



ラワン・ラドワン
ジェッダ:バレンタインデーが来ると、あらゆる言語の壁を越えて、愛の喜びを賛美するようすが見受けられる。しかし、1つの物語が、アルウラー砂漠の砂の中から浮上した。
守護聖人であるセント・バレンタインは、3世紀のローマで神に仕えた司祭であり、密かに若い恋人たちと結婚したことで処罰を受けた。このような結婚は、皇帝クラウディウス2世を怒らせた。同皇帝は未婚男性こそが、より優秀な兵士になると信じていたからだ。カトリック教会から聖人と認められたセント・バレンタインは、2月14日に1年に1度の祝日を与えられていた。中世のイングランド王国である時期、このイベントは信仰のために払った尊い犠牲を記念するイベントから離れて、愛を賛美するもっと一般的なイベントに発展していった。
セント・バレンタインにまつわるお話と、アラブの多くのラブストーリーにまつわるお話は、切っても切れない程に繋がっているが、魅力となったお話に伴って来たのは、神秘、愛の力、冒険だ。アルウラーの魅惑的な砂漠地域とその豊かな歴史は、サウジアラビア国民と、この地域の歴史に関して興味のある人々を魅了し続けている。
ジャミルとブタイナの物語は、禁じられた愛の物語だ。
7世紀後半に、このベドウィンの愛の詩は、ウマイヤ朝時代、メディナのバヌ・ウドラ族の詩人、ジャミル・ブタイナとしても知られているジャミル・イブン・ママルによって書かれた。ジャミル・ブタイナは、恋愛を主題にして、定型抒情詩の一様式で表現するイスラム文学の分野の1つ、ガザル詩という詩の形式の先駆者だった。ジャミル・ブタイナは、その時代のバヌ・ウドラ族に共通した主題、純粋な愛の詩を伝承したことで有名だった。
アルウラーのアルクラ谷のバニ・ウドラの近くに暮らす種族、ウスラ族の美しい娘、ブタイナ・ビン・ハイヤン・ビン・タラバに対するジャミルの激しいが、報われない愛をこの詩は描いている。
幼少の頃からブタイナの美しさに夢中だったジャミルは、自らの愛を称賛する詩を長年書いていた。勇敢な騎手でもあるジャミルは、自らの愛と剣を誇りとしていた。ジャミルは愛するブタイナに求婚したが、拒絶された。ブタイナは、別の男性と結婚の約束をしていたのだ。しかしジャミルの別の男性との結婚は、この恋煩いをしている兵士を思い止まらせなかった。この兵士は気も狂わんばかりとなって、美しくロマンチックな詩を作り続けた。
家族にどれ程否定されても、ブタイナのジャミルへの愛は真実だった。ジャミルの願いは顧みられなかったが、ブタイナの故郷、アルウラーの贅沢なオアシスで、2人は密かに会うようになっていた。
時が経つにつれて、ジャミルはエジプトに向けて出発し、悲恋の2人は離れ離れとなるが、2人の愛はジャミルの美しい愛の詩を通じて、永遠に語り続けられるだろう。
数千年の歴史を経て、アルウラーの砂漠から、1つのラブストーリーが姿を現したとしても、驚くには当たらない。パレスチナの詩人、故マフムード・ダルウィーシュ氏が表現した愛と喪失の物語は、次のような詩を通じて堪能することができる。
「ジャミル、ブタイナ、私、私たちは2つの別の時代の中で、それぞれが1人ぼっちで歳を取った…
今や、太陽と風と同じことをする時だ。つまり、ジャミル、頭が心の情熱に耐える時はいつでも、あるいは、心がその英知に達する時はいつでも、太陽と風は我々を完全にしてから、我々を殺す!ブタイナ、彼女はあなたのように、私のように、歳を取っているのか?
友よ、彼女は他人の目には、心以外は歳を取っている。しかし、私の中で、そのガゼルは、心身から流れ出る泉の中で水浴びをしている」
世界的に有名な劇団カラカラが『ジャミルとブタイナ(マラヤコンサートホールで上演されたアルウラーのオアシスからの愛の伝説)』の公演を行った1年前に、時が経過していくにもかかわらず、この詩の伝承方法が見事に成功していることは実証されていた。バレンタインデーにふさわしいこの公演は、歌、音楽、ダンス、演技を通じて生き生きと描かれていた。
今年、私たちは王国の宝物の1つである砂漠から、失われた愛を描いたらラブストーリーが浮上したことを祝福している。悲恋の2人の物語を再び語るために、時の試練に耐えて、再び現れた物語だ。