある親族の人にこう言った:「あなたの国の政府と我が国の政府は事件の詳細をすべて知っていますが、それは絶対に口外されません。」

それこそはまさに、パンナム103便の犠牲者たちにとって、今なお悲しみにくれている遺族たちにとって、ロッカビーの住民らにとって、決定的な侮辱であった。

  • ロス・アンダーソン(Ross Anderson)はアラブニュースの副編集長で、ロッカビー事件の当夜にロンドンのToday紙の上級編集員を務めていた
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