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多大なる犠牲を払ったイラク介入を絶対に繰り返してはならない

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13 Mar 2023 08:03:49 GMT9
13 Mar 2023 08:03:49 GMT9

20年前の3月、イラクに戦争を仕掛けるという英国と米国が下した決断の結果が、それ以後、イラクと周辺地域を悩ませてきた。この戦争により、この2カ国の地位が低下し、米国は中東だけでなく世界全体への影響力を失った。

夢の世界の住人だけが、侵略とその後の占領が大失敗ではなかったと認めることができないでいる。戦争を支持した多くの人々は、大失敗だったと認めている。一部の政治家は、戦争を支持したことを後悔していると公に認めている。

イラク戦争の是非について、議論は尽きないかもしれない。この苦い過去の記憶が、イラクという国についての議論を汚してしまう。この議論を蒸し返すことは無意味である。さまざまな調査機関が私たちイラン国民のために調査を行っている。英国のチルコット報告書には、英米の失敗について、260万語に及ぶ分析の中で驚くべき批判を展開した。150ページに及ぶ報告概要は、じっくりと読む価値がある。

イラク戦争について、ある目新しさが際立っている。軍事行動に関するその後の意思決定を損ない、将来においても再び影響を及ぼす可能性があるのである。当然のことながら、議会は戦争に踏み切る際の発言力を高めてきた。

2003年の英国下院の議決は、議会が事前に戦争の許可を与えた史上初の出来事だった。これは、緊急事態を除き、軍事行動については下院で議論した上で議決すべきとして、先例となった。

英国やその他の国で選挙で選ばれた政治家は現在、このようなことにも判断を下さねばならない、厄介な義務を負っている。英国では、2011年のリビア、イラクのダーイシュ、そしてシリアに対する武力行使に賛成したが、2013年8月のシリアに対する武力行使は反対した。多くの国会議員がイラクについて賛否を表明することを負担だと感じている。国会議員はもう、イラクにおける差し迫った安全保障上の脅威を知らせる自国の首相に盲目的に従う覚悟を持たなくてもよい。

しかし、かつてないほど多忙な政治家が、どうすればイラク、リビア、シリアのような紛争地域を理解するために必要な時間を注ぎ込むことができるのか。国会議員がにわか仕立ての専門家にはなれない。率直に言って、国際問題、特に中東についての深い知識や理解で選出されたという議員はいない。そんな時代は遠い昔のことだ。政治家は有権者の関心事に時間を割かなければならないのである。政治の関心がますます局所的になっている。

2003年当時もそうだったが、間違いなく、この傾向は強まっている。明らかに、国会議員は効果的に行政を精査できず、壊滅的な結果を招いた。2002年10月、議会は武力行使を承認した。多くの人、とりわけ米国の多くの人が、イラクに民主主義を輸出すれば、イランやシリアのような周辺国にドミノ効果をもたらすことになるという、単純な考え方で、何年も前からイラク侵攻について考えを固めていた。イラクのサダム・フセイン政権が依然として、兵器開発の計画を進行させているという、基本前提に疑問を呈する人があまりにも少なかった。2003年当時、ウェストバージニア州の民主党のロバート・バード上院議員は、上院がイラクに関する議論にほとんど時間を割かなかったことを批判した。

イラクについて、最も激しく辛辣な議論が行われたのは英国議会であった。トニー・ブレア首相は議決を得ることができたが、その背景には、街頭で戦争反対の抗議をしていた何百万人もの国民の存在があった。

しかし、2002年から2003年まで長時間かけて行われた議論を見直すと、一つのことがはっきりと浮かび上がる。この時代を振り返ってみて、チルコット報告書でさえほとんど取り上げられていない、ある要因である。それは、イラクという国に対する関心や知識が驚くほど欠如していることだ。議論の中心は、大量破壊兵器の存在と正当性、アルカイダによるイラク政権への協力の有無だった。13年に及ぶ残酷な制裁と数十年にわたるサダム政権の支配の後も生き延びようとするイラク国民に何が起こるのか、考えられていなかった。

