詩人バドル・ビン・アブドゥルモヒン王子の突然の死により、サウジアラビアの芸術と文化コミュニティにとって悲痛な一週間となった。アラビア語を話せない人々にとって、私が言えることは、多くのことを見逃してしまったということだ。西洋のスポーツ用語を使うなら、バドル王子はアラビア詩の世界では「史上最強の詩人」だった。現地の文化に与えた影響という点では、ブラジルの小説家パウロ・コエーリョや米英の詩人T.S.エリオットに匹敵する。
それゆえ、アラビア語のソーシャルメディアが弔辞であふれたのは当然のことだった。ファンたちは、サウジアラビアのアーティスト、モハメド・アブドが歌った「Foug Ham Al-Sohb」(雲の上)からや、同胞のラシッド・アル・マジドが歌った「Al-Mussafer」(ボイジャー)まで、お気に入りの詩や歌の歌詞の賛辞を投稿した。バドル王子は、40年近くにわたって、全世代の人生のサウンドトラックに存在したと言える。
それに加え、ファンはすぐに、もうひとつの悲痛な事実に襲われた: 王国のフランク・シナトラと形容され、自らもバドル王子の作品の名解釈者であるモハメド・アブドは、ガンと診断された。彼はパリで治療を受けており、すべての公演と仕事がキャンセルされた。
バドル王子は全世代の人生のサウンドトラックを書いたと言える
ファイサル・J・アッバス
もちろん、これが人生というものである。しかし、シナトラ、エルビス・プレスリー、ホイットニー・ヒューストン、フレディ・マーキュリーなど、欧米の伝説的なアーティストが死去したとき、その才能、天才、業績を讃え、記録することに事欠かなかったことを思い出さずにはいられない。このような稀有な才能を不滅のものとし、敬意を表する文化がないのは、私たちの社会の不幸な欠陥である。実際、つい最近まで、おそらく世界中の多くの人々がサウジアラビアと芸術や文化をまったく結びつけていなかった。
名誉のために言っておくと、王国ではそれが改革の対象となっており、文化省と総合娯楽庁がこの問題に対して行っている。アブドや歌姫アブ・ベイカー・サレムにちなんだステージが作られ、バドル王子の作品のような永遠の作品を保存・研究する文学プログラムもある。
しかし、もっと多くのことができるはずだし、そうすべきなのだ。そしてもっと重要なことは、このような稀有な才能を讃え、その経験から学ぶ前に、そのような才能が死ぬのを待つべきでないということだ。
ところで、同じ議論は、政治、ビジネス、ジャーナリズムの世界における生ける伝説にも等しく当てはまり、重要である。私たちは、これらすべての分野で世界的な才能に事欠かず、それぞれが語るべき驚くべき物語と教えるべき貴重な教訓を持っている。
自伝やマスタークラス、ワークショップを通じた知識の伝達という概念が欠けている。
ファイサル・J・アッバス
自伝やマスタークラス、ワークショップを通じた知識の伝達という概念が欠けているのだ。もちろん例外はあり、知識人であり大使、大臣でもあった故ガージー・アル・ゴセイビ氏は間違いなくその一人だ。アラビア語で書かれた彼の著書『A Life in Administration』と『The Accompanying Minister』は、政府で働きたい人にとって今でも必読書だ。実際、前者は非常に洞察力に富み、有益であるため、文部省は2018年にこの本を高校のカリキュラムの一部とした。
2年前、サウジアラビアの元情報長官であるトゥルキ・アルファイサル王子は、ソ連によるアフガニスタン侵攻の後、彼の部署が行った魅力的な年表と記録である『アフガニスタン・ファイル』を出版し、彼の膨大な経験と記憶のほんの一部を共有した。この本は、危機に対処するための貴重な教訓を与えただけでなく、物語の空白から生まれた多くの誤解を正した。また、王国の伝説的な元駐米大使であるバンダル・ビン・スルタン王子のような政界の重鎮が回顧録を書いたら、どれほど魅力的で有益なものになるか想像できるだろうか。
ジャーナリズムの世界にも、自らの経験を語るよう説得すべき生ける伝説がいる。1972年からサウジの日刊紙『アル=ジャジラ』の編集長を務め、今年までサウジジャーナリスト協会の会長を務めていたハレド・アル=マレク氏や、元『アシャルク・アル=アウサット』編集長のオスマン・アル=オメイル、アブドゥルラフマン・アル=ラシェド両氏などだ。
アラビア語で “満月 “を意味する故バドル王子については、彼が不在の今、文学の世界はより暗いものになるだろうとしか言いようがない。彼の冥福を祈る。