Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter

難民問題の解決にはイスラエルがパレスチナの苦難への責任を認めるべき

1948年の戦争で難民となったパレスチナ人の帰還権を求めて行進するアラブ系イスラエル人のデモ隊(2012年4月26日撮影)。(AFP)
1948年の戦争で難民となったパレスチナ人の帰還権を求めて行進するアラブ系イスラエル人のデモ隊(2012年4月26日撮影)。(AFP)
Short Url:
15 May 2023 12:05:46 GMT9
15 May 2023 12:05:46 GMT9

今ではまるで無かったことのように感じられるが、もう21世紀に入っていた2001年1月、イスラエルとパレスチナは、国連総会決議194の実行に向けての話し合いをエジプトで行っていた。この重要な国連決議は、1948年12月11日に、アメリカやイギリスを含む35カ国が賛成して可決されたものだ。しかし今日、私たちはパレスチナ難民とその子孫たちのための正義の実現からは、はるか遠いところにいる。

現実に、アラブニュースの委託による英国の世論調査会社YouGovの最近の世論調査では、パレスチナ人たちは、パレスチナの指導者にもイスラエルの現政権にも期待していないという結果が出ている。この調査では、パレスチナ人の3分の2(66%)が、イスラエル政府を、それが左派であれ右派であれ、パレスチナとの和平合意を実現する信用できる相手とは思わないと答えている。難民問題は、和平合意のためには避けて通れない課題である。しかし、パレスチナ人の半数以上(51%)が、現在のパレスチナ首脳部もイスラエルとの和平実現に関し信頼はできないと考えているという。

国連総会決議194は、イスラエルに対し、パレスチナ難民の帰還を認めるよう求め、次のように述べている。「故郷に戻り、隣人と平和に暮らすことを望む難民は、現実的かつ可能な限り早い時期にそうすることを許されるべきである。帰還しないことを選んだ者の財産、および国際法または公平性の原則に基づき、責任を負う政府または当局が償うべき財産の損失または損害に対しては、補償金が支払われるべきである」

国連への加盟を認められる前に、イスラエルはこの決議を守ることを約束したが、その約束を反故にした。

よく知られているように、イスラエルは帰還権の原則を否定し、パレスチナ難民の帰還を徹底的に阻止してきた。イスラエルの国内避難民であるパレスチナ人市民は、補償されたはずの家に戻ることを許されず、それらの家は他の押収された財産と同様、パレスチナと直接関係のない、新たに移住してきたユダヤ人移民に利用されようとしている。

1993年に米ホワイトハウスで署名されたパレスチナ・イスラエル原則宣言の一環として、イスラエルは国境、安全保障、エルサレム、イスラエル入植地、パレスチナ難民の各問題の最終的な合意点を検討する5つの小委員会に参加することを約束した。

カナダが仲介した難民問題に関する小委員会では、いくつかの進展があったが、いずれも合意には至らなかった。しかし、この小委員会での交渉では、2つの点について有意義な立場が示された。

最も意義深かった主張は、パレスチナ側の基本的な要求だったが、それは数字にこだわるものではなく、強力な原則に基づくものだった。イスラエル側に対して、パレスチナ難民問題を引き起こしたイスラエルの道義的・歴史的責任を認めるという声明を出すよう、パレスチナ側は要求したのだ。

もう一つの有意義な点は、イスラエルが一部の難民の帰還を認めたことである。イスラエル側は、家族の再会の必要性に基づく人道的な理由の範囲内で、10年間で10万人の難民を帰還させることに一度は合意したのだ。皮肉なことに、この数字は、1949年のローザンヌ議定書でイスラエルが合意したものの、実現しなかった数字と同じだった。当時、イスラエルは故郷や土地を追われた75万人の難民のうち13%を受け入れることに合意していた。一方、2001年1月、最後の会合となったタバ交渉でイスラエル側が合意をほのめかした帰還人数は、現在国連に登録されている560万人のパレスチナ難民の約1.8%に過ぎない。

イスラエルは帰還権の原則を否定し、パレスチナ難民の帰還を徹底的に阻止してきた。

ダオウド・クタブ

2000年10月、「アル・アクサ・インティファーダ(第二次インティファーダ)」と呼ばれる大規模な民衆蜂起が起きた。その前月、当時の野党リクード党首、アリエル・シャロンによるアル・アクサ・モスク(神殿の丘)への訪問に端を発したもので、シャロンと兵士たちは訪問に抗議するパレスチナ人を容赦なく殺害した。シャロンがイスラエルの首相に選出された2001年2月までには、同国とパレスチナの交渉は決裂しており、以来、再開されていない。

それから1年後の2002年3月、ベイルートでのアラブ連盟首脳会議で採択された「アラブ平和構想」は、パレスチナ難民問題の解決方法について、前例のない提案を示すものだった。すなわち、帰還の権利は尊重するが、その実行はイスラエルと合意して行うとして、帰還の実施方法についてイスラエルに拒否権を与えたのである。しかし、この寛大な申し出さえも、イスラエルは今日まで完全に拒否している。

一方、認識しておくべきなのは、帰還の権利の問題は、個人レベルと国家レベルの両方において扱われなければならないということだ。難民とその子孫が帰還し、補償を受ける権利は、パレスチナ側の指導者を含め、何人も奪うことのできない権利なのである。同時に、帰還の権利は国家的なレベルでも確保されなければならない。このレベルでは、政治家たちが現行の政治状況に基づいて交渉していく余地がある。

パレスチナのマフムード・アッバース大統領が言っているように、すべての難民を帰還させてイスラエルを溺死させようなどという計画は存在しない。それゆえ、政治指導者たちには、個人の権利を確保した上で、どのような立場で難民に帰還してもらうかの方式を見出す義務がある。この問題は、難民自身に選択肢を与えることで対応できるのではないかという意見もある。イスラエルへの移住を希望する人の数は、(現状維持、パレスチナあるいは第三国への移住と比べて)それほど多くはない可能性が高い。もしも国際的に認められたイスラエルの国境内への帰還を希望する者の数が、交渉で政治指導者が確保した受け入れ人数を上回る場合には、前もって合意された基準(例えば、レバノンからの難民や他に市民権を持たない難民を優先する)を用いればよい。

2023年現在、560万人のパレスチナ難民全員が、世界に承認された現在の主権国家イスラエルの、1967年6月以前の国境線内に帰還するとは誰も思っていない。しかし、最終的にどれだけのパレスチナ人が帰還するのか、あるいはすべての難民がどのように補償されるのか、ということは最大の障害ではない。パレスチナ難民問題の解決の要となる、答えのない大きな問題は、彼らの苦難を認知することである。2001年の交渉でもパレスチナ側が要求した「イスラエルがパレスチナの人々に『ナクバ(大災厄)』(イスラエル建国時のパレスチナ人強制移住)をもたらした歴史的・道義的責任を認めること」は、いまだに満たされていない。それがなければ、帰還する人々も、(多数を占めるだろう)帰還しない人々も、誰も奪うことのできない自らの権利、帰還の権利を主張し続けるだろう。

  • ダオウド・クタブ氏はプリンストン大学の元教授で、ラマッラーのアル・クッズ大学現代メディア研究所の創設者であり元所長である。ツイッター:@daoudkuttab
特に人気
オススメ

return to top