国会議員は効果的に行政を精査できず、壊滅的な結果を招いた。

クリス・ドイル

占領国になることについて、どこで議論がなされたのだろうか。米国と英国は数週間で、国連の役割について明確にせずに、主権国家を交戦国が占領することにしたのである。この占領には、2500万のイラク国民に対し、法的・倫理的に重大な責任が伴う。議論の中で支援についての言及はあったが、紛争後の統治については、仮にあったとしてもまれであった。米国と英国は一体、イラクをどのように統治するつもりだったのか。

略奪に遭ったイラク博物館など主要な施設のセキュリティについて、適切な計画が考えられていなかったのも、何ら不思議ではない。連合国暫定占領当局代表のポール・ブレマー氏が、イラク軍の解散やバース党員の排除の方針を決めたことは、米国や英国の議会で問題にされなかった。

イラク国民は侵略してくる軍隊を諸手を挙げて歓迎し、その到着を祝ってくれるだろうと、誰もが思い込んでいた。一部のイラク国民は歓迎した。しかし、占領軍が基本的なサービスを回復させることができなかったため、イラク国民の喜びはすぐに冷めてしまった。イラクの歴史を少しでも知っている人であれば、イラク国民は誇り高い国民であり、外国の占領下に置かれることを進んで受け入れないことは、自明であっただろう。当時、英国の野党のリーダーだったイアン・ダンカン・スミス氏は、「サダム・フセインがいなくなっても、誰も涙を流したりしないと断言できる」と語った。多くのイラク国民がサダム・フセインを敬愛していなかったかもしれないし、涙を流さないもっともな理由もある。しかし同時に、政権崩壊後に何がおきるのか、次の支配者が誰か、無政府状態の危険性についても恐れを抱いていた。

中東地域の専門家、特にアラブ支持者が多くのイラク国民と同じことを恐れていたが、無視された。2002年11月、6人の学者がブレア首相に対し、イラク占領がいかに困難であるかについて説明した。この6人を含む他の学者たちも、イランとシリアの両国が、英米の侵略と占領を徐々に損なうことが自国の利益になるとみなすようになると警告したが、結局、イランとシリア両国は極めて効果的に実行に移した。イランはイラクに固執した。政治家はまたしても、このような国家建設がいかに難しいのか、十分に理解できなかった。

イラクの専門家に相談したり、信頼したりできなかったのも特徴である。2003年当時、計略を隠そうともしないイラク人のアフマド・チャラビーのような人物に、あまりにも多くのイラク国民が心を奪われていた。サダム・フセインを嫌悪するイラク国民なら、イラク占領における複雑な問題を説明できる人が他にもたくさんいたはずだ。今もシリアの専門家は、自国のことが議論されているその場に同席していないのである。中東以外の大国は、その教訓を学ぶべきである。

しかしほぼ間違いなく、中東以外の大国の議会で行われた、介入についてのその後の議論は少しは改善されている。政治家たちは自らの責任を受け入れている。それが政治家にとっての重しとなっている。リビアについては、出口戦略や最終目標について、これまでより多くの疑問が投げかけられた。しかし、それでも不十分で、再び悲惨な介入を防ぐことはできなかった。その根底には、再び、ムアンマル・カダフィのリビアに対する深い理解が欠如していた。

もし米国や欧州の選挙で選ばれた政治家が、世界の他の地域への介入について議論し賛否を決めるのであれば、戦争の根拠を精査し、戦後についての計画を立てるために、適切な時間と労力と資源を割くことが、これらの国の議会の責務である。2003年の貧弱な議論と不十分な精査のために、イラク国民は途轍もない犠牲を払い、いまも犠牲を払い続けているのだ。このようなことを決して繰り返してはならない。

  • クリス・ドイルは、ロンドンのアラブ・イギリス理解推進協議会(Council for Arab-British Understanding)の会長(director)である。
    Twitter
    : @Doylech
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