東京:プレイステーションは消費者から絶大な支持を得たが、30年前、その生みの親である久多良木健氏は、自らのゲーム機が成功すると、ゲームメーカーやソニーの上司たちを説得するのに苦労した。
久多良木氏はAFPのインタビューで「みんなに失敗すると言われた」と語った。
「トゥームレイダー」や「メタルギアソリッド」のような大人向けのタイトルと革新的な3Dグラフィックを搭載したこのゲーム機は、1994年12月3日に初めて店頭に並んだ。
それ以前は、任天堂のファミリーコンピュータや同様のゲーム機は「子供のおもちゃ」と見なされていたと、74歳の久多良木氏は語った。
スーパーマリオブラザーズのような人気ゲームは2Dで、コンピュータグラフィックス(CGI)はハリウッドでも珍しかった。
「ソニーの経営陣のほとんどは猛反対した」と久多良木氏は語った。ハイエンドの電子機器メーカーとしてのソニーの評判を危ぶんだのだ。
当時、リアルタイムの3Dゲームの制作は「考えられない」ことだったため、日本のゲームメーカーも「冷淡な反応」を示した。
CGIを使った映画は、制作に1~2年を要し、予算は数千万ドルだったと久多良木氏は言う。
しかし、当時ソニーの社員だった久多良木氏はめげなかった。
「技術の進歩を最大限に活用して、新しい形のエンターテインメントを作りたかったのです」と、そのエンジニアは目を輝かせて語った。
その野心は実を結んだ。現在第5世代目となるそのゲーム機は、今や誰もが知る存在となった。プレイステーション2は、1億6000万台を売り上げた世界で最も売れたゲーム機である。
ソニーと任天堂はライバル関係にあるが、30年以上も前に、ゲームカートリッジしか使えなかったスーパーファミコンにCD-ROMリーダーを搭載する共同開発を行っている。
任天堂の許可を得て、ソニーはカートリッジとCDの両方に対応するゲーム機を開発していた。このゲーム機の開発時のコードネームは「プレイステーション」であり、これが初めてこの有名な名称が使われた。
しかし、この2社の友好関係は劇的な結末を迎える。
1991年のラスベガスのトレードショーでソニーが新プロジェクトを発表した数時間後、任天堂はソニーのゲームに関する権利に恐れをなして、オランダのフィリップス社と提携すると発表した。
この出来事はソニーにとって裏切りであり屈辱と受け止められ、これらの成長中のプロジェクトはすべて実現しなかった。
「新聞は、我々にとって悪いことだと言った」と久多良木氏は語った。しかし、「我々と任天堂が独自の道を歩むのは避けられなかった。なぜなら、我々のアプローチは全く異なっていたからだ」と彼は付け加えた。
任天堂にとって、「ビデオゲームはテクノロジーとは何の関係もないおもちゃだった」と彼は語った。
そして、ソニーが任天堂を無視しなければ、我々が知っているような「プレイステーション」は「日の目を見ることはなかっただろう」と彼は付け加えた。
ソニーが1994年に日本で、そして数ヶ月後に欧米諸国でプレイステーションとCDゲームを発売した当時、任天堂は据え置き型ゲーム機の販売を独占していた。
そこでソニーは音楽業界での経験を生かし、新しい流通モデルを開発した。おもちゃ屋ではなく家電店で販売し、各地域の市場に適応した新しいサプライチェーンを構築したのだ。
久多良木氏は後にソニーの副社長に就任したが、当初は商業的に苦戦したPlayStation 3の発売後、2007年に同社を退社した。
現在、据え置き型ゲーム機の市場の将来は、久多良木氏がモバイルゲームを何年も前に予測していたように、人気が高まりつつある「クラウドゲーム」とともに、それほど明るいものではなくなっている。
「私は10年、20年先のテクノロジーの未来についてよく考え、新しいトレンドを予測していました。」しかし、「多くの人々には理解しがたいことでした」と彼は語った。
現在、このエンジニアはロボット工学と人工知能に焦点を当てたスタートアップ企業を経営し、日本の大学で教鞭もとっている。
「私たちは、AIの助けを借りて、あらゆるものをコンピューターで計算できる世界に突入しつつあります」と久多良木氏は言う。
例えば、ジェネレーティブAIチャットボット「ChatGPT」は「言語が計算可能になったからこそ存在する」ものであり、同様の技術は医療、音楽、視覚芸術など多様な分野で活用されている。
「時間や空間も計算可能になったと想像してみてほしい」と彼は語った。
「今のところ、これはビデオゲームの世界に限られた可能性だ」が、「どこへでも瞬時に移動できるようになったと想像してみてほしい」と久多良木氏は語った。
「かつてはSFだったことが現実になる可能性がある」
AFP