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パレスチナの悲劇と希望、そして小さな勝利

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31 Dec 2022 11:12:20 GMT9
31 Dec 2022 11:12:20 GMT9

パレスチナにとって重要な年が終わろうとしている。2022年は、イスラエル軍の占領や暴力の増大がこれまでと同じく大混乱を引き起こした年でもあったが、国内や地域での影響にとどまらず、国際的にもパレスチナの闘いに新たな不確定要素をもたらした年でもあった。

2月に始まったロシア・ウクライナ戦争により、パレスチナを含む政治主体の多くは、どちらの側につくのか、少なくとも立場を表明する必要に迫られた。パレスチナ自治区や各パレスチナ政党は中立を表明したが、米国が主導していた中東の政治的パラダイムからロシアが離脱したことで、パレスチナ人にとっては新たな可能性を探究する余地が生まれた。

5月4日、ハマスの指導者一行はモスクワでロシアの高官と会談した。その数ヶ月後にはパレスチナ自治政府のアッバス議長がカザフスタンのアスタナでプーチン大統領と会談し、ワシントンに背いた。米国はアッバス議長に対して怒りを見せたが、中東や世界の微妙な地政学的バランスを考慮して、ワシントンはパレスチナの指導者に対してほとんど制裁を加えることはできなかった。

11月29日、カイロにて、汎アラブ組織である「アラブ連盟」は、世界規模の紛争が生み出した新たな政治的空間によって、パレスチナ問題についてアラブ諸国の結束が強まったとの声明を発表した。同連盟のアフマド・アブルゲイト事務局長は、アラブ諸国は平和への道筋を探究すべきだと主張し、前月のアルジェ宣言を高く評価している。10月には、パレスチナの14の政治団体がアルジェリアで会合を開き、大統領選挙および議会選挙による分断の解消を柱とする和解協定に調印していた。

これに限らず、パレスチナ難民救済期間であるUNRWAへの資金提供などの財政的支援や、国連にてパレスチナを支持するという政治的支援など、今年はアラブ諸国政府によるパレスチナ支援が活性化した年であった。10月3日、国連のアラブ代表は、イスラエルに核兵器を放棄し、「すべての各施設を国際原子力機関の包括的補償措置の下に置く」よう求める決議案を提出した。この決議は10月28日、国連総会にて圧倒的多数で承認された。

国連は、軍事占領とパレスチナでの人権侵害を続けるイスラエルを罰するための行動を実行したわけではないが、いくつかのイニシアチブおよび決議によって、パレスチナ問題は国際的な議題の中心であるとの見解を継続的に示している。

8月、いわゆる国連専門家は、「イスラエルが占領下のヨルダン側西岸でパレスチナの市民社会に対する攻撃をエスカレートさせている」と非難し、「これらの行為は人権擁護者に対する厳しい弾圧であり、違法かつ容認できるものではない」と付け加えた。

1967年以来占領されているパレスチナ地域の人権に関する状況を担当する国連特別報告者、フランチェスカ・アルバニージーは、10月に国連総会に報告書を提出し、その中で、パレスチナ人の自決という不可侵の権利を実現するには、イスラエルの入植地主義およびアパルトヘイト体制を解体する必要があると結論づけている。

11月30日、国連総会は、1948年に数十万人のパレスチナ人が土地から強制的に追い出されたことを記念する「ナクバの日」を制定するという決議も採択した。

世界規模の紛争が生み出した新たな政治的空間によって、パレスチナ問題についてアラブ諸国の結束が強まった

ラムジー・バロウド

しかし、これらの声明はいずれも、イスラエルのパレスチナ人に対する暴力的な性質を変えることはできなかった。10月29日、国連中東大使のトル・ウェネスランド氏は、国連が2005年に死者数の追跡を開始して以来、2022年は占領地ヨルダン川西岸でパレスチナ人の死者数が最も多い年になりそうだと述べている

イスラエルは2022年に入ってから、占領かのヨルダン川西岸とガザで、47人の子どもを含む200人以上のパレスチナ人を殺害している。大手メディアの見出しを飾ったのはそのうちの数人に過ぎない。だが、5月11日に著名なパレスチナ系アメリカ人ジャーナリスト、シリン・アブアクラ氏がジェニンの悲劇を取材中に冷酷に殺害されたことを受けて、世界は依然として怒りを表明している。本件に関して公正な調査を求める声は大きく、FBIはついに同氏の殺害について捜査を開始することになった。

イスラエルによる大量殺戮には、二つの動機があった。一つは、ヨルダン側西岸地区北部での武装抵抗勢力の台頭、もう一つはイスラエルの混沌とした政治情勢である。

ジェニン、ナブルス、その他のヨルダン川西岸の町や難民キャンプに対するイスラエルの継続的な攻撃は、「ライオンの巣穴」として知られる新しいパレスチナ人武装集団の結成につながった。他のグループとは異なり、ナブルスを中心に巻き起こったこの運動は特定の派閥が引き起こしたものではなく、政治的、思想的背景を問わず、すべてのパレスチナ人の国民的結束のための新しい空間を作り出した。

