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スーダンの今後とは?

2019年4月11日、スーダン。オマル・バシール大統領が辞職し、暫定軍事評議会が後を引き継ぐとの発表が国防軍から出された後、首都ハルツームの国防省前で抗議活動を行うデモ隊の様子。(ロイター通信)
2019年4月11日、スーダン。オマル・バシール大統領が辞職し、暫定軍事評議会が後を引き継ぐとの発表が国防軍から出された後、首都ハルツームの国防省前で抗議活動を行うデモ隊の様子。(ロイター通信)
12 Apr 2019 08:04:41 GMT9

オマル・アル=バシールは、私が生まれた時からスーダンを支配している。しかし生まれてこのかた37年間、バシールが祖国を破滅させたことを非難する声しか耳にしていない。

私が出会ったスーダン人亡命者のほぼ全員が、バシールがスーダンの権力を握ったことに対し激怒していた。北米では立派なスーダン人医師たち、ロンドンでは受賞歴のある作家やジャーナリストたち、ニュージーランドでは極めて優秀な広報活動の専門家たちと会った。

こういった人たち全員が、高学歴で懸命に働き世の中で成功しているのはもちろんだ。しかしもう1つの共通点は、彼らやその家族全員が1985年のヌメイリ政権崩壊後にスーダンを逃れたということだ。クーデターの裏にはイスラム原理主義者ハッサン・アル=トゥラビーの存在があり、長らくバシールの宗教的支柱としての役割を担っていた。その後バシールは1989年にスーダンの大統領に就任し、故トゥラビーはバシールとの関係が決裂する2001年まで「陰の実力者」を務めた。

国外で暮らすスーダン人亡命者たちは、トゥラビーが自らの原理主義的価値観を社会に押し付けるようになり、バシールが権力者としてその後押しをするようになって以降、全てが変わってしまった様子について語っていた。

公民権は剥奪された。キリスト教徒はキリスト教徒だからという理由で起訴され、政権批判と思想の自由が処罰の対象となった。そして必然的にスーダンは残忍な長期独裁政権への道をたどっていった。

要するにバシール政権は、法制度を破壊した後も、常に新たな法制度の改悪を進めたということだ。豊富な資源に恵まれているにも関わらず、バシール独裁政権の悪政によりスーダンは近隣諸国の中でも最貧国の1つになっていった。スーダン政府は西側諸国の経済制裁が貧困の原因だと非難し、自らの過ちを認めることは基本的になかった。

バシール政権の政策的失敗は数が多すぎて本記事で列挙はできないが、ダルフール紛争やオサマ・ビン・ラディンに住み家を提供したことなどが最たる例だ(アルカイダの前指導者である故ビン・ラディンがアフガニスタンに拠点を移すまで、トゥラビーとバシールが住まいを提供していた)。

一言でいうと、バシールはムスリム同胞団の支援を受けて、国内外両方で亀裂を起こし果ては紛争へと至り、やがてスーダンが2つの国に分離する原因を作ったのだ。

さらには、かつてなら選択の余地がない場合は食料より本を優先する国民性が自慢だったスーダンでは、大量の頭脳流出が起こり壊滅的な被害を被ったのだ。

居住地の国内外を問わず、スーダン人は今こそムスリム同胞団がスーダンにもたらした災難について非難の声をあげるべきだ。

運よく私が海外で出会えた人々同様、高学歴で・才能に恵まれ・起業家精神があり・自由に物事を考えるようなスーダン人の圧倒的多数は、祖国を捨て二度と戻ることはなかった。

国内に残った人々はというと、2018年12月19日以来抗議活動を続けている。経済状況の極端な悪化、汚職、国際社会で孤立するに至った政策上の過ちに対してだ。

スーダンの今後とは?1985年に起きたことの再発防止には何が必要なのか?まずは、良い点として今回の政権移行が流血なしに実現したことがある。今後もそうあって欲しいものだ。

軍の影響力が非常に強いという点は、良い面と悪い面の両方があるだろう。良い面は国内秩序の安定が期待できる点だ。しかし悪い面としては、軍が国民の声を踏まえて行動しない限り、再び30年間も独裁政治を続ける大統領が誕生しかねないという点だ。

ムスリム同胞団がスーダンを壊滅的な状態に追い込んだ点について、今こそ国内外を問わずスーダン人自らが非難の声を上げるべきだ。

・ファイサル・J・アッバスは、アラブニュースの編集長

Twitter:@FaisalJAbbas

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