マハ・アキール
宗教警察が救出作業を妨害したことによる悲惨な死が報じられ、引き起こされた激しい怒りは結果的に彼らの権力縮小を招いた
概要:
2002年3月11日、15人の若い女性がメッカの学校で起こった火災により命を落とした。宗教警察が民間防衛隊員の消火活動を阻み、建物から逃げようとした女学生たちを止めたのだ。彼女たちはアバヤと呼ばれるヘッドスカーフを身に付けていなかった、というのがその理由だ。
国内と周囲のイスラム世界に衝撃を与えたこの悲劇は、サウジアラビア国家と国民、そして勧善懲悪委員会(Committee for the Promotion of Virtue and the Prevention of Vice)の名でも知られる宗教警察の関係における、転換点だった。
同委員会は1940年に政府機関として発足したが、イラン革命と宗教的過激派によるメッカの大モスク占領に続き、1979年により過激な組織へと再編成された。しかし件の悲劇以来、その権力の大半が次第にはぎ取られてきている。
かつて通りでよく見られた委員会員やボランティアは、今ではほとんど目にすることがない。ビジョン2030が概略を示す改革の恩恵を受けているサウジアラビアは、急速な近代化を遂げている。そしてムハンマド・ビン・サルマーン皇太子指揮の下、より穏やかなイスラムの教えへ立ち戻ろうとしているのだ。
ジッダ:2002年3月にメッカの女学校で起こった15人の女生徒たちの悲劇的な死は、不名誉な記憶として我々の中に永遠に残るだろう。何の罪もない数多の少女たちの命が失われたというだけでなく、彼女たちの死と、それに関する状況のためだ。
事件にはサウジアラビアのいわゆる宗教警察、一般的には「ハヤー」として知られる勧善懲悪委員会の関与が報告されている。彼らは、女子生徒たちがアバヤとヘッドスカーフを纏っていなかったことを理由に火をあげる建物から彼女たちが避難するのを止め、救助隊員が入ろうとするのを妨害した。
宗教警察の行為は、国内と海外の両方で激しい憤りと非難を引き起こした。政府による調査は、学校での火災時の安全確保を怠った教育当局に責任があると結論を下した。だが目撃者や民間防衛隊員の証言にも関わらず、宗教警察の行為が死の一因となった、という非難の声は認めなかった。
それでもなお、宗教警察への大衆の怒りと批判に起因して、女学校を運営し保守派聖職者に管理されていたGeneral Presidency for Girls’ Educationは解体された。
同校を昨日訪問したアラブニュースの一団は、多数のアバヤ(黒いガウン)、靴、鞄を発見した。火事の発生後に建物を出ようと急いだ少女たちが残したものだ。
2002年3月12日のアラブニュース掲載レポートより