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ワールドカップの場でパレスチナを通じて団結するアラブ人

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07 Dec 2022 02:12:03 GMT9
07 Dec 2022 02:12:03 GMT9

ラムジー・バロード

パレスチナは全てのアラブ人にとって中心的な問題だと考えていたが、それは間違いだった。

そういう言い方はパレスチナが外面的な事案で、世界中のほぼ全てのアラブ人を疲弊させている他の集団的闘争と同列に捉えていることを示唆している。

だが、カタール・ワールドカップで何千人ものアラブ人ファンがパレスチナとパレスチナ国旗を祝っているのを見ると、アラブ人とパレスチナの関わりについての以前からの想定を考え直さざるを得ない。

私の論拠の出発点はカタールのドーハではなく、イタリアのローマだ。

2021年8月、私はモロッコのラジャ・カサブランカとイタリアのチームASローマのサッカーの親善試合を観戦した。

何数千人ものモロッコ人ファンが来ていた。地元ファンより少数でも、お揃いの服、歌やチャント、スタンドでのダンスでイタリア人のサポーターよりも目立っていた。

この試合には政治絡みの要素はほぼ無かったが、モロッコ人のファンはパレスチナのために歌い、パレスチナ国旗の色をしたケフィエを着ていた。

サッカーを観戦するアラブ人ファンによくある心温まる行動だった。私はラジャ・カサブランカのファン文化がパレスチナをモデルにしていることに気づいた。

彼らの主なスローガンは「ラジャウィ・フィリスティニ」(パレスチナ人のラジャウィ)で、ジャージに刺繍されている。

この試合に政治絡みの要素がないことを踏まえるに、モロッコの人々がパレスチナへの支持を内面化し、それが日々の現実で欠くことのできない一部になっていることは明らかだ。

なぜパレスチナのシンボルやチャントで応援するのかと聞いたら、彼らは戸惑っていた。

「パレスチナは我々の血に受け継がれています。パレスチナへの愛が身体中の血管を巡っているのです」と年配の男性が感慨深げに答えてくれた。

パレスチナ問題の重要性に関するアラブの世論調査は近年何度も行われており、中でも2020年にアラブ調査政策研究センターが実施した「アラブ世論指数」調査が有名だ。

この世論調査では回答者の85%がイスラエルとの国交正常化に反対していることがわかった。

実際、アラブの人々は自由を求めるパレスチナの闘いを支持するという点で明確な姿勢を保っている。

しかし、カタール・ワールドカップは新たな問いを提起している。

それはアラブの政治意識におけるパレスチナの中心性についてではなく、パレスチナ問題への抗議が単に政治的なものなのか、パレスチナは他のアラブの喫緊の懸案事項と同列の「問題」の一つに過ぎないのかという問いだ。

イスラエル人もワールドカップを報道するためにカタールに駆けつけたが、有名な諜報機関があり、いわゆるアラブの世論の雰囲気をよく把握しているとされる彼らでさえ混乱し、怒すら覚えたようだ。外交的承認と政治の正常化への理解を世間一般から取り付けたいイスラエルはこの国際的スポーツイベントさえもその手段にしようとしていたのだ。

パレスチナへの愛はイスラエルへの憎しみからの直接の反動ではないし、アラブ人がパレスチナを敗北や屈辱の象徴と見なしているわけでもない。

しかし二人のイスラエル人記者、ラズ・シェチニック記者とオズ・ムアレム記者は失意のうちにイスラエルに帰国した。

イスラエルのアパルトヘイトとパレスチナの軍事占領が結びつかず、イエディオス・アーロノスのジャーナリスト達は「私たち開放リベラル派はアラブ世界との対立は政府間のもので国民同士のものではないと信じていたが、カタールは憎しみが何よりもまず市民の心の中にあるのだと教えてくれた」という自分勝手な結論づけをした。

この「開放リベラル派」の二人は自己認識の欠如だけでなく、多くのイスラエル人と同様、アラブ人を自分たちの集団的優先順位に従って考え行動する政治劇の出演者として見下していたのだ。

その上、彼らは、イスラエル人がパレスチナ人に加えた酷い不正に対するアラブ人の正当な怒りを無作為な「憎しみ」と混同しているようだ。

それは単にアラブ人がおそらく憎悪を感じているということを反映しているようにしか見えない。

もし、この二人の記者が本当に、自称ではなく、心を開いて自分たちの報道を振り返れば、気づく点がいくつもあるだろう。

「我々が報道するときはいつもパレスチナ人、イラン人、カタール人、モロッコ人、ヨルダン人、シリア人、エジプト人、レバノン人等がついて来て、私たちに憎悪に満ちた眼差しを向けてくるのです」と二人は書いている。

現状のアラブ諸国間の深い政治的分裂を踏まえれば、どうして多様なアラブ・中東諸国の一般人がイスラエルを「憎み」、パレスチナを「愛する」ということで一致するのかと不思議に思う人もいるだろう。

その答えは「反ユダヤ主義」ではなく「象徴」という言葉にある。

アラブ人にとってイスラエルは、西洋の帝国主義や植民地主義、軍事占領、人種差別、暴力、政治的干渉、軍事介入、戦争に次ぐ戦争、イスラエル兵に殺されるパレスチナ人の少年少女の日々のイメージ、自宅や農場からパレスチナ人を強制的に追い出す暴力的なイスラエル入植者、政治的横暴、その他多くの歴史を象徴している。

一方、パレスチナ人は全く別のものを象徴している。彼らは全てのアラブ人の癒えない傷を体現している。勇気と犠牲。降伏への拒否。抵抗。希望。

イスラエル人の多くはアラブ人とパレスチナの有機的な関係を理解できない。

それは自分たちの国が前述したような否定的な感情を呼び起こすのだということを受け入れないからだ。この現実と向き合うということは深く、気まずい反省を意味する。

むしろシェチニック記者やムアレム記者のような人々はこのような複雑なことを不可解で正当化できないアラブのイスラエルに対する「憎悪」という形の自分勝手な言い回しで片付けてしまう。

アラブのパレスチナへの想いは、イスラエルのことだけではなくアラブ人自身にも関わることなのだ。

パレスチナの旗は1916年の汎アラブ旗にインスピレーションを受けたものだが、長い年月を経てアラブの統一シンボルとしての役割を果たすようになってきた。

アラブ人サッカーファンがカタールで、公的な指示や政府の介入なしに自発的にパレスチナの国旗をアラブ団結の象徴に選んだという事実はアラブの集合意識におけるパレスチナの位置づけを如実に物語っている。

それはまた、パレスチナへの愛がイスラエルへの憎しみからの直接の反動ではないし、アラブ人がパレスチナを敗北や屈辱の象徴と見なしているわけでもないということを物語っている。

モロッコ代表のジャワド・エルヤミック選手は先週のワールドカップのカナダ戦に勝利してモロッコの決勝トーナメント進出を決めた際に、パレスチナの旗を掲げてチームの勝利を祝った。

その裏ではモロッコ人のファン等がパレスチナとモロッコを称えるチャントをしていた。

彼らにとってパレスチナは外面的なことではなく、その歓声は単なる連帯ということでもない。

彼らにとってパレスチナとモロッコは同義であり、敗北と苦闘、そして最終的には勝利という同じ集合的な経験を表現しているのだ。

  • ラムジー・バロード氏は20年以上にわたり、中東について執筆を続けている。同氏は世界に向けて寄稿するコラムニストであり、メディア・コンサルタント、書籍数冊の著者、PalestineChronicle.comの創設者でもある。Twitter: @RamzyBaroud
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