イスラエル政府は即座に「獅子の巣」に報復した。ベニー・ガンツ国防相は10月13日、30人のメンバーがいると推定し、「最終的にはテロリストたちに手を下す」と発表した。ガンツ国防相は、「テロリストたちに接触する方法を考え出し、排除する」と述べている。「獅子の巣」は成長を続け、ジェニン、ヘブロン、その他のヨルダン川西岸地域の別部隊に姿を変えているため、イスラエルの評価は事実とは異なることがすでに証明されている。

10月19日、違法ユダヤ人入植地マーレ・アドゥミム付近での衝突で、パレスチナ人戦士オデイ・タミミが殺害されたことによって、新世代の抵抗者たちの大胆さがより一層際立った。さらに、テレビ放送もされた12月2日のフワラでのアマル・ムフレの処刑は、占領下のパレスチナで進行中の武装反乱を終わらせるためには、イスラエルは国際法を無視することもいとわないことを物語っている。

ヨルダン川西岸での暴力の増加は、ベネットラピード政権の過激な性格が直接的に引き起こした

ラムジー・バロウド

イスラエルの暴力は、テルアビブ自身の政治的危機にも直結している。ベンヤミン・ネタニヤフは2021年6月、ナフタリ・ベネットが率いたイスラエルの様々な政治勢力による通常ではありえないような同盟によって追放されたものの、イスラエルで最も長く首相を務めたこの人物は、再びイスラエルの政治シーンの中心に返り咲いている。

ベネットは6月20日に首相を辞任し、連立政権のパートナーであるヤイール・ラビドに指導権を委ねた。11月1日には、4年ぶり5回目となる選挙が行われた。この選挙で、ネタニヤフ率いる右派連合は圧倒的な勝利を収め、ベザレル・スモトリッチやイタマル・ベン・グウィルといった、パレスチナ人に対する暴力行為暴言で悪名高い人物が、ただでさえ過激になっているイスラエル政府に加わった。

米国は11月2日、ベン・グウィルと直接協力する可能性は低いと示唆したが、その二週間後、トーマス・ナイデス駐イスラエル米国大使は「いかなる者にもイスラエルと米国の固い絆を傷つけることはできない」と発言し、その立場を覆すかのようだった。

ヨルダン川西岸での暴力の増大は、ベネット=ラピード政権がパレスチナの抵抗に対して強硬な姿勢を示した結果であることを念頭に置くと、新政権はさらに暴力的になり、ヨルダン川西岸とガザの両方で対立の舞台を広げると予想される。

8月にイスラエルが占領下のガザ地区で行った戦争は短い期間で終結したが、国連の推計によると、少なくとも46人のパレスチナ人が死亡、360人が負傷する結果となった。この戦争による被害は甚大だったが、すべてのパレスチナ人グループが戦闘に参加したわけではなく、もし参加していればより深刻な被害がもたらされていた可能性がある。イスラエルは、紛争が長引き政治的な代償を払うことになる前に敵対関係に終止符を打とうと躍起になっていたようだ。ネタニヤフ首相も、今後の政治的困難から人々の気を逸らし、右派のパートナーとの関係を維持するために、ガザでの戦争に踏み切る可能性が高い。

イスラエルの占領による暴力、そして孤立と包囲の苦難にもかかわらず、パレスチナの文化は繁栄を続けており、パレスチナのアーティスト映像作家スポーツ選手、知識人、教師たちは、パレスチナや中東のみならず、世界の文化シーンにも強い影響を与えている。

5月、ギリシャのイラクリオンで開催された重量挙げの世界選手権で、ガザ地区出身の20歳モハメド・ハマダ選手が、パレスチナ人初の金メダルと銅メダルを獲得した

9月には、パレスチナ系アメリカ人システムエンジニア、ヌジュード・ファフーム・メランシーがNASAの「アルテミス計画」のリーダーの一人に任命された。この計画では、宇宙飛行士の月面帰還を目指す。

パレスチナの抵抗と文化的な業績を後押しし続けているのは、パレスチナと国際社会の連帯の高まりだ。アメリカン・フレンズ奉仕委員会の助力により、多国籍企業のゼネラル・ミルズは6月、イスラエルから完全撤退することを発表した。これは、他の企業、大学、教会を巻き込んだパレスチナ主導のボイコット運動がもたらした数多くの成果の一つだ。

だが、ワールドカップカタール大会でアラブ諸国や世界のサッカーファンが見せた果てしない連帯の流れに勝るものはない。パレスチナ代表チームは、この世界で最も重要なスポーツイベントへの出場権を獲得したことはないが、あらゆる国旗の中でパレスチナ国旗が最も存在感を放っていた。また、世界の指導者、高官、著名人を含む何千人ものファンたちが、パレスチナの象徴であるケフィエを着用した。

2022年もまた、パレスチナ人にとっては悲劇と希望の年だった。数々の小さな勝利に支えられたこの希望のおかげで、パレスチナは自由を求めて闘うことができる。2023年がより良い年になることを祈ろう。

  • ラムジー・バロウド氏は、20年以上にわたって中東について執筆している。国際的コラムニスト、メディアコンサルタント、数冊の出版歴を持つ執筆者。また、PalestineChronicle.comの創設者。Twitter: @RamzyBaroud
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