国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、「統治(ガバナンス)」の定義を、「共通の関心事項が決定され、規制されるすべての手続き、機関、および実践」としている。国連人権理事会(UNHRC)は、グッド・ガバナンス(良い統治)は透明性、責任及び説明責任、参加、そして人々のニーズへの対応という原則に基づいていると述べている。問題は、グッド・ガバナンスは西欧の民主主義政治システムによってのみ達成されるのか、それともイスラムや中国、ロシアのような他の政治システムでも同じ結果が得られるのか、ということである。
実際、最近になって西欧民主主義に批判的な声が高まっている。このモデルは内部的な危機を経験しており、モデル自体が構築してきた多くの価値を見失っていると言われている。欧米の民主主義モデルを批判する本や提言がいくつも出てきており、非欧米諸国が追随し模倣できるグローバル化されたモデルとしての、このシステムの崩壊が間近に迫っていることを予言している。
この数十年、私たちは世界の各地域において、民主主義体制が統治する国々には見られない社会経済的・人間的な発展指標において成功を収めている政治体制を目の当たりにしてきた。これらの非民主主義体制は、国家の人的・知識的資源に対し、非常に効率的に投資することで、社会を安全と福祉に導くことに成功してきた。このような措置は、汚職と闘い、法律を制定し、監督、回答、説明責任の原則を実行に移すために、高い透明性、誠実さ、そして有効性をもって取られてきたのだ。
こうした成功は、西欧の民主主義のパラダイムを受け入れない多くの国々を特徴づけている。これらの国々は、電子統治、幸福度、安全保障、ビジネスの持続可能性などの国際指標において、欧米諸国を上回っている。
西洋諸国で適用されてきた概念は、他国を評価するための不可欠な基準となっている。
モハメド・アル・スラミ博士
従って、文化や文明が独自の多様な概念を育んでいることは明らかであり、それは時として他の民族の概念と正反対になることもある。また、その地域やその民族が経験してきた遺産、文明、歴史的状況によって、部分的に収束したり、または乖離したりすることもある。
この記事の主なテーマは、西欧民主主義の概念、意味、前提、そしてこの概念が生まれた西洋文化の範囲と影響である。この民主主義のモデルは、西洋文明特有の概念に基づいて構築されたものだ。西洋の優位性と、勝者が敗者から全てを奪い取るという過去2世紀にわたる文化を考慮すれば、西洋諸国で適用されてきた概念は、他国を評価するための不可欠な基準となっており、ほとんどの場面で他国との関係のあり方を決定してきた。欧米諸国が特定の結果を得るために、この確立された原則を妥協した例外はほんのわずかしかない。
ここで重要な疑問が生じる。特定の国を管理するために民主的なシステムを構築するという最大の目的は何なのか。それは、すべての人に公正さと平等な機会を実現し、福祉、繁栄、持続可能な開発、人的投資の良好な水準及び基準を確立することを超えるものなのだろうか?
これらが民主主義の至上命題であるとするならば、民族の文明的遺産や価値観、概念、社会関係の性質に触発された統治システムを通じて、それを達成することができるのだろうか。
言い換えれば、西欧民主主義モデルだけが、民主主義の崇高な目的を達成する唯一の方法なのだろうか?西洋諸国がそれを見下すことなく、他の方法、モデル、パラダイムを通して、社会がこれらの崇高な目的を達成することはできないのだろうか?
この失敗した統治モデルは、国家に汚職や縁故主義をもたらし、社会の一部の層を排除してきた。
モハメド・アル・スラミ博士
欧米の民主主義モデルを本来の「生息地」以外で実施しても、民主主義の崇高な目的を達成できるとは限らない。第三世界の国々には、理論的には西欧の民主主義モデルを政治に取り入れたものの、望ましい目的を達成できなかったモデルが複数存在する。
それどころか、この失敗した統治モデルは、国家に汚職や縁故主義をもたらし、専門知識や高い能力を持つ人々を含む社会の一部の層を排除してきた。これは、西欧民主主義の選択が、派閥、地域、党派、宗教、部族、社会など、その土地の文化に根底から影響を受けているためだ。したがって、統治モデルが「形式的には民主的」であっても、その結果は悲惨なものとなる。この民主主義の失敗の例は、欧米と同盟関係にあるアジア、アフリカ、さらにはラテンアメリカ諸国にもいくつかある。
したがって、西欧民主主義というレンズを通してその国の進歩や正義を測るのは、完全に誤った測定基準となる。さらに、欧米の概念によれば、反動的であるとか、文明の後退に苦しんでいると欧米で考えられている多くの国々は、市民や外国人の権利に注意を払い、サービスを提供し、汚職と戦い、社会正義と機会均等を確保するなど、いくつかの分野で欧米諸国を上回っている。おそらく、新型コロナウイルス感染症の大流行で世界が目にしたことが、それを物語っているのかもしれない。
私たちは、その意味を理解することなく多くの人々が呪文のように口にする民主主義の美辞麗句を乗り越えていかなければならない歴史的な時代に生きている。私たちは地上の現実を見つめ、欧米への盲目的な追従から脱却し、自らの文明、文化、思想を省みる人間として行動すべきである。
多極化に向かう今日の現実において、西欧優越の時代は完全に捨て去られるべきである。その代わりに、人々の文明的・文化的遺産を、未来に向かうための足がかりとして考える必要がある。特に重要なのは、西洋社会における価値観や理想の崩壊、家族構造の解体を含むこれらの変化が、多くの人々や国々に西洋文明の未来を再評価させていることだ。人間の本質と一致する価値や概念の劣化を考慮すると、西洋文明は明らかに深淵に向かっているように見える。
結論として、自国の文化に起源を持たない外的な基準に基づいて国を評価することはやめるべきだ。その代わりに、手段を問わず、グッド・ガバナンスの目的を達成することを目指すべきである。